2010年2月27日土曜日

ティニさんの食卓(2):とんかつ 


ティニさんの作るトンカツは、肉はやや薄めで、衣がカラッと揚がっている。ひと口カツ、といった感じかもしれない。

以前、マカッサルに滞在していたころ、一時帰国中に青年海外協力隊の方に留守番をお願いしたとき、協力隊の皆さんが我が家に集まって、トンカツ・パーティーをしたものだった。日頃、なかなか、豚肉を食べることのない彼らにとって、とても貴重なひと時、という話だった。


実は、もうひとつ。ティニさんのカエル肉の空揚げも絶品である。おそらく、マカッサル市内の中華料理屋で出すカエルよりもずっとおいしいだろう。私の家族がマカッサルに来るときには、行きつけのカエル肉商人にあらかじめ予約して、必ずこれを作ってくれる。肉の柔らかさが何とも言えない。

2010年2月26日金曜日

生物多様性保全、現場へのまなざし

ブログをいろいろ眺めていたら、以下の農業情報研究所(WAPIC)の記事に目がとまった。

 熱帯地域で食料を確保し、熱帯林の生物多様性を守るのは小規模家族農業 米国の新研究

タイトルだけ見て、「なんでこんな当たり前のことを?」という疑問がわいたのである。記事を読んで、「大量の食料を生産する一方で世界に残る熱帯林の生物多様性を保全する最善の方法は大規模な工業的農業」というのが多くの生態学者の通念である、ということを初めて知った。そうだったのか。

この考え方は、人間が自然を制御できる、近代科学技術を使って適切に管理すれば実現可能、という信念に基づいた発想だろう。

この「通念」に欠けているのは、熱帯地域、熱帯林地域で生活をしている人々がいる、という単純な事実である。

しかし、スラウェシの農村を歩いていると、何らかの理由で、処女地へ移り住み、粗放的で土地の肥沃度を収奪するような農法で食料を生産し、そこでの食料生産が増える人口を支えられなくなると、その人口の一部がさらに処女地を求めて他へ移動する、という形での小規模家族農業を目にする。

実は海の場合も同じで、魚が獲れなくなると、さらに魚が獲れるところを求めて、漁民はますます遠くへ船を出していくのである。

たとえ小規模であっても、現場での営みが粗放的かつ収奪的で移動を伴うものであり続ければ、資源の持続性は担保できない。彼らが放棄した土地や海が、自然回復力を持つ程度の収奪であれば持続性を確保できるだろうが、そこでの活動が自給的ではなく商業的な色彩を強めれば、自然回復力が発揮できる限界を超えて、資源は収奪されることだろう。

自分の住んでいる土地で自分たちの生活が成り立つだけの食料生産を適度に行うには、農業や漁業の移動性を抑制し、その場所で持続的に資源を皆で管理していかなければなるまい。その意味で、たとえば、農業では水田耕作などの定着農業、漁業では海藻栽培や養殖に注目していくことが必要になる。

ミシガン大学の研究者が、生物多様性保全の観点から、熱帯地域の小規模家族農業の役割について注目したことは評価できる。先進国側は、生物多様性保全の議論をする際に、その現場に生活する人々へのまなざしを持って、もっと現実的な議論をすべきである。

しかし、上で指摘したように、現場で生活する人々へのまなざしだけでは不十分なのである。粗放的・収奪的な農業・漁業は、先進国資本による大規模工業的農漁業のみで起こるのではない。人口圧に絡む世界中の現場で生活する無数の人々によっても起こるのである。だからこそ、現場に寄り添い、現場の無数の生活者の現実と向き合いながら、生物多様性保全と食料生産の両立を一つずつ図っていくしかないのである。

それは、現場の生活者の責任と自立発展性のみに帰せられる問題ではない。我々が現場の生活者を尊重し、彼らと一緒になって、一つずつ課題克服へ向けて、丁寧に解決を図っていくべき性格の問題であると考える。

2010年2月23日火曜日

インドネシアの盲人比率は全人口の1.5%

2月22日付けのSeputar Indonesia紙に、「ボゴールにアイバンク設立」という記事が載っていた。元大統領のハビビ氏の奥様が盲人福祉団体の会長を務めているらしく、保健大臣や夫のハビビ氏とともに写真に写っていた。

この記事によると、インドネシアの盲人比率は全人口の1.5%。すなわち、全国に約300万人の盲人の方がいる計算になる。ちなみに他国での盲人比率は、バングラデシュが1%、インドが0.7%、タイが0.3%であり、世界的に見ても、インドネシアの盲人比率はかなり高い、ということである。

