2008年11月30日日曜日

我が家のお手伝いさんの結婚式


我が家には、お手伝いさんが二人いる。一人は料理、一人は掃除・洗濯と一応別れているが、二人で協力して家の諸事をこなしてくれている。料理のお手伝いさんとはかれこれ12年、掃除・洗濯のお手伝いさんともおよそ8年の付き合いだ。すなわち、前回、マカッサルに滞在していた時に使っていたお手伝いさんをまた使っているのである。ずいぶんと長い付き合いになったものだ。

今回は、掃除・洗濯を担当しているトラジャ人のお手伝いさん(キリスト教徒プロテスタント)の結婚式である。11月22日、小雨降るなか、場所はマカッサル市東部アンタン地区のとある小さなトラジャ(ママサ)教会。彼女からは「アンタンの教会で午後4時から」と伝えられていたが、アンタン地区にはトラジャ人がたくさん居住しており、トラジャ教会もたくさんある。そう、どの教会で行われるのか、わからないのである。

料理のお手伝いさんの旦那とその6歳の息子の先導で、掃除・洗濯のお手伝いさんがよく行くという親戚の家を訪ね、そこで結婚式が行われる教会の場所を聞く。聞くと、そこには教会が二つあるという。まあ、ともかく目指す教会には着いた。

もう午後4時というのに、人影はまばら。しばらくすると、着飾ったおばさんたちの集団が到着。どうやら、きちんと連絡を取り合っていないらしく、花嫁はまだ美容院にいる様子。「なにやってんのかしらねえ」「花嫁は花婿と一緒に教会に行けばいいって言ってるみたいよ。おかしいわよね」などなど、半分怒りながら、ベチャベチャしゃべくっている。ちょっと険悪な雰囲気になってきたので、おばちゃんたちに「写真を撮りましょう」といって写真を撮ったら、ムスッとしたおばさんたちのなかで、小さい女の子がマンゴーを手にポーズを取ってくれた。


それから30分ぐらいして、新郎・新婦が到着。トラジャ教会で式が始まる。讃美歌が毎回歌われる(歌えない私はただじっと聞くだけ)。讃美歌の合間に、牧師さんの長い話がある。その繰り返しで、席を立っては讃美歌、座っては牧師さんの話と讃美歌、また起立して讃美歌、という具合である。当然、子どもたちは飽きて教会の中を動き回ってギャーギャー騒いでいるが、牧師さんはお構いなしに話を続ける。

式の最後のほうで、新郎・新婦に向かった牧師さんが、下の写真のように、両手を上に大きく広げ、呪文のような言葉をかけていたのが面白かった。そうこうして、式は約2時間かかって終わった。一緒に行った料理のお手伝いさんたちは「ふーっ、長かった」と思わず言葉をはいた。


さて、この掃除・洗濯のお手伝いさんのお相手は、パサール・ダヤ(ダヤ市場)周辺で働いているオジェック(バイク・タクシー)の運転手である。「なぜ彼と?」とお手伝いさんに聞いたら、「それは運命です」と彼女はにやっとしながら答えた。そして新居は・・・我が家である。こうして、我が家には、お手伝いさん2世帯が同居することになった。一段とにぎやかになった我が家である。


2008年11月23日日曜日

Who's Foods 2008

インドネシアの仲間と一緒に、FacebookというSNSに入っている。そのなかに、私の好きな食べ物の写真を集めたアルバム”Who's Foods 2008"を開設した。興味のある方は、このページをのぞいてみてほしい。

そう、来年も"Who's Foods 2009"を開設したいと思っている。


2008年11月17日月曜日

ジェネポントの村で見つけた企業家の芽


11月15・16日は、南スラウェシ州ジェネポント県の村に出かけていた。この辺は、年間降水量が少なく、農業が十分に行えないため、男はマカッサルなどへベチャ曳きなどとして出稼ぎに出かけ、女は男の帰りをじっと家で待っている、というのが特徴、と言われてきたところである。南スラウェシ州で最も貧しい、といわれる地域であった。

