インドネシア人看護士や介護士の問題は、様々なところで議論されているが、もし、日本人である自分がよその国で、そこの言葉を使う国家試験に受かれるかと考えれば、それはおそらく無理だろう。日本側にそうした想像力が欠けているのか。もしそれが分かっていて、そういう仕組みをインドネシア人看護士や介護士に課しているなら、それは「いじめ」みたいなものだろう。最近、インドネシアから看護士や介護士で日本へ行ってもしょうがないという人が急増しているそうだが、本音では来てほしくないのに、来ることになってしまったから柔らかに排除する、というような日本のやり方は、国際的に認知され納得されるとは思えない。誠意ある外交をしていることにはなるまい。
そんな状況で、看護や介護を受けている日本の方々は、残りの人生を楽しく生き生きと過ごしていこうと前向きになれるのだろうか。本当に元気になれるのだろうか。そういった方々の幸せを実感できるようにするのが、鳩山政権の公約だったのではないか。
ふと、発想を変えたほうがいいと思った。インドネシア人看護士や介護士が日本に行かないのであれば、日本で看護や介護を受けている方々がインドネシアへいらして余生を送ってはどうか。インドネシア人看護士や介護士は、接し方が丁寧で、日本のお年寄りの評判も上々と聞く。試験に不合格でインドネシアへの帰国を余儀なくされる看護士や介護士に、その経験をインドネシアで生かしてもらうのである。
そういうアイディアは、バリでもスラウェシでも、すでにいくつかあるのだが、日本人のお年寄りの様々な生活上のケアをきめ細かく行える体制作りに難があるようである。しかし、バリのように、すでに多くの日本の方々がセカンドハウスを持ち、バリ在住の日本人コミュニティが現地社会に溶け込んでいるようなところでは、ちょっと安易かもしれないが、何かうまくいきそうな気がする。
もっとシンプルにいえば、インドネシアに来て元気になって欲しいのである。インドネシアに移住しなくても、行ったり来たりしてもいい。そして、普通の日本のお年寄りと普通のインドネシアの人々が、何の色眼鏡も先入観もなく、互いに信頼し合えるような関係を作ることが、「友好」「親善」と口でいうより、援助をする・もらうというより、どんなに日本とインドネシアをつなげていくことか。それがどんなに日本の国益に有効であることか。
1 件のコメント:
私もときどきインドネシアに行って元気になりたい
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