2008年10月31日金曜日

どんどん変貌するマナド

10月29日深夜、マナド空港に到着。いつものように、出口へ向かうと、いつものように空港タクシーのチケットを持って立っている女性に出会う。

さっそく頼むと、タクシー乗り場まで連れて行ってくれる。ここまではいつもと同じ。タクシースタンドを見ると、メーターを使わずいつも運転手と口論になるディアン・タクシーの脇に、新しいタクシーが。

Trust Taxiというのに乗ったが、車はフォード製のレーシングにも使われる車。リムジン仕様で、支払はメーターに基づく。もちろん、乗り心地は快適で、車内も静か。ディアン・タクシーのときとほぼ同じ値段で、ホテルに着いた。このTrust Taxiは、空港リムジン・タクシー以外に、市内用のシティ・タクシーというのを別に走らせている。会社は州知事の子供が所有しているとのこと。

空港タクシーはもう1社あり、こちらは空軍の組合が持っている様子。車はシボレー製だった。マナド人は、とくに見栄っ張りといわれるが、タクシーの車種を日本製や韓国製にしなかったのはその表れなのか。

今回出席した会議が開催されたのは、まだ正式営業を宣言していないはずの5つ星ホテルSintesa Peninsula。でもほぼ本格営業である。マナドのホテルのネックはインターネット接続だが、ここの無線回線はとても速い。昨日は適当につなげて、タダで使わせてもらった。今日は同じ要領でやったがつながらず、カウンターでIDとパスワードをもらってつなぎ、しかもラウンジで飲み物を買ってください、とのこと。それでも、快適につながり、こうしてブログを書いている、というわけだ。

マナドはほかにもSwiss Bell Hotelが開業、AstonやNovotelなどの開業も控えている。Sintesa Peninsulaの食事はけっこうおいしい。

あまり関係ないかもしれないが、今回の会議は英語だったが、マナドのMCはマカッサルよりも断然英語が上手である。英語が普通に聞こえる空間が形成されていた。来年、5月11~15日に予定されている世界海洋会議(WOC2009)の後、国際会議誘致で名を売ろうとしているマナドだが、マカッサルよりはレベルが上とみた。


2008年10月29日水曜日

今日はマカッサル市長選挙投票日

10月29日はマカッサル市長選挙投票日。その関係で、私の勤務先を含むほとんどの役所・会社が臨時の休日となった。今回は、7組の候補者ペアが立候補している。開票予想は、今日中に出る予定。

私自身は、今晩の便でマナドへ発つ。11月1日にいったんマカッサルに戻って、来週またマナドへ出張の予定。マナドは、観光開発で盛り上がっている様子で、今回の2回のマナド出張もそれと関係している。

マサンバのバゲアは一味違う

10月20~22日、マカッサルから片道10時間かけて、南スラウェシ州北ルウ県の県都マサンバを訪問した。ここにあるマリンド適正技術開発センターを視察するためである。このセンターは、東部インドネシア各地から研修生を受け入れ、農林水産物の様々な加工技術を教えている。扱っているのは、バナナ・チップや魚せんべいのようなものから、カカオの挿し木栽培まで幅広い。

マリンド適正技術開発センターでいただいた昼食

ここには、サゴやしデンプンの団子(水飴のような感じ)を野菜や魚・肉の入った酸っぱくて辛いスープで食べるカプルンという料理がメジャーである。パプアやマルクではパペダ、クンダリではシノンギとも呼ばれるが、このセンターはそのインスタント・カプルンを開発したことでも知られる。ただし、その後の販売促進が地方政府の官僚制の弊害などでとん挫し、インスタント・カプルンは、今では市販されていない。

サゴやしを使ったクッキーのような菓子であるバゲア(Bagea)は、東部インドネシア各地にある。マナドでも、アンボンでも、様々な種類のバゲアがあちこちで売られている。ここマサンバにもバゲアはあるが、今回紹介するこのバゲア、ちょっと一味違うのである。



バゲアといえば、割と固い食感なのだが、このバゲアはサクッとくる。そして、お茶と一緒に食べると、口の中でホワッと溶けるように消えていく。このサクサク感と食べたときの軽さは、通常のバゲアでは味わえないものだ。試しに友人に食べてもらったが、一様に、「このバゲアは違う」という反応だった。

