2010年1月31日日曜日

ティニさんの食卓(1):揚げ焼きそば

新シリーズ「ティニさんの食卓」の始まり、始まり。

ティニさんは、私がマカッサルで1996年からお世話になっている家族同様の付き合いになっているお手伝いさんである。彼女の作る料理がとにかくおいしい!ということが私のマカッサル好きの真の理由かもしれない、といっても間違いではないかもしれない。


第1回は、揚げ焼きそば。Mie Goreng Kering, Mie Kering, Mie Titiなど、マカッサルでは様々な名前で呼ばれる揚げ焼きそば。

市内には、超有名店のMie Titi(本店はJl. Irianにあり、 パナクカン、Jl. Datu Museng、 Tamalanrea、バリ島デンパサールに支店がある)のほか、Mie Atomなど多くの揚げ焼きそばの名店があり、味を競っている。Ateng、 Floridaなど中華系の店では、豚肉入りが食べられる。マカッサルは、揚げ焼きそばも名物料理の一つである。

ティニさんの揚げ焼きそばは、 とろみがやや薄いスープ状の餡と軽く揚げた麺を絡ませて食べるもの。マカッサルの有名店とは異なる、軽さと上品な味付けが気に入っている。同じ揚げ焼きそばでも、違うものとして食べられる楽しみがある。

二重の虹


1月28日、雨空の中、朝の出勤途中の車の中から、西の空に二重の虹がかかっているのを見た。

上の写真ではくっきりしないが、下の虹の上に、うっすらともうひとつの虹がかかっていた。しかし、見えていたのはわずか1~2分間であった。

なかなか、決定的瞬間をうまく写真に収められないものだ。

2010年1月29日金曜日

密かに「プロジェクト」

マカッサルと本格的に関わり始めてから、もう14年。初めてきた頃と今では、様々なものやことが大きく変化していった。プラスに変化したものもあれば、マイナスに変化したものもある。その変化を14年という一連の流れの中で、見続けてこられたことを楽しく思う。

そして、自分とマカッサルやスラウェシとの関係性、付き合い方も少しずつ変わってきたような気がする。これからもそれは変わり続けていくことだろう。いや、変わり続けていくものなのだろう。

今年も迎えた「28歳」の誕生日。Facebookのfriendsが880人を超えると、ものすごい数のお誕生日おめでとうポスティングを受け取ることになる。一々返信していたら、えらい時間がかかってしまった。でも、そんなことがとても温かく感じ、きっと、世界中どこで暮らしても、彼らとの関係が途絶することはないだろうな、と不思議に安心してしまうのだ。

今、ささやかながら、マカッサルで自分がやってみたい「プロジェクト」(というほど大げさなものではないが)がある。しばらくしたら、その内容は明らかになるだろうが、それが新しい次の「プロジェクト」をさらに生み出していくようなことを期待している。それを、私がマカッサルとの関係性を(もちろんいい意味で)変容させていくための根幹にしたいと思っている。

何だか、書いている自分が訳分からなくなってくるような気もしないのでもないのだが・・・。

それにしても、錆びついたような古い感覚でこの社会と面と向かっている事例がまだあるのを見ると、恐ろしいほどの違和感を感じてしまう。新しい発想で自由に思い切り挑戦して始めた人たちを、Twitter(いやー、はまってきました!)で追いかけていると、世の中は確実に、私たちが思っている以上に、ずっと早く前へ動いていることを実感する。今日も知人が新しい夢への一歩を踏み出した。

2010年1月24日日曜日

エア・アジア、日本へ年内に就航か

Twitterで拾った情報。以下のサイトを参照。これが実現したら、すごい!

