2009年8月30日日曜日

ジャカルタでの週末

この週末はジャカルタで過ごしている。偶然にも、日本からの友人やバンコクからの友人がジャカルタに来ていて、本当に久しぶりの再会を楽しむことができた。

今日の昼食は、コタのBatavia Kafeで飲茶を楽しんだが、これが思っていたよりもよいお味だった。別な友人たちと、夜は毎度お馴染みのオーガニック・スンダ料理のWarung Daunで食べた。Warung Daunでは、普段会うことがなかなか難しいお方と偶然にもお会いすることができ、ご挨拶申し上げた。こういうことも、ジャカルタならではなのかもしれない。

とても充実した気分に浸る週末である。

2009年8月25日火曜日

西スラウェシ名産品、ただ今試作中!

7月下旬に西スラウェシ州へ出張した際、たまたま州投資促進局で意見交換会をやることになった。その場で私は、例によっていつものごとく、日本の一村一品運動の話などをプレゼンしたのだが、州投資促進局が試作中の名産品(候補)を次々に紹介された。そして味見をさせられた。

まずは、インスタント・ココアである。チョコレート、砂糖、ミルクの三位一体で3 in 1となっている。この製品は、南スラウェシ州マカッサルの工業省カカオ加工研究所で試作されたもの。とても甘い。以前、同研究所を訪れたときには、ショウガ入りインスタント・ココアの試作品を飲まされた。でも、意外にまずくなかった。

次は、高原地帯有機ロブスター・コーヒー。西スラウェシ州ママサ県で作られ、コンタクトパーソンの電話番号も書かれている。ママサは西トラジャ、あるいは本来のトラジャの原形を今も残す原トラジャとしても知られ、もちろんコーヒーの名産地。多くのコーヒーが南スラウェシ州タナ・トラジャ県へ出荷されている。「有機」というのはちょっと怪しいかも。

これは、芋・バナナ・チップスの「ウピス」。芋(Ubi)とバナナ(Pisang)をとってUpisと名づけたもの。芋とバナナを捏ね合わせて、ペーストにしたものを油で揚げたという。軽い歯触りで、たしかに芋とバナナが混ざるとこんな感じになるんだな、と実感。

ヤシ砂糖をオシャレに売ろうという動きは、各地でみられる。これは、扱いやすい小口にしたもの。通常のパック包装(上)と紙の包装(下)。とくに紙包装は、バリ島辺りで売ることを想定しているのだろうか。沖縄の黒砂糖のようなノリで、気楽に健康のために一口、という感じになるといいのだけれど。

これは「クエ・アチュアン」というちょっと面白いお菓子。見た目とは違ってソフトな感触が口に広がり、お茶と飲むとけっこう相性がいい。甘いお菓子だが甘ったるくはない。西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県のチャンパ・ラギアン郡で作られている地元のお菓子、とのこと。私はけっこう好きだ。

魚のアボン(魚肉を乾燥させて甘辛く煮付けたもの)。写真の魚がけっこうリアル。ご飯にかけて食べるとおいしいのかもしれないが、まだ試していない。

これは、トビウオの干物を売るためのパッケージング。西スラウェシ州のマジェネより北方の海岸にあるソンバ地区は、スラウェシでも南スラウェシ州タカラール県ガレソン地区と並んでトビウオ漁が盛んなところで、沿道の屋台でトビウオ料理が食べられるとのこと。次回は、ぜひトライしてみたい。

最後は、ココナッツ油。添加物を一切使用しておらず、本来のココナッツの香りが楽しめる食用油とのことで、これはホテルでも、マムジュ空港でも売られていた。昔ながらのココナッツ油、という線で売ろうとしている様子。これで揚げた揚げバナナをいただいたが、個人的にはとくに特別な何かを感じることはなかった。

西スラウェシ州は、まだこれから名産品を作り出していこうとしているところだが、今後、どんなものが出てくるのか。州投資促進局の意欲は大いに買いたいと思った。

2009年8月23日日曜日

日本軍政期のマカッサルの痕跡を訪ねて

1カ月ほど前になるが、7月半ば、マカッサルに生きた戦前・戦中の日本人の歴史を調べているW氏、M氏、A氏(戦時中にマカッサル民政部に勤務経験あり)とともに、A氏が作られた当時のマカッサル市内の地図を頼りに、日本軍政期のマカッサルの痕跡を訪ねて、市内を歩いてみた。

日本軍政下のマカッサル市政府ともいうべき民政部は、現在の私立ラジャワリ・カトリック高校(正面玄関はJl. Lamadukkeleng、裏がJl. S. Hasanuddin)にあった。もともとこの高校を日本軍が接収して民政部としたのだそうである。つまり、戦後、元の高校に戻ったということである。民政部の当時は1階建ての建物だった。

当時の初等学校春日小学校。今は第1アンカサ幼稚園になっている(Jl. Semangkaの一番北の角)。近くにあるハサヌディン広場は当時「第二広場」と呼ばれた。当時の「第一広場」は現在のカレボシ広場である。

日本軍政期のマカッサルには、戦後の様々な著名人がやってきていた。日銀総裁となった澄田智氏、衆議院議長などを務めた前尾繁三郎氏、京都府知事や参議院議員を務めた林田悠紀夫氏などなど。この家は、歌手として名高かった藤山一郎氏が住んでいた家で、A氏によると、当時とほとんど変わらない、そのままの状態だそうである。場所はJl. Dr. Sutomo(当時名は明石通り)にある。