残念ながら、マカッサルではまだ店で市販されていない。先に紹介したビパンと同じように、口コミで知り合いに出している程度だ。

ほかにも、マカロニ・カチャンというのがある。見た目はカシューナッツを半分に割ったような形だが、原料はピーナッツである。とても軽いクッキーである。


このバゲアやマカロニ・カチャンは、マサンバのトランス・スラウェシ道路沿いにあるToko Ekonomi Rakyat Luwu Utaraで手に入れることができる。トラジャ観光から足を延ばすのはちょっと遠いが、スラウェシ縦断の折には、忘れずに寄ってほしい。

エンレカンのビパンといい、マサンバのバゲアといい、スラウェシの地方には、実は知られざる銘品がまだまだ埋もれているような印象がある。これを掘り起こしていくのも私の楽しみである。

2008年10月25日土曜日

牛角バナナとパパイヤはエンレカン名物


エンレカンの牛角バナナ(Pisang Tanduk)は一見の価値がある。とにかく、長くて大きい。本当に、牛や水牛の角のような形をしている。どうやって食べるのかと聞いたら、揚げバナナ(Pisang Goreng)にするのがよく、生食向きではないとのことだった。さっそく、マカッサルの我が家で揚げバナナにしてもらったが、たしかに香ばしくておいしかった。

パパイヤはエンレカンの誇る高品質の果物である。とにかく、ほかのところのパパイヤよりも形が大きく、しかも甘い。よく、休憩所でErotic Mountainを眺めながら、パパイヤを剥いてもらって食べるのだが、いつも大満足である。今回、メンダッテ村の村長宅にお邪魔したら、下の写真のようなデザート菓子が出された。色合いといい、味といい、新鮮な印象を持った。これって、この辺の名物デザートになるのではないか、と村長に勧めてきた。

エンレカンの手作りビパン

10月14日、エンレカンのメンダッテ村で訪問したある村人の家で、ビパン(Bipang)と呼ばれるもち米の菓子を手作りで作っていた。ビパンはあちこちにあり、それぞれ若干違う名前で呼ばれているが、東京の雷おこしを大きくしたような菓子である。ここでは4つの味がある。もち米とヤシ砂糖などを混ぜ、平らな台に伸ばして、定規を当てて切っていく、という素朴な作り方だった。

もち米とヤシ砂糖などを混ぜる。もち米は市場で買ってきたもの。

ヤシ砂糖などを混ぜ合わせたもち米を平らな台に広げる。

材料を平らにする。

定規を当てて切る。平らな台自体に目盛りが付いている。

切ったビパンを袋詰めする。

名前や連絡先の書かれた紙を入れて、ビニール袋をとじて、できあがり。

作りたてのビパン。おいしーい!

こんな一見ごく普通の家の中で作られていた。本当にホームインダストリー。

なお、このビパン、ここでは祖父母の代から作り続けられているもので、実は地元ではけっこう有名なお菓子であった。前のブログで紹介した休憩所Bukit Indahなどで売られているが、マカッサルへは口コミ以外では出していない。もし注文される場合は、以下に連絡をしてみてほしい。

"Sri NurさんのBipang"
Bamba Puang Lura, Enrekang
携帯:081-354-110-633

2008年10月24日金曜日

計画停電と計画断水

とうとうマカッサルでも、今月半ばから計画停電と計画断水が本格化してきた。これまで、スラウェシの他の地方都市で、停電が断続的に起こっているのに、マカッサルではあまりないな、と思っていたのだが、もはや例外扱いではなくなった。

今日(23日)は、昼間に2時間、夜間に2時間、停電になった。場所と時間を変えて、計画停電が行われている。夜の用事で、自宅から旧市内へ向かったが、ウリップ・スモハルジョ通りの両側が延々と真っ暗だった。明かりのついているのは、発電機を備えていると思しき民間企業のみ。街灯はもちろん、信号機もすべて消えている。マカッサル「大停電の夜に」という趣きの真っ暗さだった。

マカッサルに電力を供給しているバカル水力発電所のダム湖の貯水量が減少していることが最大の原因とされ、とくにダム湖の湖底に土砂が堆積していることが問題となっている。土砂が堆積するということは、上流からの土壌流失が弱まらないということ、すなわち森林伐採などで上流地域の保水力が弱っていることが関係しているように思われる。11月にはセンカンのガス発電所からの電力供給をリンクさせるので、状況は緩和するというが、期待の域を出ないだろう。