 激安航空、エア・アジア日本へ マレーシア便1万円も

アジアはますますボーダレスに向かうのか。既成概念にとらわれたアジア認識やアジア域内国への対応は、予想以上に早々と時代遅れになっていくかのような。

ガルーダ、機内でビザ発給を復活

ガルーダ・インドネシア航空は、成田発デンパサール行きGA881便の機内で、ビザの発給手続を2月1日から実施することになった。これにより、デンパサール空港で到着時ビザの発給のために行列する必要がなくなり、スムーズに入国できることが期待される。

このガルーダ機内でのビザ発給手続は、だいぶ前に行われていて、利用者から好評だったのだが、その後取りやめになっていたものを、今回復活するものである。

ガルーダ航空は、ここ数年、業績が好調で、同社の社長はインドネシアのビジネス誌で2009年マーケッティング・リーダーに選ばれた。機体の更新を次々に進めており、成田便も最新のエアバスA320になるという話である。このA320のビジネス・クラスはなかなかよく、食事もインドネシア・オリジナルの材料を使った独自メニューが供されるとのことだ。

落ち目のJALに対して、かつては評判の悪かったガルーダ航空がここで一気に優位に立ちそうな勢いである。

2010年1月23日土曜日

マカッサルの日々、再び開始

ジャカルタで一泊した後、1月20日深夜、マカッサルへ戻った。雨上がりでじめっとした空気のなか、不安は我が家の前庭の洪水だった。着いてみると、水は引いた後。1年越しで、ようやく、大通り脇の排水溝が掘られ、水が排水された様子。停電も解消されていて、ロウソクと一緒に夕食、という生活ともしばしおさらばとなった。

この間、自分なりに色々と考え、新しい吹っ切れた気分で、再び、マカッサルの日々をスタートできたような気がする。

昨晩は友人たちと夕食で、名物のマングローブ蟹を食べた。越前ガニを食べて日本を離れ、マングローブ蟹でマカッサルの生活を始める、ということになった。

2010年1月18日月曜日

一時帰国も終わりに近づき

いよいよ今日で一時帰国での日本滞在も最終日。ゆっくりと家族一緒に年末年始を過ごせたことをありがたく思う。月並みだが、家族と一緒にいられる幸せを満喫した。

時間は限られていたが、友人・知人・恩師にもお会いし、楽しい時間を過ごせたとともに、励ましをいただき、これからの活動に関する様々なヒントを得ることができた。

そして、どうしても、今回の一時帰国中にしたかったこと。それは、1年前に亡くなった後輩の墓参りであった。ある寒い日、しばらく電車に揺られた後、小高い丘の上の小さなお墓にお参りすることができた。誠実にまっすぐに生きたあなたの思いを、私は(勝手に)自分の中で受け止めながら、あなたの分までしっかり生きていく、と、ひとり墓前で誓った。

一昨日、福井に住む友人の家を訪ね、至福の楽しいひとときを過ごした。友人一家と越前ガニに大感謝。


2010年1月12日火曜日

「つながる」ということ

新年早々、テレビでも新聞でも「つながる」ということがあちこちで取り上げられている。コミュニティの再生、孤独死、キレやすい子供、様々な現象の背景に、人と人とがつながりを断ち、個々で生きていかなければならないかのような社会のなかで、これからどのように新しい人間的な社会を作っていくのか、というテーマがそうした番組や記事の背景にある。鳩山政権が掲げる「コンクリートから人へ」という標語も、そうした流れの中にある。

他方、自立あるいは自律ということも言われる。西欧社会を眺めながら、個の確立があって初めて自立・自律が可能になる、と、唱えられてきた。自分がしっかりしなければ、という強い気持ちが求められてきた。

でも、いつもは離ればなれの家族と久々に一緒に過ごしていると、とにかくぬくぬくと温かい気持ちになってくる。このもたれ合いの心地よさに言葉はいらない。

本当につながっているのならば、つながっていることを常に確認する必要は必ずしもないのではないか。また、時にはつながらない自由も必要なのではないか。

個々の人と人とのつながり以外に、人とコミュニティや地域や国家とのつながり、もっと広く言えば、ユニバーサルな世界社会とのつながり、といったもの(帰属意識と言ってもよいのかもしれないが)を基層的な部分で感じていることが、その個人にとって大事なことなのだろう。しかし、そうした基層的な部分を感じるときのアクセス・ポイントは、やはり具体的な誰かという個人ではないかという気がする。コミュニティや地域や国家や世界に対して「つながり」を感じるということは、それらに対する何らかの信頼に裏打ちされているのではないか。