当時の三笠会館は、今はSosiete de Harmoniと呼ばれるマカッサル文化芸術センターになっている(Jl. Riburane No.15)。この建物は、1990年代までは南スラウェシ州政府が投資調整局などの役所として使っていたが、市内の芸術関係者の強い運動の結果、オランダ植民地時代の文化芸術センターと同様の機能を復活させたものである。日本軍政期の三笠会館では、藤山一郎氏や、巡業で来ていた森光子さんがステージ上で公演し、大いに盛り上がったそうである。A氏によれば、ステージも客席も当時の雰囲気がそのまま残っている。現在、どうやら、内部を改装して、名実ともに文化芸術センターとして設備を整える様子である。

マカッサル市内で最も有名な公立高校であるマカッサル第1高校(Jl. G. Bawakaraeng。当時名は有明通り)。ここは、日本軍政期には、マカッサル師範学校であった。

残念ながら、多くの建物はすでに現存せず、痕跡すら残っていないところがほとんどである。それでも、丁寧に見て歩くと、まだ当時の様子を思い出させる光景に出会うようで、A氏の口からほとばしるように当時のエピソードが次から次へとあふれ出てくるかのようであった。

2009年8月22日土曜日

8月のマカッサルの夕陽

8月は、マカッサルの夕陽を見るにはベスト・シーズンではないだろうか。水平線付近に出る雲が比較的少なく、太陽が丸いまま、ストンと落ちていくのが見える。

これまでに何枚もマカッサルの夕陽の写真を撮ってきたが、この8月に撮った写真を以下に貼り付けておく。





2009年8月15日土曜日

「あなたが安全でありますように」


車に乗ってマカッサルの街中を走っていたら、前方の車に「あなたが安全でありますように」と書かれたプレートが上部に掲げられていた。

この車は自動車教習車。こんなフレーズが書かれている、自動車教習車の後ろにはいたくない、と思ってしまう。

最近、自動車教習車が新しい車になってきた。そして、Ibu-Ibuが習っているのをよく見かける。

2009年8月9日日曜日

ジョグジャカルタの旅報告

夏休みで日本からやってきた家族とジョグジャカルタへ行ってきた。1日目はクラトンとプランバナン寺院、2日目はボロブドゥール寺院、3日目はクラトンとタマンサリ、という一般的なコース。


夕日に浮かぶプランバナン寺院。午後3時ごろから閉園の午後6時のギリギリまで園内でねばった。メインのシバ宮は修復中で立ち入り禁止になっていた。


プランバナン寺院公園の一番奥にあるセウ寺院。プランバナン寺院がヒンドゥー教建築であるのに対し、こちらは仏教建築。これらの寺院の修復作業を思うと気が遠くなる。いったい、修復作業は、人類が存在する間に終わるのだろうか、などと思ってしまうのだ。

ボロブドゥール寺院第2回廊のレリーフ。右側にアウトリガーのついた船、左側に高床式住居がみえる。教科書にも登場する有名なレリーフである。


この日は土曜日だったせいか、ボロブドゥール寺院を訪れた観光客の数は比較的少なかった様子。マカッサル保健大学校の一団と会った。プランバナン寺院では、ゴア県政府の「スタディーツアー」の御一行ともお会いした。


第1回廊のブッダの半生を描いた「仏伝記」のレリーフを1枚1枚、石井和子先生の小冊子を見ながら歩いていたら、第1回廊だけで約2時間半もかかってしまった。


ボロブドゥール寺院入口のワルンで昼食を食べていたら、いきなり目に入った青色のファンタ。初めて見たこの青ファンタは、ブルーベリー味とのこと。


ボロブドゥール寺院で見かけた注意書き。日本語訳がインドネシア語の表示の直訳でなかった。国民性を反映した深い意味のある意訳なのだろうか・・・。


クラトンで毎日曜日の朝に披露されるワヤン・オラン(人間が演じるワヤン)。1時間に短縮され、英語での説明がつく(よく聞き取れないけれど)。上写真は面をかぶった男性のダイナミックな舞いだった。その後の最後の男性2人の舞いでは、うち1人が日本人の男性という話。そう言われてみれば、サロンの柄がクラトンの通常のものと異なっていたが、舞い自体では気づかないほどの出来だった。



クラトン近くのタマンサリは、かつてジョグジャカルタのスルタンが水浴する女性を眺め、気に入った女性を呼び入れたといわれる場所。そこから地下通路があり、一説によれば、南海岸のパラントゥレテスまで通じていたとか。その地下通路は、10年以上前に来た時には崩壊したまま荒れ果てていたが、今はきれいになって、通れるようになっていた。上の写真は、地下通路の中にあるモスクで、5方向から階段が渡され、上の階でスルタンが、下の階で王妃たちがお祈りをしたといわれる。

ジョグジャカルタ滞在中に、多くの欧米人観光客に出会ったが、日本人観光客にはほんの少数しか出会わなかった。夜になるとタクシーを捕まえにくいほど、静かなジョグジャカルタの雰囲気にしばし浸れたのは良かった。そう、使っているインドネシア語もなんとなくマカッサルにいる時よりも丁寧な感じになっているのに気づいた(でも、ゴア県政府の訪問団に会ったとたんにマカッサル式に戻ってしまったのだ・・・)。

2009年8月3日月曜日

ただ今ジョグジャカルタ

東京から来た家族と一緒に、今日まで久々にジョグジャカルタに滞在していた。プランバナン寺院、ボロブドゥール寺院、クラトンなどをまわったが、なかなか面白かった。

明日3日、マカッサルへ戻る予定。しばしの休暇の後は、業務の日々が待ち受けている。