2009年8月15日土曜日

「あなたが安全でありますように」


車に乗ってマカッサルの街中を走っていたら、前方の車に「あなたが安全でありますように」と書かれたプレートが上部に掲げられていた。

この車は自動車教習車。こんなフレーズが書かれている、自動車教習車の後ろにはいたくない、と思ってしまう。

最近、自動車教習車が新しい車になってきた。そして、Ibu-Ibuが習っているのをよく見かける。

2009年8月9日日曜日

ジョグジャカルタの旅報告

夏休みで日本からやってきた家族とジョグジャカルタへ行ってきた。1日目はクラトンとプランバナン寺院、2日目はボロブドゥール寺院、3日目はクラトンとタマンサリ、という一般的なコース。


夕日に浮かぶプランバナン寺院。午後3時ごろから閉園の午後6時のギリギリまで園内でねばった。メインのシバ宮は修復中で立ち入り禁止になっていた。


プランバナン寺院公園の一番奥にあるセウ寺院。プランバナン寺院がヒンドゥー教建築であるのに対し、こちらは仏教建築。これらの寺院の修復作業を思うと気が遠くなる。いったい、修復作業は、人類が存在する間に終わるのだろうか、などと思ってしまうのだ。

ボロブドゥール寺院第2回廊のレリーフ。右側にアウトリガーのついた船、左側に高床式住居がみえる。教科書にも登場する有名なレリーフである。


この日は土曜日だったせいか、ボロブドゥール寺院を訪れた観光客の数は比較的少なかった様子。マカッサル保健大学校の一団と会った。プランバナン寺院では、ゴア県政府の「スタディーツアー」の御一行ともお会いした。


第1回廊のブッダの半生を描いた「仏伝記」のレリーフを1枚1枚、石井和子先生の小冊子を見ながら歩いていたら、第1回廊だけで約2時間半もかかってしまった。


ボロブドゥール寺院入口のワルンで昼食を食べていたら、いきなり目に入った青色のファンタ。初めて見たこの青ファンタは、ブルーベリー味とのこと。


ボロブドゥール寺院で見かけた注意書き。日本語訳がインドネシア語の表示の直訳でなかった。国民性を反映した深い意味のある意訳なのだろうか・・・。


クラトンで毎日曜日の朝に披露されるワヤン・オラン(人間が演じるワヤン)。1時間に短縮され、英語での説明がつく(よく聞き取れないけれど)。上写真は面をかぶった男性のダイナミックな舞いだった。その後の最後の男性2人の舞いでは、うち1人が日本人の男性という話。そう言われてみれば、サロンの柄がクラトンの通常のものと異なっていたが、舞い自体では気づかないほどの出来だった。



クラトン近くのタマンサリは、かつてジョグジャカルタのスルタンが水浴する女性を眺め、気に入った女性を呼び入れたといわれる場所。そこから地下通路があり、一説によれば、南海岸のパラントゥレテスまで通じていたとか。その地下通路は、10年以上前に来た時には崩壊したまま荒れ果てていたが、今はきれいになって、通れるようになっていた。上の写真は、地下通路の中にあるモスクで、5方向から階段が渡され、上の階でスルタンが、下の階で王妃たちがお祈りをしたといわれる。

ジョグジャカルタ滞在中に、多くの欧米人観光客に出会ったが、日本人観光客にはほんの少数しか出会わなかった。夜になるとタクシーを捕まえにくいほど、静かなジョグジャカルタの雰囲気にしばし浸れたのは良かった。そう、使っているインドネシア語もなんとなくマカッサルにいる時よりも丁寧な感じになっているのに気づいた(でも、ゴア県政府の訪問団に会ったとたんにマカッサル式に戻ってしまったのだ・・・)。

2009年8月3日月曜日

ただ今ジョグジャカルタ

東京から来た家族と一緒に、今日まで久々にジョグジャカルタに滞在していた。プランバナン寺院、ボロブドゥール寺院、クラトンなどをまわったが、なかなか面白かった。

明日3日、マカッサルへ戻る予定。しばしの休暇の後は、業務の日々が待ち受けている。

2009年7月26日日曜日

マムジュ行き航空便のチケット入手

日曜から2泊3日で西スラウェシ州マムジュへ出かける。前のブログで、ムルパティ航空が運航をやめてから航空便のチケット入手方法が不明と書いたが、結局、プリタ(Pelita)航空のチケットを入手できた。

入手場所は、市内から高速道路で空港へのアクセス道路にぶつかる交差点を左折し、旧空港のほうへ向かって左側の店舗兼住居(ルコ)にあるAnta Tourの支店の隣である。手前は小食堂で、その奥にプリタ航空のチケットを出してくれるお姉ちゃんがいる。

このお姉ちゃんに前もって電話しておくとよい(電話番号は0411-2897718)。

チケットはこのオフィスでも入手できるし、マカッサル空港で受け取ることも可能。空港に着いたら、プリタ航空のカウンターはないので、ムルパティ航空の空港オフィスに問い合わせることになるようだ。

日曜日のフライトは午前11時マカッサル発。

プリタ航空は、国営石油会社プルタミナの所有する航空会社で、基本的にはチャーター便を運航している。このマムジュ便もチャーター便扱いのようである。

なお、マムジュからマカッサルへの便は、マムジュで購入することになる。マムジュ・ビーチホテルの近くにあるPT Anugrah Antariksa Sejahteraという代理店に問い合わせるとよい(電話番号は0426-21670)。

東京ライスバーガーが8月1日オープン!


「東京ライスバーガー」が8月1日にソフト・オープンする。場所は日本料理レストラン「ニュー将軍」の2階。残念ながら、ソフト・オープンの日に私はマカッサルにいないのだが。

マカッサル空港から市内への連絡バス


マカッサルのスルタン・ハサヌディン国際空港から市内まで連絡バスが最近走り始めた。ルートは以下の通り。

空港→Jl. Perintis Kemerdekaan→Jl. Urip Sumoharjo→フライオーバー付近→Jl. G. Bawakaraeng→Jl. Kartini(カレボシ広場の南側)→Jl. Slamet Riyadi(中央郵便局付近)→Jl. A. Yani(カレボシ広場の北側)→Jl. Mesjid Raya→Jl. Urip Sumoharjo→Jl. Perintis Kemerdekaan→空港

要するに、高速道路には乗らず、通常の道路を走る。このルートは日中は渋滞になることもよくあるので、市内まで1時間程度は見ておいたほうがよい。ちなみに、高速道路を使えば、空港から市内までは約20~30分程度である。