インドネシア国内で最も盲人比率の高い州は、なんと、筆者が居住している南スラウェシ州で2.6%、最も低い州は東カリマンタン州の0.3%である。南スラウェシ州には約18万人の盲人の方がいる。東インドネシア地域への玄関口、開発の拠点を自負する南スラウェシ州だが、識字率や乳児死亡率など、教育・保健分野のインデックスは全国平均を軒並み下回っている。高い盲人比率も含め、何かが根本的にまずいのではないかという気がしている。

インドネシア全国での盲人となる原因は、白内障が52%、緑内障が13.4%、近視・遠視・乱視などの屈折障害が9.5%、網膜症が8.5%、などとなっている。

インドネシアに住んでいると、徐々に改善されてきているとは言うものの、障害を持った方々への配慮はほとんど見かけない。ジャカルタなどでは、盲人の方向けの点訳奉仕なども行われているようだが、必要とされる書物の数と内容が圧倒的に不足している。社会が安定し、経済が好転して生活が少しずつ豊かになっていくなかで、障害を持った方々への配慮が改善されていくことを願うばかりだが、その道はまだまだ遠そうである。


インドネシアの点字は、アルファベットを基にした表記のようである。以前、訪れた研修施設では、オーストラリアの教会関係団体が作った点字指導書のインドネシア語訳版を使っていた。

2010年2月21日日曜日

イニンナワ10周年行事フィナーレ

1週間以上経ってしまったが、2月13日夜、イニンナワ・コミュニティ10周年記念行事の最終日だった。この日まで、4日間、毎日盛りだくさんのイベントが行われてきたが、あいにく、筆者はマカッサルを離れていたため、様子を見ることができなかった。結局、13日の最終日のみ、彼らのイベントを見ることができた。


昼間に行われたのは、マカッサル市内のパサール(市場)で立ち退きを強制されている商人たちを支援しているNGOが主催した、地元パサールについての討論会だった。パサール・テロン、パサール・パナンプの商人たちが集まり、これまでのマカッサルにおける地元パサールの歴史や行政・治安当局にどう集団として対応していくか、といったことが話し合われた。イニンナワ・コミュニティには、農村を支援しているグループもあり、そこでは買い付け商人たちの横暴が問題になっていることから、両者を一堂に会して議論したほうが面白いのではないか、という意見もあったようだが、結局、実現しなかった。

夜は、4日間の記念行事のフィナーレとして、南スラウェシの地元音楽を楽しむ夕べとなった。最初に登場したのは、パロポからの音楽グループ。リズミカルな太鼓とバイオリンを弾きながらの朗々とした詠唱が耳にとても心地よかった。


次に登場したのは、パンケップ県トンポブル村の方々で、ガンブスと呼ばれる、ヤギの皮を張った手製の弦楽器での演奏であった。下写真左側のサレさん(ペチ帽をかぶった年配の方)は、ガンブスの名手として伝説の人物だったそうだが、なぜか、この30年間、ガンブスを演奏しようとしなかった。パンケップ県知事や南スラウェシ州観光局が頼んでも、頑としてガンブスを弾こうとはしなかった。イニンナワ・コミュニティのなかの農村支援NGO「パヨパヨ」がジャワで牛糞を利用したバイオガスの適用を学び、それをパンケップ県山間部のトンポブル村で試したところ、村人に好評を博した。徐々に燃料のための薪用に木を伐採するのが減り始めた。そんななか、突然、サレさんがガンブスを弾こうという気になったのだそうである。でも、なぜなのだろう? ともかく、彼が30年ぶりに弾いたというガンブスは、素朴だがジーンと来るものであった。


トンポブル村のガンブス演奏の後は、イニンナワ・コミュニティの若者たちによる歌、ビオラ演奏などが行われ、パロポのグループが再度演奏した後、ゴワ県の有名な漫談師・ダエン・ミレが登場した。ちょうどウクレレ漫談の牧伸二さんのように、指で弾く小さな弦楽器のケチャピをリズミカルに操り、マカッサル語で聴衆を惹きつけながら最後のオチでどっと笑いをとる、というパターンが何度も何度も繰り返されて、場が大いに盛り上がった。マカッサルの大衆芸能の豊かさを心底感じられたひとときであった。


そして、パロポの演奏グループとダエン・ミレのセッション。即興で双方がそれぞれの持ち味を生かしながら掛け合う。両者に当初の打ち合わせはない。しかし、その即興の妙が存分に発揮され、双方がノリノリになりながら、自由自在に演じる舞台だった。


