2009年6月15日月曜日

アブラハムさんとカルンパン織

先週、6月7日に西スラウェシ州マムジュへ着いた後、かつて友人から会うように勧められていたアブラハムさんに会いに行った。その友人によると、アブラハムさんは、カルンパン織に関する研究を自前でしている方で、間もなくその成果を冊子にして出版するという話であった。

アブラハムさんと奥さん

カルンパン織というのは、西スラウェシ州マムジュ県のカルンパン地方で織られてきた織布のことで、インドネシア語ではイカット(ikat)と一般に呼ばれる。インドネシア東部地域は各地でイカットが織られ、日本ではとくに、バリ島のさらに東に広がる西・東ヌサトゥンガラ州各地(ロンボク、スンバワ、スンバ、フローレス、アロール、ティモールなど)のイカットが有名だが、スラウェシでも、それに類するイカットがこのカルンパンなどでみられる。

アブラハムさんにカルンパン織についていろいろ聞いてみるのだが、「これらの話はぜーんぶ、わしのこの冊子に書いてある」というばかりで、なかなか詳しく教えてくれない。アブラハムさんがその冊子を書き始めたのは1986年。彼によると、その後、マムジュ県政府に資金的な支援をお願いしたが、何も対応してもらえず、ようやく今年になって、県政府から補助が出たので、5冊だけ印刷し、州知事夫人、県知事夫人、その他県政府関係者に配る、ということだった。どうしてもそれを読んでみたい私は、資金提供するから、5冊分けてくれないか、とお願いした。聞くと、中スラウェシ州パルに住んでいる甥が印刷をしているとのことで、数日後、たまたまパルに出張した際に、甥に会ってお願いしてきた。

そんなアブラハムさんとのやり取りを見ていた彼の奥さんが、ニコニコしながら、いろんなものを取り出してきた。本来のカルンパン織は、自然のものを使って染色材料をつくり、実際に綿花を植えて棉を取って糸を紡ぐ。すべて自然にある素材で、2~3ヵ月かけて織り上げるのである。以下は、その染色素材である。


上の写真はタルン(tarung)と呼ばれ、根を染色素材として使う。黒色や紺色を出すために用いる。


上の写真はバン・クドゥ(bang kudu)と呼ばれる植物の葉だが、染色材料には根を使い、赤色を出す。


上の写真は綿の実。これは粒が二つずつ並んでいるが、第二次大戦の日本軍による占領時代には、粒が一列で小さい種類の綿の実があったという。



上の写真はパッリ(kayu palli)、下の写真はアロピ(kayu aropi)と呼ばれる木の一部で、いずれも色落ちを防ぐために使う灰の材料になる。


アブラハムさんの奥さんが手塩にかけて織り上げたカルンパン織である。

材料を山や森から取ってきて、加工して、2~3ヵ月かけて手織りして、という長い時間をかけて出来上がったカルンパン織には、独特の風格が感じられる。こうして織られた織布は、100年以上経ってもボロボロにならないという。一生ものといってもよい。

しかし、その時間がかかることを嫌がって、カルンパン地方の人々も、手っ取り早く換金できるカカオ栽培などへ転換していくケースが後を絶たないのである。なんとか、カルンパン織の伝統を守るために、若者たちの一部が、外国人がやってくるトラジャに店を出して、そこでカルンパン織を売ってお金にしているのである。トラジャでは、ランテパオの大通りに面した市場にあるTodi' Shopでカルンパン織を購入できるとともに、染色材料の展示や織りの実演なども行われている。

もっとも、カルンパンの人々は、民族的にはトラジャ族に含まれる。かつてトラジャでもこのようなイカットが織られていたのではないかと想像するのだが、確証はない。

スラウェシ中部の山岳地帯には、木の皮から服を作る技術を持った人々が現存しているが、そうした技術が現存しているのは世界中でスラウェシだけという話もある。カルンパンでも、まだ木の皮から服を作る技術が残っている様子だ。

カルンパンへは、マムジュからかなりの悪路を1日がかりで行かなければならない。カルンパンは、このイカット以外にも、実は考古学では有名な場所で、スラウェシでの人類のくらしの原初形態を知るための貴重な遺跡があるといわれているが、保存状態はよくない。

カルンパンへ行って、カルンパン織の材料を山や森に取りに行くところから、材料を作って、織っていく工程のすべてを追ってみたい衝動に駆られる。

自然の恵みから、2~3ヵ月かけて100年以上もつモノを作る・・・。それとは対照的に、欲望をかきたて、不要な需要を喚起させながら経済成長を焦る現代の薄っぺらさ。カルンパン織に込められた、時間というものの意味がずしっと重く感じられる。

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