料金は距離にかかわらず15,000ルピア。ちなみに、空港から市内までタクシーだと約10万ルピアである。

ただし、運行時刻はとくに決まっていないようだ。空港からは乗客が座席を埋めれば出発する、というスタイル。時間に余裕があれば、空港から乗ってみるのがいいかもしれない。ただし、市内から空港へ行くには、偶然バスが通りかかる時にしか使えないだろう。

停留所が決まっていないので、基本的には、降りたいところで降りればいいし、乗りたいところで乗ればいい、のだろう。降りるときには、車掌に「キリ」(左)と告げれば、バスが止まってくれるはず。

ちなみに、このバスのルートに最も近い4つ星ホテルは、カレボシ広場すぐそばのHotel Singgasanaである。ちょうどホテルの前をこのバスが通る。そう、このバスは、我が家の前も通るのであるが・・・。

2009年7月18日土曜日

ジャカルタ米系ホテル爆破事件

7月17日朝、ジャカルタの2つの米系高級ホテルが何者かにより爆破され、外国人を含む9人が死亡するという痛ましい出来事が起こった。2004年9月の豪大使館前の爆破事件以来、インドネシアもしばらくこの手の事件から遠ざかっていたのだが、残念ながら、5年後に起こってしまった。

ユドヨノ大統領が珍しく、感情を露わにしながら演説していたのが印象的であった。しかも、国家情報庁の公式情報として、自身を殺害の標的にしているグループの存在さえも明らかにした。そのグループと今回の事件との関連を明示したわけではなかったようだが、その発言のなかに「私が大統領になることを実力阻止しようとしている者がいる」「これまでに人を殺めたり、消したりしたにもかかわらず、いまだに法の裁きも受けずにいる者がいる」という表現があったことがとくに注目される。

世界的な景気後退のなかで、数少ないプラス成長が見込まれるインドネシアが、国際社会からの注目を失うことはないと信じるが、インドネシア自身がイメージ回復のための懸命の努力をし、また事件再発防止のために真相の徹底解明を行っていくことを願いたい。私も、微力ではあるが、スラウェシ情報を通じてインドネシアの魅力を伝えながら、イメージが悪化しないように一役買いたいと思っている。

2009年7月17日金曜日

ムルパティ航空、マムジュ便から撤退

西スラウェシ州マムジュへの出張計画を立てていたら、エージェントから、ムルパティ航空が7月1日からマカッサル=マムジュ便を廃止している、との連絡を受けた。そしてさらに調べると、代わりにプリタ航空が7月1日から同路線を運航しているということであった。

国営石油会社プルタミナの子会社であるプリタ航空は、基本的にチャーター便の会社で、一時、ガルーダ航空などのように定時運航便を各地へ飛ばしていたが、また、チャーター便のみに戻っていた。そのためか、エージェントに聞いても、どこでプリタ航空のマカッサル発マムジュ行きのチケットを買えるのか、情報が取れない。指定された電話番号へかけると、「まだ電話が設置されていない」と応答され、マカッサル空港に連絡電話番号を問い合わせると、まだ電話番号はない、と言われる始末。

それでも、マムジュでムルパティ航空のチケットを売っていたエージェントに連絡すると、ムルパティの時と同様に、プリタ航空のチケットが買えるとのこと。この路線は、どうやら、やはりチャーター便扱いのようだ。

しかたないので、しばらく情報収集に努めてはみるが、飛行機は飛んでいるのに、どうやってチケットを購入すればいいかわからない行先・マムジュを州都とする 西スラウェシ州は、本当に外に対して自分を売り込む気があるのか、と思ってしまう。もっとも、役人が移動する際には飛行機が必要だろうから、彼らには情報が流れているだろうし、チケットの便宜も図られているのだろうけれど。

2009年7月14日火曜日

Ya Kun Kaya Toast、マカッサルにも登場


シンガポールの有名なカヤ・トーストの店Ya Kun Kaya Toast。東京の豊洲にも支店があるが、最近は、ジャカルタのショッピング・モールなどにどんどん出店している。と思ったら、マカッサルにも支店がオープンしていた。

場所はパナクカン・モールの、ハイパーマートの入っている建物から横断通路を通ってカルフール側に曲がる角の所にある。

ここのカヤ(ココナッツ+卵+砂糖をこねたジャムのようなもの)は白っぽい色をしているが、マカッサルのプーナム・コーヒーハウスやプルナマという銘柄のカヤは茶色っぽい色をしている。前者が白砂糖、後者がヤシ砂糖を使っているからである。濃厚さという点では、マカッサルのカヤに軍配が上がる。

プーナム・コーヒーハウスの支店もこのYa Kun Kaya Toastのすぐ近くにあるので、ハシゴして、食べ比べてみるのも面白いだろう。

国家予算実施報告、新聞紙上に

昨日(7/13)付けのKOMPAS紙。数字ばっかりの全面広告かと思ってみたら・・・


大蔵大臣名で告知された、2008年度国家予算の実施報告だった。私の知る限り、こんなことがインドネシアで起こったのは初めてである。

もっとも、法律では、報告を公開することが義務付けられていたと記憶している。

かつては、インドネシアの国家予算に関する情報は機密情報扱いされていて、予算書を入手することは困難だった。そこで、予算書を借りて、内緒で表紙以外のページをコピーする、といった芸当をやらなければならなかった、と聞く。

でも、日本において、全国紙の新聞に国家予算の実施報告が掲載されたという記憶はない。もしかしたら、国家予算に関する国民への情報公開という点では、インドネシアのほうが先を行っているのではないだろうか。

2009年7月11日土曜日

パニンクル!3周年記念行事

マカッサルで3年前に産声を上げた市民ジャーナリズムの運動は、少しずつだが着実に広まりつつある。彼らは、3年前、インドネシア語で「交差点」を意味するパニンクル!(panyingkul!)という市民ジャーナリズムのネットワークを立ち上げ、「普通人のジャーナリズム」と銘打った、ウェブを活用した市民ライターの投稿による活動を進めてきた。韓国で始まったオーマイニュースのインドネシア版、でもあった。

パニンクル!のサイトは、そうした過去3年間の普通人の投稿で埋まっている。興味のある方はこちらを参照してほしい(ただしインドネシア語)。実は、私も過去数回、投稿して掲載されたことがあるので、パニンクル!市民ライターに末席ながら含まれている。