水道も、2週間前ぐらいから水圧が下がり、とうとう断水が始まった。一昨年はかなり断水がひどかったが、昨年は幸いにも断水は起こらなかった。水源からの水量が落ちていることに加え、浄水場のポンプが2基壊れたのが原因、と市水道局は説明する。しかし、市水道局から管理運営を委託された民間会社が、市からの支払いが滞っていることを理由に管理運営をやめると宣言し、10月5日から水が止まる、という話が世間を賑わせていたのを思い出す。滞納している市水道局が開き直り、民間がやらないのなら結構、自分たちでやる、と啖呵を切っていたのだが、その顛末が、今回の断水につながったと見られてもしかたがないだろう。市水道局と民間企業の騒動については、その後、新聞であまり報道されておらず、当初は断水の理由も明らかにされていなかったのだ。

今回の計画停電と計画断水は、一昨年よりもひどくなるかもしれない。一昨年のような乾季が長引いた、というような理由ではないからだ。明らかに人災という面を強く感じる。しばらくは、懐中電灯を常時携帯し、水が出る時に水をためる、という形で対処していくより仕方がなさそうだ。

2008年10月19日日曜日

トラジャの手前の隠れ家的スポット

それは、エンレカン県のバンバプアン(Bambapuang)。エンレカン県の県都エンレカンからトラジャ方面へ車で30~40分程度で、右手に木のあまり生えていない草原で覆われた山々を見渡せるところに出る。この山々は、Erotic MountainとかGunung Nonaとか呼ばれる。この景色については、「禁断の恋をした男女が神の怒りにふれて、山の形に変えられた」「その山と山の間には川が流れていて、男女はそばにいても永遠に一緒になれない」といった話が伝えられている。

地元ではBambapuangと呼ばれるこの草山の周辺には、その眺望を売り物にするたくさんの休憩所がある。それらのなかで、地元エンレカン料理を出すのはブキット・インダ(Bukit Indah: 「美しい丘」の意)という名の休憩所1軒である。ここで、下の写真のような料理を食べた。


どんな料理が出るのかというと、ナス・チェンバ(Nasu Cemba)とダンケ(Danke)である。前者は、地元でとれるチェンバという酸っぱい味の葉っぱを入れて、肉と煮たスープ料理である(ナスは「料理」の意味)。今回食べたのは牛肉だが、水牛の肉や馬肉のナス・チェンバもあるということである。牛肉を縛る紐をナイフで切り、ゴロッと外れた牛肉をスープ一緒にいただく。


ダンケは、地元産の素朴なチーズである。チーズといっても、一般的な洗練されたものではない。もともとは水牛の乳で作っていたが、今は、牛乳から作る。日持ちがしないので、通常は、写真のように油で揚げた物をいただく。触感は豆腐のような感じだ。ダンケは、県都エンレカンの手前の街道沿いに並ぶ小屋掛けの店で買ったり食べたりすることができる。


今回はこれら2つに加え、この店で飼っている鯉(Ikan Mas)も食べたが、臭みがなく、柔らかくて美味であった。

そして、今回の最大のイベントは、このErotic Mountainを見下ろすところに立地する隠れ家的宿に泊まったことである。この宿、Bambapuang Villa, Restaurant & Spaには、10室のヴィラ風の部屋があり、バリ人の建築家によって、バリのコテージ風に建てられている。部屋はとても広く、テレビ、エアコン、冷蔵庫も完備。部屋の奥のバスルームには、バスタブ、バスタブと独立したシャワー・コーナー(お湯がふんだんに出る!)があり、しかも外気が入る構造でと気持ちの良い作りになっていた。部屋の外は広いベランダで、真ん前にErotic Mountainがそびえる。


このVillaのもう一つの特徴は、夜の静けさである。建物の周りには光源となるような明かりがなく、真っ暗なのである。晴れていれば、満天の星が仰げるかもしれない。音楽やカラオケもない。なお、エンレカン県は条例でアルコール飲料の販売を禁止している。

部屋は全て東向きなので、Erotic Mountainの向こうから差し込む朝日を全身に浴びる朝となる。建物の後ろは森で、様々な鳥が飛び交い、さえずりが途切れることがない。

ただし、朝食はパン、お粥、ナシゴレンの3つから選ぶ、という普通のもの。レストラン自体も、メニューはとくにエンレカン料理を意識したものでなく、普通のものである。

この隠れ家的ヴィラの連絡先は以下の通り。経営はエンレカン県政府で、週末にはよく県知事が泊まりに来るという。満室ということはなさそうだが、準備をしてもらうために、前もって電話で予約したほうがよさそうである。

Bambapuang Villa, Restaurant & Spa
Jl. Poros Enrekang - Tana Toraja KM. 15, Kotu
Enrekang, Sulawesi Selatan
Phone/Fax: +62-420-21777