そうした信頼を作っていくものは、日々の人と人との間の誠意あるコミュニケーションであろう。このコミュニケーション能力が本質的な部分で低下してきていることが問題なのだ。コミュニケーション能力は話し上手、聞き上手ということでは済まない。日頃のコミュニケーションの中で、相手や対象に対する深い想像力を養っていくことが重要なのではないかと思う。

物理的に「つながる」だけでは形式主義に陥る可能性がある。人間的というのは、自分以外の人や社会やコミュニティをどれだけ想像し、その存在を尊重(ときには尊敬)し、(鳩山首相が頻繁に使う)「思い」を深く抱けるか、そういう態度でコミュニケーションができるようになろうとするのか、ということにかかってくるのだろう。

人と人、コミュニティや社会をつなげるファシリテーションの役割は、ますます重要になるだろうが、それらを媒介するファシリテーター自身の人や社会やコミュニティに対する想像力と「思い」が問われてくるだろう。そして、ファシリテーションが特定の人のもつ技能として独占されることなく、すべての人や社会やコミュニティの在り方自体に体現されていくならば、いつの間にか、知らないうちに世の中が大きく変化してきたことに後付けで気付くのであろう。

休み中に色々考えている筆者の独り言である。ご容赦のほどを。

2010年1月8日金曜日

七草がゆ


テレビのニュースで、「1月7日は七草がゆの日」とアナウンサーが言っていた。まあ、それはいいとして、何はともあれ、やはり、七草には七草がゆ、である。

2010年1月6日水曜日

まどみちおさんの語り言葉は「詩」だった

新年早々、何冊かの本を読み、テレビのドキュメンタリー番組を観て、ハッとするような珠玉の言葉に出会うことが何度かあった。インドネシアで日本語に対する感受性が鈍っているせいか、とても新鮮な響きがする。きっと、日本にずっと居たら、そんな風には感じないのだろうけれども。

そのなかで、詩人・まどみちおさんを取り上げたNHKのドキュメンタリーのなかで、まどさんが語っていた言葉をここに揚げておく。私の備忘録も兼ねて。

「幸せとは、肯定的な気持ちを自分に対して持ち続けることなんですよ」
「他人に対して感謝の気持ちを持てれば、自分も他人も幸せになれるんです」

まどさんが番組の中で語っていた言葉は、すべて「詩」になっているように聞こえた。言葉の持つ力を改めて感じ入った。

2010年1月1日金曜日

2010年を迎えて

2010年を迎えた。昨年も、一昨年と同じように、様々な出会いがあり、別れがあった。そして、たくさんの方々にお世話になり、いろいろな場面で助けていただいた。私自身、無事に2009年を過ごすことができたのも、たくさんの方々のおかげであり、心から感謝申し上げたい。

さて、2010年を自分にとってどのような年にしていくか。2010年4月末でマカッサルでの業務の任期が終了することも踏まえて、今、いろいろなことを、「こんなのどうだろうか」とか「あんなのは面白いかも」といろいろ考えている。

いろいろ考えているうち、一つ挙げるならば、それは、国境などの様々な「障壁」と思われるものを超えて、普通の人どうしがごく普通につながれる社会が、日常の小さな出来事の積み重ねのなかから実現していってほしい、という気持ちである。映画『マス・エンダン』を観ながら、そんなことを思った。

日本・インドネシア関係においてだけでなく、様々な国の人々と様々な国の人々との間で。あるいは、一国の中の様々な人々と人々との間で。ミクロな個人的な経験や感情を大事にしながら。いとおしい相手をともに思いやる気持ちを持ちながら。

忠誠心を求める国家や組織のためにではなく、(たとえ地理的には遠くとも)自分にとって身近な普通の人々のために何かをしていきたい、そして、そんな仲間とつながって、一緒に何かを作り上げ、それが大きな広がりになっていくといいな、と夢想している。

そうした夢の幾ばくかでも、実現に向かって動き出せることを願いつつ。