PANINGKUL! Jurnarisme Orang Biasa

パニンクル!は毎年、過去1年間の投稿の中から選抜した投稿を1冊の本にまとめて出版してきた。また、私もかつて、1年間、彼らから推薦された投稿を1ヵ月に1回、日本語に翻訳し、『アジ研ワールドトレンド』に連載した(本ブログの右側リンクから連載を読むことが可能。ただしPDF形式)。さらに、今年は、常連投稿者の中から、過去の投稿をまとめて本として出版する者が2名出た。

うち1名は大学4年生で、卒業論文とは別に、出版した本を指導教官らにプレゼントするのだという。通常、卒業試験の際には、指導教官に感謝の気持ちをこめた「パーセル」と呼ばれるお菓子の詰め合わせなどを送るのが習わしになっているそうだが、彼女はその代りに自分の本を進呈するのである。

こんないろいろな動きが3年間で起こってきているパニンクル!が、3周年記念行事として、以下のようなイベントを企画している。

・Panyingkul! Water Sanitation Carnival
7月11日(土)15:00-, Anjungan Losari, Makassar

・Temu Penulis Makassar dan Promo Ubud Writers and Readers Festival 2009(マカッサル市民ライターの集いと2009年Ubud Writers and Readers Festivalの宣伝)
 7月12日(日)16:00-18:00, GRUNGE JAZZ CAFE, Jalan Kasuari 16, Makassar

・Workshop Citizen Reporter Panyingkul!
 7月20日(月)9:30-16:00, Acacia Room, HOTEL CLARION Makassar

・International Seminar: Indonesia-Japan Relationship From Citizens' Perspectives and Personal Archiving as A New Lifestyle in Digital Era
 7月21日(火)9:30-16:00, Hotel Clarion, Makassar
 講演者:倉沢愛子さん(慶大教授)、Dr. Stephen Donovan (Upsala Univ, Sweden)、脇田清之さん(スラウェシ島情報マガジン主宰、日本=スラウェシ関係史)。国際交流基金の支援を受けた行事。

私も仲間の一員として、パニンクル!の今後の展開を温かく見守り、そして、ささやかながらも引き続き、この運動に関わっていきたいと思っている。

2009年7月10日金曜日

大統領選挙終了

7月8日、インドネシアの正副大統領選挙は、大きな混乱なく、終了した。投票日の二日前に、投票人として登録されていない有権者が身分証明書と家族カードを持参すれば投票できる、という決定を憲法裁判所が急遽決定した、ということを除けば、の話ではあるが。

開票はまだ続き、7月22日頃に総選挙委員会から正式発表がある予定だが、マスコミ各社の開票速報や出口調査では、ユドヨノ=ブディオノ組が60%前後の得票率で当選確実となった。50%以上の得票率の候補ペアがいない場合には、上位2組による決選投票となるが、今回は1回で決まりそうだ。

現職のユドヨノ大統領の再選、という予想通りの結果になったが、興味深い点も多々ある。今日、LSIのSaiful Mujaniが「性別、地域、種族、宗教、宗教組織といった原初的な要素が、もはや有権者の投票行動に影響を与えることはなくなった」「それを打ち壊したのは有権者自身だった」とコメントしていた。

優勢のユドヨノ=ブディオノ組は、どちらも東ジャワの出身で、当初、カラ=ウィラント組から「俺たちは州知事選挙をやっているんじゃない」と揶揄されたが、結果はジャワ=ジャワでも圧倒的に優位だった。2004年の大統領選挙の際には、ユドヨノ=カラはジャワ=外島のコンビだから強い、と言われたものだったのだが。

イスラム・ファクターも、4月の議会選挙でも、今回の大統領選挙でも、前面に出ることはなかった。NUやムハマディヤの指導者たちがカラ=ウィラント組への支持を表明しても、それら組織の一般信者の投票行動に大きな影響は与えなかった。

インドネシア政治を見るうえでジョーシキとされてきたイスラム、ジャワ=外島、といった要素が選挙で効かなくなった、ということなのか。候補者の人物や公約の中身、候補者討論会での立ち振る舞い、などがむしろ影響を与え、人物本位で選ぶようになった、ということかもしれない。

もっとも、ユドヨノ自身に失態となるような大きなマイナス点がなかったことが「なぜ大統領を代えなきゃいけないのか」という素朴な疑問を有権者に広く引き起こしていたのだろう。

不思議なのは、ナングロ・アチェ・ダルサラーム州でユドヨノ=ブディオノ組が9割を超える得票率で圧勝しそうなことである。対照的に、アチェ和平の実現に多大な貢献をしたと自他ともに認めるユスフ・カラが、ほんのわずかの支持しか得られなかった。でも、カラの組んだ相手は、アチェでの軍事行動を指揮したウィラント元国軍司令官だったのが痛かった。

これから5年間、本当に新しいインドネシアに生まれ変わっていくのか。ちょっと期待を抱かせるような有権者の投票行動であった。

2009年7月8日水曜日

向こう100年は無理・・・

7月4日、大統領選挙ポスターが翌日には撤去されるというので、急いで写真を撮りに出かけた。でも、正直言って、あまり面白いポスターはなかった。

我が家の近くで見かけた文字だけのこのポスター。


「向こう100年、東部地域から大統領候補が出るのは無理。あなたの選択が絶好のチャンス!」と書かれているJK-Wiranto組を支援するポスターである。100年とはちょっと大げさな、という感じがする。


地元の英雄スルタン・ハサヌディンとシャー・ユスフに見立てたポスターもあった。

もう一つ。


これは選挙ポスターではないが、JK-WirantoのスローガンであるLebih Cepat Lebih Baikがスズキの名前と一緒に貼り出された垂れ幕。イスラム大学の新規学生登録を呼びかける垂れ幕である。もっとも、この大学のオーナーはユスフ・カラ副大統領の家族である。

2009年7月6日月曜日

カレボシ・リンクのKOSI-COZY

マカッサルの中心部に位置するカレボシ広場。ここがマカッサル発の道路距離の起点となっている。カレボシ広場にまつわる伝説については、次の読み物を読んでみてほしい。


かつては雨季の巨大な貯水池の役目さえ果たしていたカレボシ広場だが、数年前から一大工事が行われ、地下に駐車場を含むショッピングセンターができた。できた当初、雨水が大量に地下に入り込んで、大騒ぎになり、それ以来、しばらく誰も地下へ行こうとしなかったのだが、市役所が高校生を地下へ招待して宣伝に努め、今では、すっかりきれいな地下ショッピングセンター、「カレボシ・リンク」となった。