Room Rate (2007)
Deluxe: Rp. 380,000.-
Executive: Rp. 550,000.-
Extra Bed: Rp. 75,000.-
上記に税・サービス21%加算。朝食付。

2008年10月12日日曜日

スラウェシの生物多様性

この1週間、けっこういろいろあった。何といっても、急に思い立って、10月8~9日にジャカルタへ出張してしまったのが大きかった。マカッサルに戻った後、京都大学とハサヌディン大学の合同開催によるスラウェシ地域研究のシンポジウムで発表したが、1日中、冷房の利いた部屋にいたため、途端に体調を崩してしまった。日頃、エアコンを使わない生活をしていることもあるのだが・・・。

ジャカルタに出張に行った一つの理由は、生物多様性の観点から、インドネシアにおけるスラウェシ島はどれぐらい重要な場所なのか、という問いに答える情報を少しでも取りたかったためである。

たとえば、スラウェシ島の哺乳類127種のうち79種が固有種で、哺乳類からコウモリを除くと固有種の比率が実に98%になる。言ってみれば、スラウェシ島に生息する哺乳類の大半は、スラウェシ島にしかいない固有種、である。

また、インドネシアに生息する鳥類のうち、固有種は全体の23.3%にあたる372種であるが、その固有種のうち、117種はスラウェシ島に生息する。島別に見た固有種の数では、このスラウェシ島が最も多く、マルク諸島の94種、ヌサトゥンガラ諸島の68種が続く。鳥類でも、スラウェシ島はインドネシアで最も多くの固有種のいる島なのである。

わずかなデータしか集められなかったが、スラウェシ島はスラウェシ島にしかいない固有種の多い島であり、生物多様性の観点からみても、相当に重要な場所であると思われる。

スラウェシ島は、大昔、大陸地動説に乗って、北、西、南などから陸地が動いてきてくっついたため、アルファベットのKのような奇妙な形をした島になった、と言われている。その結果、中央部が急峻な山地となり、それが遮る形で、スラウェシ島の各部にある生物群の固有性が保たれたとともに、長い間に緩やかにそれらが融合して、特有の生物の種を生み出してきた、と推論できる。

しかし、こうしたスラウェシ島の固有種の生息・分布状況について、継続的な調査が行われている気配はない。バビルサ(牙の長いイノシシ)、アノア(牛と馬の中間のような動物)、マレオ(飛べない鳥)、タルシウス(小さなメガネザル)などが過去10年に生息数がどれだけ増減し、生息区域がどう変わったのか、よくわかっていない。ただよくいわれるのは、こうした固有種の生息数が徐々に減り、ほとんど人前から姿を消しつつある、ということである。

残念ながら、スラウェシの地元の人々は、こうした世界中でスラウェシにしかいない生物たちにほとんど関心がなく、また知識もあまり持っていない様子である。生活がかかっている人々にとっては、単なる害獣にすぎないのかもしれない。こうした生物多様性の観点も、人々の暮らしをどのように向上させていくのかという課題のなかにうまく関連付けて考えていく必要があるのではないか。

それはそうと、生物多様性の宝庫とでもいうべきインドネシアで、こうした生物の標本を地道に管理する施設が日本のODAで建設・運営されている。ジャカルタから車で1時間弱のチビノンにある国立生物研究センター(Research Center for Biology, LIPI)がそこである。ここでは標本を管理するだけでなく、それをもとにした生物多様性保全のための研究機能の向上が図られている。先にインドネシアを訪れた秋篠宮殿下がご覧になったというシーラカンスのはく製を見せてもらった(下写真。もう1体のはく製は発見された北スラウェシ州マナドにあり、それが日本の福島県のアクアマリンふくしまで解剖された)。


ここに収蔵されている標本の多くは、植民地時代にオランダが集めたもので、残念ながら、独立後にインドネシア政府が集めた標本はあまり多くないそうである。予算不足なのだろうか。

現在、これらの標本は空調をコントロールされた膨大なスペースにきちんと保管されている。これからずっと、いい状態で保存されていくことを願う。

貧困住民の所得向上を図るための支援も必要だろうが、こうした、世界中の人類のための共有財産とでもいうべき生物標本を地道に収集・管理し、それを生物多様性保全のための研究に生かしていくことへ支援していくことも、とても重要なことではないかと考える。すぐには結果は出ないし、インドネシア政府や住民に目に見える形でアピールできる性格のものでもない。でも、こうした標本の中から、今後の世界的な問題を解決する何かが見つかるかもしれない。