それが、この村の海辺の集落では、5年ほど前から始まった海藻栽培で状況が一変した。それまで、漁師として海に出て年間200万ルピアぐらいしか稼げなかった家が、海藻を始めてからは年間で2000~4000万ルピアを稼げるようになった。実際、かつてこの辺では見られなかったコンクリート造りの家が何軒か建っている。海藻栽培は、女性に雇用機会をもたらし、夫を待っているだけだったのが、毎日、海藻とりで女も忙しくてかなわないのだ。海藻栽培が軌道に乗ったため、男は漁に出るのをやめ、魚は釣るだけになった。化学肥料も農薬も使わない海藻栽培は海にやさしいだろう。しかも、破壊的な漁をすることもない。今のところ、海藻栽培は環境にやさしく、しかも収入が昔の10倍にもなる魔法のような仕事になっているようだ。

この村の山のほうの集落へ行ってみる。幹線道路からわずか15分程度なのに、電気がまだ入っていない。ちょうど、カポック棉が実って、収穫期を迎えていた。カポック棉は枕や布団のなかに詰められる棉の一種で、道の周りにフワフワっと踊りながら落ちて舞っているのが、この時期の南スラウェシ南部の風景である。


この集落では、2年前から、カポック棉で出荷するだけでなく、枕や布団のキレをマカッサルから買ってきて、中にカポック棉をつめて、完成品にして出荷することを始めた。仕切っているのは、バンタエンの華人商人だが、ブルクンバやタカラールにも店があって、あちこちで売られているという。


この山のほうの集落で、農産物加工を一人でやり始めた女性に出会った。キャッサバを植えても、ネズミにかじられるのではもったいないと、キャッサバ・チップスを作り始めた。また、研修でトウモロコシを使ったポップコーンのようなお菓子ジャグン・マルニンの作り方を覚えて、試しにつくって、近所の中学校で売ったところ好評で、毎日作った分は必ず完売する、という。それ以外にも、夫が取ってくるカポック棉を集配して、枕や布団に詰める材料として売ったりもしている。

多くの女性がまだ何もせずに家で男の帰りを待っているなかで、どうしてそんなに朝から晩まで動き続けるのか、と周りの女性から聞かれるのだという。この彼女は、原材料費がいくら、燃料費がいくら、売り上げがいくら、とすべて計算したうえで農産品加工をしている。そして、ジャグン・マルニンなどで着実に利益を上げている。

6歳の息子が一人、小学1年生だが、勉強が好きで、放っておいても一人で絵を描いたり計算をしたりしているおとなしい子だ。彼女は14歳で結婚、現在21歳である。彼女が家に戻ると、小1の息子は、母親のいない間に、ジャグン・マルニンの材料になる地場の白いトウモロコシの実を小さな手で一生懸命に剥いていた。母親を助けるためなのか、その健気さに心を打たれた。

21歳の彼女がとても頼もしく見えたことは言うまでもない。いつも完売するというジャグン・マルニンを次回はぜひ食べてみたいと思った。

インドネシアの地域の片隅には、彼女のような企業家の芽が、まだまだたくさん、人知れず息吹いているのではないかと思った。そして、それを見つけられない行政やよそ者の目利きのなさと怠慢が、そうした芽を土に埋もれさせたままにしていっているのではないか、と思った。少なくとも、野辺に生えた小さな企業家の芽を見つけたら、それを励ましてあげたい、と心から思った。

近いうちに、このブログで彼女のジャグン・マルニンを紹介できることを祈っている。乞うご期待!


2008年11月15日土曜日

マカッサルに戻ったら・・・洪水

11月13日にマカッサルに戻ったら、空港から自宅に向かうJl. Perintis Kemerdekaanのあちこちで、水があふれ出ていて洪水、車は渋滞した。道路の拡張工事が続いていて、ところどころ、排水溝が埋められてしまったため、道路上に水があふれているのだ。

渋滞に悩まされながらも、大変だなあ、とのんびり構えて家に着いたら・・・。

我が家の前庭も水がたまって洪水になっていた。家の中まで冠水することはないので大丈夫だが、隣の店舗兼住宅(ルコ)を建てているところや道路よりも若干前庭が低いため、水が流れ込んでくるのである。幸い、仲間たちが我が家から排水溝への水路を確保し、排水溝も流れていたので、気長に待つことにした。

