2010年6月3日木曜日

充電期間もあと10日

4月末に帰国して以来、「充電期間」を楽しんできたのだが、それも残り10日となった。6月13日〜8月11日は、再び短期の仕事でインドネシアへ舞い戻る。ただし、今回は、マカッサルではなく、ジャカルタをベースとする業務。

今回の帰国を私は本帰国だと思っているのだが、東京の家族も知人たちも、誰もが一時帰国としか受け取ってくれない。「今回は少し長目の一時帰国だね」などと妻に言われたりする。

先週行った別府の立命館アジア太平洋大学や湯布院でも、東京でのいくつかの会合でも、インドネシアの現場がこの15年間で根本的な変化を遂げてきているということを話してきた。まだまだ稚拙ではあるが、インドネシア自身が自信をつけ、主体的に自分で考えて何かをやろうとする姿勢を見せるようになった。

会計監査が厳しくなり、予算執行の透明化が制度的に図られて、以前よりもみんなで汚職がしにくくなっていること。

大統領、州知事、県知事、市長の選挙がすべて住民の直接投票で行われ、しかも正首長候補と副首長候補がペアで候補にならなければならないので、宗教対立や種族対立の激しいところでは両者がペアリングしないと選挙に勝てない構造になり、それもあって地域紛争が大幅に減少したこと。

自前予算でセミナー出席や視察をするようになり、「金がない」といって援助機関にせびる傾向が減り始めていること。かつて筆者がセミナーを開催するときに、「自前予算があるから、交通費も宿泊費も出さないでくれ」とある地方政府高官に言われたことが記憶に残る。

地方政府が他の地方政府を気にするようになり、しかも、いい統治をすれば中央政府から様々な報奨制度で表彰されたりすることが首長の政治的ステータスを高めることになるため、逆に、自らがダメであることをアピールして中央資金を獲得しようとする地方政府が目立たなくなってきたこと。

10年前、地方分権化を目前にして「中央政府のガイダンスがなくなったら、どうしていいか分からない」と嘆いていた地方政府が、今や、やや強引で浮世離れしてはいるが、「我々の地域はこうやりたい」と堂々と主張するようになるとは、筆者は想像もつかなかった。

スハルト強権政治のもとで、「こうなってもらいたい」と思ったインドネシアのおぼろげな姿があったが、当時、その実現を絶望視していた。すべてが万事うまくいっているとは言わないが、あのおぼろげな姿に近づいていくような光景をインドネシアのあちこちで目にするようになった。

日本での「充電期間」中に、それをあちこちで語った。そして、変化するインドネシアを見ながら、我々がどう変化しなければいけないかを真剣に考える必要性を訴えてきた。そう、変わるべきは我々なのである。

変わるべきは我々・・・。昨日の鳩山首相の辞意表明をみながら、感じることがいろいろあった。おそらく変わろうとしたのだろうが、残念ながら変われなかった。変わる兆候を示せなかった。

少なくとも2年後、5年後にこう変わるために、今はここをこれをしなければならない。「変わらない」ように見えるけれども、遅くても5年後までにこう変わるのだ。そんな説明がもっと説得的に伝わればよかったのだが。

「インドネシアは2004年からユドヨノ政権の2期10年で、新たな黄金時代を迎える」と筆者は5年以上前に述べた。安定政権の支えを下に、様々な根本的な変化が現在進行中である。

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