折しも、今回、日本の研究者が受賞したノーベル賞は、その目立たないが極めて重要な基礎研究に対する評価であった。生物多様性保全の基礎研究を促し、それを地球全体の共有財産として生かしていけるような長期的な活動へ支援を行うことにも、大いなる意義があると言えないだろうか。

そして、こうした生物研究センターへの生物多様性保全の観点に立った支援を行うということは、日本がインドネシアとともに世界へ貢献する、ということになるはずである。今や、そういう支援を進めていく時代になったのではないだろうか。

2008年10月5日日曜日

さあ、しごと、しごと

世の中、1週間強のレバラン休みが終わった。マカッサルに居残った私はちょっと運動不足気味。でも、それもあって、仕事先からの宿題を何とか終わらせた。

さあ、6日からは気分を変えて、しごと、しごと。


フランス料理の会(第1回)報告

レバラン中もマカッサルに残っている友人たちと、スラウェシやインドネシア東部を専門にツアーを企画しているオーストラリア在住の友人たちを誘って、de Luna Resto & Cafeでフランス料理の会の第1回を10月3日夜、試しにやってみた。今回のメニューは以下の通り。1人30万ルピアでやってくれた。

前菜のサラダ
Jumbo Premium Salad with Melon & Orange Vinaigrette

メインの「エビのチキン巻き、マドラス・カレー・ソース和え」
Chicken Breasts with Prawn in Maddras Curry Sauce

デザートの「ガトーショコラ&ピスタチオ・アイスクリーム」
Moelleux au Chocolat, Glace Pistache

これらにワイン、パンとコーヒー(エスプレッソやカプチーノが可)か紅茶がついた。レバラン中なので、ワインは、レストラン手持ちのカリフォルニア・ワインの白が出された。

スープのない、シンプルなメニューだったが、意外にボリューム感があって、食後は満腹感があった。とくに、デザートのガトーショコラが温かく、中のチョコレートがとろーりとあふれてきて、ピスタチオ・アイスクリームとの相性がバッチリであった。

料理自体は、素材の味を出そうとしたのか、穏やかな味付けだった。まあ、最初ということで、料理人のエコさん自身が反応を見ようとしたのかもしれない。

部屋は個室で、食後にカラオケができるように用意していた様子。まあ、カラオケはしなかったが・・・。

これから何回か試行して、地元素材の活用と味付けのさらなる工夫がなされていくことを願っている。ちなみに、10月中にまた同様の会を企画したいと考えている。前回のブログに書いた連絡先に直接予約してもらっても、もちろんかまわない。

それにしても、自分で言うのもなんだが、このブログ、どんどん食べ物の話ばかりになってきてしまった・・・。



2008年10月3日金曜日

レバランでおいしいもの

出遅れでマカッサル脱出とならなかった今回のレバラン。仕事先からの「宿題」もあり、まあそれなりにいろいろと、しかし、ゆっくりと過ごしている。

運転手には1週間のレバラン休暇を与えたので、今週は、人通りが少ない(はずの)マカッサル市内で自転車三昧、と思っていたのだが・・・。なぜか、ハンドルから本体につながる金属部分がパカッと切れてしまって、操作不能になってしまったのが10月1日。不幸中の幸いか、自宅から街中までの大通りではなく、街中だったので、厚かましくも、近くの友人宅に預かってもらうことにした。まだ買って1年ちょっとしか経っていないのに(まあ、そんなもんなのかな)。もちろん、自転車屋はまだ開いていない。

世の中、お店はモール以外はほとんど閉まっているので、外食するのは大変だ。ムスリムのお手伝いの多くは規制するのだが、その点、我が家のお手伝いは帰省しないので、家にいる限り、食事は問題なし。例年どおり、今回のレバランでも、クトパッ(米を葉っぱに包んで蒸したもの)とカリ・アヤム(鶏肉カレー)を作ってくれた。クトパッは、言ってみれば、日本の正月の餅のようなものだ。


たまたま帰省しなかった我が家に出入りする若者たちと一緒に、「お正月特別料理」を楽しんだ。

祝日2日目の昼食は、サゴやしデンプンの団子入りスープである「カプルン」を作ってくれた。お手伝いは、南スラウェシ州北東部、今の北ルウ県で育ったため、彼女の作るカプルンはいつ食べてもおいしい。今回は、鶏肉のカプルン。いつもはミルクフィッシュ(イカン・ボル)を使うのだが、鶏肉のも変わらず美味だった。