このカレボシ・リンクの中に、KOSI-COZYという名のフードコートがある。先日初めて行ってみたら、ちょうど金曜礼拝の昼だったので、ガラガラにすいていた。


ふだんのようにフードスタンドに行って注文し、お金を払おうとすると、「現金は受け付けない」というのだ。そう、ここでは、フードコートに入ったら、会計所でクレジットカードのようなプリペイド・カードを買わなければならないのだ。

5万ルピアでも、10万ルピアでもよく、最高50万ルピアまで受け付けるとのこと。このカードをフードスタンドに持って行き、注文したものの代金を引き落とす。足りなくなりそうになれば、また会計所に出向いて、お金を払って資金を追加するのである。この形式は、おそらくマカッサルではここが初めてで、他にはまだないだろう。

いろいろなフードスタンドがあるが、私が今回食べたのはチキンライス(Nasi Tim Ayam)。実は、最近行きつけのTan Restaurant(唐人之家)のスタンドだった。その横は、よく汁なし海老そばを食べるMie Udang Singaporeのスタンド。割と最近はやり目の店のスタンドが入っているとみた。


このチキンライス、なかなかのお味。Jl. TimorのSingaporeのチキンライスと比べても、遜色のない味である。チキンライスといえば、昔、Jl. TimorにあったPintu Duaという小食堂のそれが懐かしい。そのチキンライスはJl. Sulawesiのワンタン麺屋で味わうことができる。


2009年7月5日日曜日

写真集:南スラウェシ1357km



我が家に出入りしている若手写真家の集団PERFORMAが、一味違った写真集を出版した。

PERFORMAに所属する17人の若手写真家が2008年1月に、約1カ月間、各自オートバイに乗って、一緒にツーリングしながら、南スラウェシ各地の様々な光景を写真に収めた。このときの走行距離が1357kmだったことから、この題名がついた。2008年6月にそれら写真の展覧会を開催した後、撮られた写真を厳選し、この写真集が出版された。

写真集は、風景、人々の営み、社会文化、子どもたちの各カテゴリーに分かれ、それぞれに関して、写真に加えて、その背景となる説明がインドネシア語・英語の両方で書かれている。

この写真集は、観光を目的とした写真集でもなければ、有名写真家が芸術性を追い求めた写真集でもない。しかし、若手写真家たちがフツーの一人の若者の視点から、そこにある対象をありのままに切り取り、変な脚色なしに、ありのままに捉えようとしたものである。そのため、逆に、この地のフツーの景色や人々の息づかいがそのままストレートに伝わってくるような印象を受ける。日常との距離感をあまり感じない写真集なのだ。

マカッサルに来られた方々に是非、とお勧めできる写真集である。ハードカバーで1冊12万5000ルピア(約1200円)。一般書店では売られていないので、ご希望の方は私のアドレスまでメールにてご連絡されたい。

2009年7月4日土曜日

マカッサルの新型インフル被疑者は陰性

7月3日、Lion Airの乗務員8人が新型インフルかどうかを確認するため、マカッサル市内のハサヌディン大学医学部ワヒディン病院に出向き、一時隔離された。同病院での検査の結果、全員が陰性と診断され、7月4日、退院した。

Lion Airのこの便は、ジャカルタ=マカッサル=ジャヤプラ往復の便だが、ジャカルタからジャヤプラへ向かう乗客の中に、タイのバンコクから帰国した乗客がおり、ジャヤプラ空港で発熱の症状が現れた。この乗客はジャヤプラの病院に入院しているようだが、新型インフルの可能性を懸念した乗務員8人が、ジャヤプラからの折り返しの際に、自主的にマカッサルで検査を受けた、ということである。

インドネシアでも、今週に入ってジャカルタ、デンパサール、メダンで新型インフル感染者が出たと報道されている(12人?)。ただし、今はまだ雨季から乾季への変わり目で、毎年、体調不良やインフルエンザの症状の出る人たちが多くなる時期でもある。

今回の騒動、報道内容を信じたいところだが、本当はどうなのか、とやはり気になってしまうのだ。

GA便の時間変更(8月1日~)

ガルーダ・インドネシア航空のジャカルタ=マカッサル=クンダリ往復のGA604/GA605便の時刻が8月1日から変更になる。

(~7月31日)
GA604: Jakarta 10:35 = Makassar 13:55 / 14:35 = Kendari 15:25
GA605: Kendari 16:05 = Makassar 16:55 / 17:35 = Jakarta 18:50

(8月1日~)
GA604: Jakarta 05:30 = Makassar 08:50 / 09:30 = Kendari 10:20
GA605: Kendari 11:00 = Makassar 11:50 / 12:30 = Jakarta 13:45

この変更は、クンダリ空港の滑走路延長工事によるものとみられる。

この変更により、マカッサルからジャカルタへGA便の直行便で出る場合には、マカッサル15:45発のGA603便が最終となる。もっとも、マカッサルからデンパサール経由でジャカルタへ出ることも可能で、その場合にはマカッサル16:30発のGA621便でデンパサールへ出てジャカルタ行きへ乗り継ぐことになる。

ちょっと前までは、マカッサルからジャカルタへ出るのに、クンダリから来る夕方17:35発の便ともう一本遅い19:00発の便があったのだが、19:00発の便はすでに廃止されている。もちろん、他社便ならば、マカッサル夜発ジャカルタ行きの便が何本でもあるのだが。

2009年7月3日金曜日

大統領選挙ポスター


「より早ければ、より良い」(Lebih Cepat, Lebih Baik)の標語で大統領選挙を戦ってきたカラ=ウィラント組。マカッサルはカラ氏のおひざ元ということもあって、マカッサルでは勝って当たり前の雰囲気である。

その向こうを張って、ユドヨノ=ブディオノ組が「より的確なら、より良く、より安泰」(Lebih Tepat, Lebih Baik, Lebih Amanah)というポスターを張り出した。通勤途中の、ちょうどテロ発電所の前では、その両方のポスターが張られていたので、写真を撮った次第である。

後継機TZ-6で撮った最初の写真である。

2009年6月29日月曜日

翼の向こうに夕陽が沈む


6月10日、パルからマカッサルへ向かう飛行機の翼の向こうに夕陽が沈んでいく・・・。私の隣の席の男性がデジタル一眼を持ち出し、「夕陽を撮りたい」と乗り出してきて撮ったのだが、それにつられて、私も1枚撮った次第。

