大災難の後、何人もの友人たちがメールやら、電話やら、SMSやらを送ってきて、同情の気持ちや励ましの言葉を伝えてきてくれた。大災難といっても人災であり、私の過失は決してゼロでない、自分が甘かったのだ、とずっと自分を責め続けてしまうのだが、彼らはなぜそんなにも優しくしてくれるのだろうか、と感じ入った。
インドネシア人は無責任だ、とか、自分に甘い、とか、よく日本人である我々は批判しがちだが、今回ばかりは、その真綿に包まれるような甘さが、自分は一人ではない、他人が見守ってくれている、という安心感を与えてくれ、自虐的な行為に走らせずに済んだのかもしれない。
一人になっても強く生きていかなければならない、という生き方がある。でも、一人でいることの弱さを自覚してみんなで慰めあいながら生きていく、というような生き方を、誰も否定することはできないだろう。
彼らの励ましや同情に支えられながら、それに応えて、まだ、この場所で精いっぱい暮らしていこうという気持ちが起こり始めてきた。災い転じて福とする(福となる、ではなく!)。お手伝いのティニさんが「失ったものの何倍もの幸せが来るように」と祈ってくれた。
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