2009年8月23日日曜日

日本軍政期のマカッサルの痕跡を訪ねて

1カ月ほど前になるが、7月半ば、マカッサルに生きた戦前・戦中の日本人の歴史を調べているW氏、M氏、A氏(戦時中にマカッサル民政部に勤務経験あり)とともに、A氏が作られた当時のマカッサル市内の地図を頼りに、日本軍政期のマカッサルの痕跡を訪ねて、市内を歩いてみた。

日本軍政下のマカッサル市政府ともいうべき民政部は、現在の私立ラジャワリ・カトリック高校(正面玄関はJl. Lamadukkeleng、裏がJl. S. Hasanuddin)にあった。もともとこの高校を日本軍が接収して民政部としたのだそうである。つまり、戦後、元の高校に戻ったということである。民政部の当時は1階建ての建物だった。

当時の初等学校春日小学校。今は第1アンカサ幼稚園になっている(Jl. Semangkaの一番北の角)。近くにあるハサヌディン広場は当時「第二広場」と呼ばれた。当時の「第一広場」は現在のカレボシ広場である。

日本軍政期のマカッサルには、戦後の様々な著名人がやってきていた。日銀総裁となった澄田智氏、衆議院議長などを務めた前尾繁三郎氏、京都府知事や参議院議員を務めた林田悠紀夫氏などなど。この家は、歌手として名高かった藤山一郎氏が住んでいた家で、A氏によると、当時とほとんど変わらない、そのままの状態だそうである。場所はJl. Dr. Sutomo(当時名は明石通り)にある。

当時の三笠会館は、今はSosiete de Harmoniと呼ばれるマカッサル文化芸術センターになっている(Jl. Riburane No.15)。この建物は、1990年代までは南スラウェシ州政府が投資調整局などの役所として使っていたが、市内の芸術関係者の強い運動の結果、オランダ植民地時代の文化芸術センターと同様の機能を復活させたものである。日本軍政期の三笠会館では、藤山一郎氏や、巡業で来ていた森光子さんがステージ上で公演し、大いに盛り上がったそうである。A氏によれば、ステージも客席も当時の雰囲気がそのまま残っている。現在、どうやら、内部を改装して、名実ともに文化芸術センターとして設備を整える様子である。

マカッサル市内で最も有名な公立高校であるマカッサル第1高校(Jl. G. Bawakaraeng。当時名は有明通り)。ここは、日本軍政期には、マカッサル師範学校であった。

残念ながら、多くの建物はすでに現存せず、痕跡すら残っていないところがほとんどである。それでも、丁寧に見て歩くと、まだ当時の様子を思い出させる光景に出会うようで、A氏の口からほとばしるように当時のエピソードが次から次へとあふれ出てくるかのようであった。

1 件のコメント:

BUP さんのコメント...

懐かしい画像を沢山、有難う御座います。
若し、宜しかったら、下記サイトの「地図」の「宿舎」と書いてある場所の画像など、お閑の節に載せて頂ければ有難いのですが。
敷島通りのペンション風の家と「w」と書いてある家ですが。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makassar/mks/matsuura.html
ついでの節で結構ですので。