乾季と雨季で景観が大きく変化するスラウェシ島。飛行機に乗ると、必ず窓際の席に座り、美しいこの島の景観を空の上から堪能しようとする。同じルートを何度飛んでも、飽きることはない。もちろん、雲が湧いて何も見えないことも多々あるのだが・・・。

数々の思い出の写真を映してきた愛しの名機Fuji Finepix F30。このとき、この名機と、今月中にお別れすることになるとは思っていなかった・・・。

2009年6月21日日曜日

イベント情報:ScreenDocs! Travelling 2009


毎年恒例、インドネシア全国をまわる国内外の連続最新ドキュメンタリー映画上映会『ScreenDocs! Travelling』が、今年もマカッサルで開催される。もちろん、会場はCafe Baca Biblioholic、すなわち我が家の一角である。

期間は6月24日(水)~26日(金)、毎日午後2~9時。入場料は無料。

期間中に「トランスジェンダー」と「人権」をテーマとした17本のフィルム上映を行うほか、アメリカ・カリフォルニア州出身のドキュメンタリー映画監督のKathy Huang氏による「ドキュメンタリーフィルム紹介」、インドネシアのドキュメンタリー映画監督・製作者のChandra Tanzil氏による「ドキュメンタリーフィルムの調査とプロポーザル」の2本のワークショップも開催される。

主催はInDocsとRumah Ide Makassar。今年はどんなドキュメンタリー映画に出会えるのだろうか。

2009年6月20日土曜日

災い転じて福とする

今週は、とんでもない大災難が起こって、パニック、ショック、絶望、という気持ちに久々になってしまったが、ここにきてようやく精神的にも落ち着いてきた。そういうことが起きるときというのは、後から振り返ると、いつもとは違う何らかの兆候があるものである。その日は、朝、気持ちは元気なのに、何となく体にだるさを感じて、頭がシャキッとならないままだったのだ、と思いだす。

大災難の後、何人もの友人たちがメールやら、電話やら、SMSやらを送ってきて、同情の気持ちや励ましの言葉を伝えてきてくれた。大災難といっても人災であり、私の過失は決してゼロでない、自分が甘かったのだ、とずっと自分を責め続けてしまうのだが、彼らはなぜそんなにも優しくしてくれるのだろうか、と感じ入った。

インドネシア人は無責任だ、とか、自分に甘い、とか、よく日本人である我々は批判しがちだが、今回ばかりは、その真綿に包まれるような甘さが、自分は一人ではない、他人が見守ってくれている、という安心感を与えてくれ、自虐的な行為に走らせずに済んだのかもしれない。

一人になっても強く生きていかなければならない、という生き方がある。でも、一人でいることの弱さを自覚してみんなで慰めあいながら生きていく、というような生き方を、誰も否定することはできないだろう。

彼らの励ましや同情に支えられながら、それに応えて、まだ、この場所で精いっぱい暮らしていこうという気持ちが起こり始めてきた。災い転じて福とする(福となる、ではなく!)。お手伝いのティニさんが「失ったものの何倍もの幸せが来るように」と祈ってくれた。

2009年6月15日月曜日

アブラハムさんとカルンパン織

先週、6月7日に西スラウェシ州マムジュへ着いた後、かつて友人から会うように勧められていたアブラハムさんに会いに行った。その友人によると、アブラハムさんは、カルンパン織に関する研究を自前でしている方で、間もなくその成果を冊子にして出版するという話であった。

アブラハムさんと奥さん

カルンパン織というのは、西スラウェシ州マムジュ県のカルンパン地方で織られてきた織布のことで、インドネシア語ではイカット(ikat)と一般に呼ばれる。インドネシア東部地域は各地でイカットが織られ、日本ではとくに、バリ島のさらに東に広がる西・東ヌサトゥンガラ州各地(ロンボク、スンバワ、スンバ、フローレス、アロール、ティモールなど)のイカットが有名だが、スラウェシでも、それに類するイカットがこのカルンパンなどでみられる。

アブラハムさんにカルンパン織についていろいろ聞いてみるのだが、「これらの話はぜーんぶ、わしのこの冊子に書いてある」というばかりで、なかなか詳しく教えてくれない。アブラハムさんがその冊子を書き始めたのは1986年。彼によると、その後、マムジュ県政府に資金的な支援をお願いしたが、何も対応してもらえず、ようやく今年になって、県政府から補助が出たので、5冊だけ印刷し、州知事夫人、県知事夫人、その他県政府関係者に配る、ということだった。どうしてもそれを読んでみたい私は、資金提供するから、5冊分けてくれないか、とお願いした。聞くと、中スラウェシ州パルに住んでいる甥が印刷をしているとのことで、数日後、たまたまパルに出張した際に、甥に会ってお願いしてきた。

そんなアブラハムさんとのやり取りを見ていた彼の奥さんが、ニコニコしながら、いろんなものを取り出してきた。本来のカルンパン織は、自然のものを使って染色材料をつくり、実際に綿花を植えて棉を取って糸を紡ぐ。すべて自然にある素材で、2~3ヵ月かけて織り上げるのである。以下は、その染色素材である。


上の写真はタルン(tarung)と呼ばれ、根を染色素材として使う。黒色や紺色を出すために用いる。


上の写真はバン・クドゥ(bang kudu)と呼ばれる植物の葉だが、染色材料には根を使い、赤色を出す。


上の写真は綿の実。これは粒が二つずつ並んでいるが、第二次大戦の日本軍による占領時代には、粒が一列で小さい種類の綿の実があったという。



上の写真はパッリ(kayu palli)、下の写真はアロピ(kayu aropi)と呼ばれる木の一部で、いずれも色落ちを防ぐために使う灰の材料になる。


アブラハムさんの奥さんが手塩にかけて織り上げたカルンパン織である。

材料を山や森から取ってきて、加工して、2~3ヵ月かけて手織りして、という長い時間をかけて出来上がったカルンパン織には、独特の風格が感じられる。こうして織られた織布は、100年以上経ってもボロボロにならないという。一生ものといってもよい。

しかし、その時間がかかることを嫌がって、カルンパン地方の人々も、手っ取り早く換金できるカカオ栽培などへ転換していくケースが後を絶たないのである。なんとか、カルンパン織の伝統を守るために、若者たちの一部が、外国人がやってくるトラジャに店を出して、そこでカルンパン織を売ってお金にしているのである。トラジャでは、ランテパオの大通りに面した市場にあるTodi' Shopでカルンパン織を購入できるとともに、染色材料の展示や織りの実演なども行われている。