翌朝、前庭の水は引いていた。いよいよ、本格的な雨季の到来、である。


2008年11月14日金曜日

ドンガラの海を見ながらラヴェルを聴いた夜


11月11~13日、中スラウェシ州ドンガラ県へ出張した。パルから車で約45分の古い町ドンガラの先に、珊瑚礁で名高い海岸がある。今回の宿泊先は、そこのPrince John Cottage。ドイツ人が経営するコテッジで、部屋の前には、パル湾の海が広がっている。

私の部屋は、なぜか海に面したベランダの電気が点かなかった。でも、それがよかった。真っ暗な海、海の向こうの山々にかかる雲の合間からピカッと現れる雷光。満月に近い月が雲の合間からおぼろげに形をみせる。その下にはオリオン座とおおいぬ座。

波の音しか聞こえてこない静寂な夜、海から吹いてくる風に当たりながら、iPodで聴いていたのは、ラヴェルのマメールロワ。暗い深遠な海の風景がなぜか奇妙なくらいラヴェルの音楽にマッチしてくる。様々なことを思い出しながら、贅沢な時間を過ごす気分に浸っていた。




2008年11月11日火曜日

フランス料理の会(第2回)

10月28日、de Lunaでフランス料理の会(第2回)を楽しんだ。メニューは以下の通り。

Roasted Jumbo ShrimpFlavored with Lemongrass and Coconut


Roasted Red Snapper, Basil Gazpacho, Black Glutinous Rice, and Vegitable Skewers


Warm Strawbery Soup with Diced Mango, Apricot-Peach Sorbet

今回のテイストは、面白かった。すなわち、フランス料理をベースとしつつ、インドネシア料理のような味付けをミックスさせていた。前回の何となく無難な味付けからすると、新しい味を出してみようという意欲がより表れていた感じがする。


2008年11月2日日曜日

新刊:Syair Perang Mengkasar


仲間が運営しているイニンナワ出版から"Syair Perang Mengkasar"という本が出版された。これは、1963年にオランダのKITLVから出版された"Sja'ir Perang Mengkasar: the Rhymed Chronicle of the Macassar War"のインドネシア語版翻訳である。これは、17世紀に起こった、オランダとゴワ王国との間の戦争に関して、ゴワ王国のスルタン・ハサヌディン王の書記であったEnci' Aminが書き残した叙事詩とでもいうべきものである。この戦争に負けたゴワ王国の側から書き記したものとして、彼らがオランダやそれに追随したボネ王国やブトン王国をどのように見ていたかが垣間見られ、興味深い。

出版元のイニンナワ出版は、10月27~29日まで、本書の出版を記念した討論会をハサヌディン大学で開催した。

本書を注文される方は、私のメールアドレスまたはイニンナワ出版に直接知らせてほしい。

Syair Perang Mengkasar
oleh Enci' Amin
C. Skinner (editor)
translated by Abdul Rahman Abu
Penerbit Ininnawa bekerjasama dengan KITLV-Jakarta
viii+248 pages
ISBN 979-98499-8-5
2008

マナドのトゥデ、オチ

マナドのおいしいものについては、これまで何度か紹介してきたが、私が一番好きなのは、実はトゥデ(Tude)またはオチ(Oci)である。いずれも、小ぶりのアジであり、これをシンプルに焼いたものを、さっぱりしたダブダブ(dabu-dabu)で食べる。このシンプルさがなんともいいのである。


上の写真はトゥデ。オチよりも小ぶりだという。これに、空心菜(カンクン:Kangkung)をあっさりニンニクで炒めたものが添えられる。たったそれだけである。見栄っ張りのマナド人が他人に見せずに自分で食べる料理なのかもしれない。

以前は、注文してから1時間近く、魚が焼けるまで待たされたものだが、今回は10分くらいで出てきた。海岸地域の開発で、多くのトゥデ屋・オチ屋が立ち退きを余儀なくされ、ジャカルタなどへ移ったという。

辛めでボリュームのあるマナド料理に飽きたら、ぜひ、トゥデやオチを味わってほしい。