もっとも、カルンパンの人々は、民族的にはトラジャ族に含まれる。かつてトラジャでもこのようなイカットが織られていたのではないかと想像するのだが、確証はない。

スラウェシ中部の山岳地帯には、木の皮から服を作る技術を持った人々が現存しているが、そうした技術が現存しているのは世界中でスラウェシだけという話もある。カルンパンでも、まだ木の皮から服を作る技術が残っている様子だ。

カルンパンへは、マムジュからかなりの悪路を1日がかりで行かなければならない。カルンパンは、このイカット以外にも、実は考古学では有名な場所で、スラウェシでの人類のくらしの原初形態を知るための貴重な遺跡があるといわれているが、保存状態はよくない。

カルンパンへ行って、カルンパン織の材料を山や森に取りに行くところから、材料を作って、織っていく工程のすべてを追ってみたい衝動に駆られる。

自然の恵みから、2~3ヵ月かけて100年以上もつモノを作る・・・。それとは対照的に、欲望をかきたて、不要な需要を喚起させながら経済成長を焦る現代の薄っぺらさ。カルンパン織に込められた、時間というものの意味がずしっと重く感じられる。

2009年6月14日日曜日

ジャカルタ、土曜の午後

久々のジャカルタでの土曜日。午前中は仕事だったが、昼食後はマカッサル行きの夜便まで時間がある。そこで、今回は、国立博物館で開催中の『スマトラの宝』展(Treasures of Sumatra)をみて、その後、お気に入りのMie Ayam(鶏そば)を食べることにした。

『スマトラの宝』展は、国立博物館が所蔵しているスマトラ関係の展示物を中心に、その他からの展示物を組み合わせ、スマトラの歴史文化をひと通り追えるように構成されていた。内容的に目を見張るものはとくになかったが、概要としてはまあこんなものなのかもしれない。1点だけ感想を言うとすれば、スマトラの歴史や文化に対する外からの影響を強調する一方で、スマトラ自身が本来的に持っていた土着の歴史文化に対する視点がやや弱いとの印象を持った。まあ、これは仕方がない面もあるだろう。2時間かけて、ゆっくりと見学した。受付であらかじめ頼んでおくと、展示品を解説したパンフレットを帰りに購入できる(10万ルピア)。開催期間は6月8日~9月8日である。


博物館の後は、トランス・ジャカルタに乗って、コタへ。グロドックにあるMie Ayam Pinangsiaは、もう20年近く通い詰めているお気に入りの麺屋の一つ。夕方5時に閉まるので、ちょっと気を揉んだが、4時半に到着して、Mie Ayam Pinangsia(特製鶏そば)にワンタンとバソ(牛肉団子)を合わせた、いつも注文するメニューを食べた。「特製」というのは、味をしみ込ませた鶏肉とマッシュルームが具として麺の上に乗っているからである。


ジャカルタの汁そばの麺は、一般に細いが、マカッサルのは太麵である。それぞれに味わいがあるのだが、ここのは、ワンタンもバソも手を抜くことなく上手に作ってある。ほかにお勧めなのは、ナシ・チャンプル(ジャカルタで一般的な「ナシ・ラメス」とはこの店では言わない)。これには、チャーシューや豚肉のサテが加わり、スープには牛肉団子が入る。

ジャカルタでのある土曜の午後のひとときである。

2009年6月13日土曜日

BBBからお試し投稿

ジャカルタに1泊2日で来ている。試しに、愛用のBBBからブログに投稿してみる。果たしてうまくいくのだろうか。

それにしても、今週は移動続きで、きつかった。しかも、昼食がとれなかった日が何日かあったし。昨日は、夜7時半まで会議で、その後、ダッシュでTIMへ向かい、パパ・タラフマラの公演を観賞したので、夕飯は深夜、カキリマでナシ・ゴレンとなってしまった。

パパ・タラフマラは、とにかくこれでもかと言う感じで動き回り、楽しかった。昔よりずいぶんと内容が分かりやすくなった印象をもったが、それは単に歳をとったということなのかもしれない。


2009年6月6日土曜日

サゴやし食品のプロ、我が家に登場!

インドネシアのヘルシー食材「サゴやし」については、これまで何度か私のブログで取り上げてきた。一応、おさらいをすると・・・。

ジャヤプラの味「パペダ」
パペダとクラディ
クンダリの地元料理を食べる
マサンバのバゲアは一味違う

そして今日、サゴやし研究を続けている旧知のO教授らと一緒に、日本のサゴやし食品のプロ「こうちゃん」が我が家に登場! 来るなり、台所に直行し、彼のリクエストを受けて「カプルン」を調理中の我が家のお手伝い・ティニさんの仕事を観察し始めた。

そして、熱せられたサゴやし澱粉を箸を使ってクルクル回して団子にする工程に挑戦。


じっと様子をみていたティニさんの息子も参戦。


できあがったカプルンは、ちょっと大人数だったので、今日は青い大きなボウルに入れられて、食卓へ。こうちゃんは、青い大きなボウルに入れられて出てきたので、ちょっとびっくりの様子。


そして、皆さんと一緒に、カプルンを味わった。「うまい、うまい」と連呼しながら、皆さん、山盛り2杯を召し上がった。


一行は、明日から数日間、O教授が長年関わってきたサゴやしを生産しているルウ地方の村を訪問する。

サゴやしは、ノンコレステロールのヘルシー食材だが、実はアレルギー源のない、唯一といっていい食材でもあるそうで、すでに、日本でも病院食や機内食などで重用されている。こうちゃんの会社は、アレルギーのある子どもたちが安心して食べられる食品を作っている。今回は、スラウェシのサゴやしの様子を実際に視察して、今後、サゴやしの活用をもっと大きく展開できるかどうかを探るためにやってきたようである。

参考までに、こうちゃんの会社のホームページとブログをお知らせしておく。

辻安全食品
ブログ「こうちゃんねる」

スラウェシのサゴやしが日本のアレルギーに悩む人々を助けられるかもしれない、なんて考えただけでもうれしくなる。

そしてサゴやしは、それ自身に浄化作用があり、肥料なしでも成育するのである。サゴやしの生態については、まだ科学的な調査が十分には進んでいないと聞く。

数万年前から現在まで、生産・加工技術がほとんど変わっていない不思議な植物がこのサゴやしである。しかし、現場では、「サゴやしを食べるのは時代遅れで格好悪い」という風潮が根強く、米中心の食生活への転換が急速に進んでいる。

1本の幹に大量の澱粉を貯蔵したまま大地に立っているサゴやしは、自然の食糧貯蔵庫といってもよい。生い茂るサゴやしの葉の密集度は、熱帯雨林にも引けを取らず、二酸化炭素吸収量も同じぐらい高いとも言われる。

地球上で将来の食糧危機の懸念が話題になりつつあるなか、サゴやしの存在にはもっと注目してもいいのではないか。サゴやしがアレルギーに悩む人々を助け、サゴやしの森が周辺を浄化し、そしてサゴやし澱粉を食糧として供給する。

サゴやしが地球を救う・・・なんていったら、ちょっと大げさかもしれないが・・・。


2009年6月4日木曜日

超短期の一時帰国

5月29日にインドネシアを離れ、30日朝に成田に着き、6月1日深夜にマカッサルへ戻ってきた。機中泊1泊、日本に2泊の超短期の一時帰国となった。

本来の帰国目的があったのだが、祖母が亡くなったため、急遽、実家へ行かなければならなくなった。母の実家で、家族3人で、祖母の霊前に線香を手向けた。祖母との思い出が頭の中にどんどん湧き上がってくるが、そのほとんどが、小学1~2年生の頃の思い出だった。

その頃は病気があり、病院通いをすると、県庁所在地にある祖母の家にしばらく厄介になっていた。私の両親はそこから車で1時間以上離れた隣町に住んでいた。早寝早起きの祖母、午前5時にラジオから流れる「早起き鳥」という番組で目が覚めた。噛みしめるように話してくれた祖母の一言一言の詳細は忘れてしまったが、その言葉は知らぬ間に自分の血となり肉となっているのではないか、と言う感じがする。

祖母は97歳で永眠した。良き人生であったと孫の私は信じている。祖母の孫であることを誇りに思う。

実家の両親も、一時帰国した私のことをとても歓待してくれた。運動神経抜群だった体の自由が少しずつ利かなくなって、何となく記憶力が落ちてきていることを気にし始めた父が、私の健康のことを何度も何度も念じている。「父の代わりの記憶装置」を自称する母が、弱気になりがちな父を温かく支えている。そんな両親に元気を与えられるのならば、超短期の一時帰国だってちっとも厭わない、と強く思った。

もちろん、言うまでもなく、妻と娘にも・・・。当たりまえ、なのだろうが。

2009年5月27日水曜日

ここ数日、ブログ更新できずにいたが・・・

5月のブログはワカトビに関する記事ばかり、となった感がある。何となく、本当に何となく、ブログ更新をこのところ怠ってしまっていた。けっして、ものすごく忙しかったわけではない。毎日平凡に何も起こらずに過ぎたわけでもない。ただ、何となくブログ更新をする気にならなかっただけである。

まあ、このところのマカッサルの暑さも影響しているかもしれない。そよ風(angin mamiri)の吹く町、と言われるのに、この季節には、風が凪いでしまう時間がある。でも、今日は、雨季を思わせるような、激しい雷雨が、短時間ではあったが、降った。

相変わらず、マカッサルには様々な知り合いが訪ねてくる。そして、嬉しいことに、マカッサルで元気になって、楽しんでマカッサルから帰って行ってくださる。来月も、様々な楽しい方々がマカッサルを訪れる予定で、楽しみにしている。彼らと「遊んでもらう」私も、さらに元気になる感じがする。

そういえば、マカッサルにも「食べ歩き」ブームが押し寄せつつあるようだ。Kuliner Makassarという小さな雑誌が創刊され、第2号はCoto Makassarの特集である。けっこう、知っている店が多いのだが、知らない店もある。でも、私だったら、こんな編集はしないな、と思う。Coto Makassarをもっと多角的に、たとえばCoto Makassarにまつわる様々な人々の思い出話とかエピソードをいろいろ集めて、単なるお店紹介ではない、あったかーい特集に仕立て上げるのだけれど。

トイレでドボンした携帯の代わりに、思い切ってBBBを購入した。これは使える。

2009年5月18日月曜日

カレドゥパ島でカソワミを食べる

ワカトビ県滞在中に、カレドゥパ島へ1泊2日で出かけた。ワカトビ県のワンギワンギ島にある県都ワンチからは高速船で約1時間半。ダイビングで名高いホガ島は、カレドゥパ島のすぐ東にある。

カレドゥパ島の手前、海上集落に立ち寄る。ここは、バジャウ族の人々の暮らす集落である。本当に、海の上に浮いているかのような集落である。家にはパラボラ・アンテナも見える。




その昔、1950年代後半、スラウェシ島南部一帯で、政府に反抗してイスラーム連邦国家化を目指すダルル・イスラーム運動が起こった際、この地域も大変な争乱となった。反政府軍のイスラーム勢力は、カレドゥパ島にも攻め入ってきたが、その先兵として使われたのが、その海上で暮らすバジャウ族であった。バジャウ族を先頭にした反政府軍はカレドゥパ島に攻め入り、島民との間で殺戮が起きた。島民は対抗してバジャウ族を島外へ追い払った。しかし、バジャウ族も昔からカレドゥパ島近くの海域で暮らしてきたため、島の長老たちは慣習法に則り、ホルオ村のマンティゴラ地区にバジャウ族の居住地を定め、そこにバジャウ族を住まわせた。しかし、今でも、カレドゥパ島民のバジャウ族に対する感情はよくない。

カレドゥパ島は、決して大きな島ではない。しかし、中央部には、標高は決して高くはないが、山岳地帯の趣をもつ風景がある。この山岳部の頂上付近にパジャン村がある。この村には、古い要塞の跡があった。この村の尾根道からは、左右両方に海を見渡すことができる。


そしてこの村は、カレドゥパ織と呼ばれる伝統的な布を多くの村人が織っている村でもある。実はこのカレドゥパ織は、5年ほど前に消滅寸前であったのを、地元住民組織が中心となって、復活させたものである。今回は、残念ながらカレドゥパ織の現物を見ることはできなかったが、南スラウェシから入ってくるサロン・ブギス(サロンとは腰巻のこと)に比べると、織りが繊細で柔らかな手触りなのだとか。島内の伝統行事等でカレドゥパ織のサロンを着用することが増えているそうである。

さて、カレドゥパ島で食べたのは、カソワミと呼ばれるキャッサバ加工品である。実は、ワカトビ県には水田がなく、米を生産していない(米はすべて外からの移入)。住民の主食はキャッサバを加工したカソワミで、カレドゥパ島は県内で最も多くのキャッサバを生産している。カソワミには大きく3種類があるようだ。


上写真の左はカソワミ・オンロオンロ、右はカソワミ・キキリ、とカレドゥパ島では呼ばれる。ワカトビ県で一般的なカソワミはカソワミ・キキリで、カソワミ・オンロオンロはカレドゥパ島で主に食べられる。

カソワミを作るには、まず、キャッサバを切って、よく洗う。カソワミ・キキリはその後、キャッサバを砕いて圧力をかけて水分を飛ばす。さらに、特別な道具を使ってそれを細かくし、ココナッツの葉で編んだものでくるんで蒸す。一方、カソワミ・オンロオンロは、キャッサバを洗った後、キャッサバを砕いたものを型に入れ、一晩海水に浸す。そして2日間、天日で乾かす。乾かしたものを薄く削って、真水に浸し、圧力をかけて蒸す。たしかに、カソワミ・オンロオンロはほのかに塩味がして、それだけでもおいしいものだった。カレドゥパ島の人々は、どちらかというと、カソワミ・オンロオンロのほうを好むそうである。


この2つのカソワミ以外に、カソワミ・ビルというのがある。作り方はほとんど同じだが、天日乾燥させるときに色が黒くなるまで乾燥させるところが異なる。ビルはインドネシア語では青色だが、現地語では黒色を指す。南スラウェシのトラジャやカジャンでは、黒は基本となる色(カジャンでは「すべての色は黒から始まった」と信じられ、身に着ける衣服は黒一色である)であり、カレドゥパでの色をめぐる言葉の違いにも何か意味があるのかもしれない。

ワカトビは、米ではなく、イモの世界なのであった。そして、1997~1998年に米の不作でインドネシアが全国的に食糧危機と大騒ぎしていた頃も、キャッサバやイモを主食とするここでは、食糧難とは無縁の生活が営まれていた。そんなワカトビでも、農業省のプロジェクトを受けて水田を作りたい、と考える役人もいるのである。

もう一つ、カレドゥパ島にはカノと呼ばれるイモがある。ある人によれば、これはカレドゥパ島の固有種で、6種類あるという。このカノが栄養的にどのようなイモなのかは、素人の私にはよくわからない。でも、このカノでつくったチップスは、やめられない止まらない、クセのない飽きないおいしさだった。案内してくれた地元住民組織の代表が言った。「おいしいだろ? でも、お土産にはあげないよ。食べたければ、またカレドゥパに来いよ」。地に足のついた地域づくりが期待できそうな弁であった。



2009年5月10日日曜日

世界有数のサンゴ礁域・ワカトビへの道

ワンギワンギ島北西端を海上より臨む

今回行ってきたワカトビは、東南スラウェシ州東南端にある群島からなる、人口10万人弱の小さな県である。ワカトビの名の由来は、県内の4つの大きな島の頭文字、すなわちワンギワンギ島の「ワ」、カレドゥパ島の「カ」、トミア島の「ト」、ビノンコ島の「ビ」、をつなげた名前である。この群島域は、鍛冶屋列島(Kepulauan Tukang Besi)と以前から呼ばれていて、今回は訪問しなかったが、ビノンコ島には実際、刃物を生産する鍛冶屋が存在するとのことである。

このワカトビは今、世界で最も美しくたくさんの種類のサンゴ礁を持つ地域としても知られ、欧米人などを中心に、まださほど数は多くないが、年間を通してダイビングを楽しむ観光客が訪れている。英国・ロンドンのOperation Wallaceaによると、世界で確認された850種のサンゴ礁のうち、実にその9割に当たる750種がワカトビ海域で確認されている。ちなみに中東の紅海では300種、有名なカリブ海でも50種にすぎないそうで、このサンゴ礁の種類の多さは特筆ものである。また、4島の沖合の環礁の長さは世界最長なのだとか。もちろん、世界で最も珊瑚礁が密集しているインドネシア、マレーシア、フィリピン、パプアニューギニア、ソロモン諸島、東ティモールにまたがるサンゴ礁三角地帯(Coral Triangle)の一角を占めている。今週の5月14日、マナドで開催されている世界海洋会議(World Ocean Conference: WOC)の会場で、このサンゴ礁三角地帯の生態系保全を謳ったサンゴ礁三角地帯イニシアティブ(Coral Triangle Initiative: CTI)が当該6カ国の首脳により調印される。

このワカトビへのアクセスだが、5月15日より、東南スラウェシ州の州都クンダリとワカトビ県の県都ワンチとの間に毎週計10便の飛行機(Susi Air)が飛ぶことになった。基本的に、ジャカルタからマカッサルを経由してクンダリへ15:25に着くガルーダ航空GA604便に接続の予定である。もちろん、戻りも、クンダリ発マカッサル経由ジャカルタ行きの折り返しガルーダ航空GA605便に接続するように時刻が設定される。それ以外に、1日に2便往復する日が3日ある、ということで、柔軟なフライトスケジュールになるようだ。

ワンギワンギ島の新空港の1400m滑走路

航空機以外だと、クンダリから週に5便(日・水は休航)の定期船がある。クンダリを午前10時に発ち、途中、北ブトン県の県都エレケに寄ってから、ワカトビ県の県都ワンチに夜8時頃到着する。戻りも同様で、ワンチを午前10時に出発する。料金は13万ルピアで、船室を使う場合には18万ルピアである。

ほかにも、ブトン島最大の町のバウバウからは毎晩夜行の船便があり、また、ブトン島の中部のラサリムという小さな村からも、早朝発のワンチ行き船便(所要約3時間)が出ている。

今回、筆者は、たまたまワカトビ県知事のモーターボートで移動したので、クンダリ=ワンチ間が約4時間半で済み、快適かつ楽だった。こんな楽をしていると、インドネシア中をリュック一つで旅している親友にまた叱られてしまうのだ。

ワンチについてからの他の島への移動は、定期便だとほぼすべての島への行く船が午前10時にワンチを出る。ただし、ワンチには3つの埠頭(ワンチ、マンダティ、モロ)があり、クンダリ行きはワンチ埠頭から、カレドゥパ島行きはモロ埠頭から出る。他の島からの戻りはいずれも、早朝にワンチに到着する。今回、カレドゥパ島からワンチに戻る際、出発は午前5時半であった。

この海域は、季節によって海がかなり荒れるという。幸運なことに、今回は全般的に穏やかな海で、快適な船旅を楽しむことができた。


2009年5月3日日曜日

ワカトビへ出張中

5月2~8日は東南スラウェシ州ワカトビ県へ出張中。ブログ更新は、マカッサルへ戻った後に行う予定。日本の皆さん、よい黄金週間を。