こうした地元音楽の演奏をリラックスした雰囲気で楽しみながら、ここでこうやって、イニンナワ・コミュニティの若者たちと過ごしてきた思い出の数々を思い起こし、何ともいえぬ芳醇な気持ちを感じていた。言葉にうまく言い表せないのだが、何物にも代えがたい「豊かな空間」、とでもいうものを、この我が家のなかで心地よく感じた夜であった。

2010年2月20日土曜日

修理屋さん


大量消費・使い捨て社会がマカッサルにも急速に押し寄せているが、まだいたのである。靴やカバンやサンダルや傘の修理屋さんが。

昔、ジャカルタに住んでいたとき、こんな修理屋さんが家々を回っては、細々したものを修理してくれたものだ。今では、ショッピングモールのスーパーの隣に近代的な店を構えた修理屋チェーンが代替している。

2010年2月13日土曜日

ワカトビの海を眺めながら思ったこと

ワカトビの海を眺めながら、いろいろな思いにふけった。

まず、コペンハーゲンや京都での国際会議に参加している方々に、ワカトビのような気候変動や生物多様性保全の現場の人々の生活や活動がどのように認識されているのか、ということ。

東南スラウェシ州でも有数に貧しいと言われ、出稼ぎも少なくないワカトビでも、島々に暮らす人々の数は増加傾向にある。人々が生活するために必要な水や食糧生産(ワカトビの主食はキャッサバ。米はすべて外部から移入)のための土地は、今後も十分に確保できるのか。実は、ワカトビの中心であるワンギワンギ島やカレドゥパ島では、島内の森林伐採が進み、水源の維持に黄信号が点っている。

近い将来、毎日、大量の水を船で島外から運ばなければ人々の生活が維持できない事態になりはしないか。これまで、米はなくとも、キャッサバやサゴヤシで飢えを経験しなかったワカトビで、今後も人々を養うために十分な食料を確保していけるのか。

今回のワカトビでのワークショップのテーマは、持続的発展であった。

私は試みに参加者に質問してみた。イエスだったら挙手をお願いした。「皆さんはワカトビが好きですか?」。ほぼ全員が挙手。「皆さんはワカトビに住み続けたいですか?」。これもほぼ全員が挙手。「皆さんは自分たちの子供や孫にもワカトビでずっと暮らしてほしいですか?」。パラパラっとわずか数人が挙手。

参加者のほとんどは県政府の役人だったが、彼らにとっての「持続的発展」とは、珊瑚礁保全のような、外部者から働きかけがあって初めて認識する頭の中のものであって、自分たちの生活をどう維持していくかという現実の部分から持続的発展を認識していなかったことが明らかになってしまった。

国際会議の議論と現実とをつなげていくには、この辺からしっかりと取り組んでいかなければならないのではないだろうか。こうした役人たちの認識を形成させた一端は、我々外部者の現場の人々に対するこれまでの認識やアプローチの仕方による面がたぶんにあるだろうと思った。

もうひとつ。ワカトビでの会議の展開を見ながら、もはや「一方から一方へ援助するというやり方が意味をなさなくなりつつあるのではないか」ということ、また「相手側の自立を促し、自分たちだけでやれるようになっていく」ということが気候変動や生物多様性保全については当てはまれないのではないか、ということである。

相手側の自立支援のための援助では、援助する側に「いつまでにどのように相手側にとって援助が必要でなくなる状態にしていくか」というプロセスを明確にし、援助する側の退出の意識を明確化しておくことが重要である。それがないと、援助する側のモラルハザードが生じる。

しかし、グローバルな世界に直結する気候変動対策や生物多様性保全は、その現場の利益だけではなく、地域や国境を越えた地球全体の共通利益ともいえるものである。こうした地球全体の共通利益も、現場の人々の行為や活動によって影響を受けるという意味で、グローバル・イシューであると同時にローカル・イシューにもなる、両者直結のイシューととらえるべきであろう。相手が自立したら援助はおしまい、なのではなく、地球全体の共通利益のために、グローバルの世界とローカルの世界が一緒になって取り組んでいくべき性格のものなのではないか。

翻って、これまで両者は一緒になってやってきたと言えるだろうか。非常に簡単に言ってしまえば、先進国側が資金や援助を出し、現場側に「お願いだから、援助をあげるから、サンゴ礁を守ってくれ」というような面がないとは言えないのではないか。現場の方々に、環境を保全することが自分たちの生活を守っていくためにより利益がある、ということを真に認識してもらえているのだろうか。

「一緒に」という意味は、そこまで深く下りていって、現場の方々を敬い、真に寄り添うことによって、初めて可能になるものであろう。現場の方々が主体的に何かを起こし、それが地球全体の共通利益と結び付く方向性を目指していくのである。やはり、外部者の現場の方々への関わり方が問われてくるだろう。

そして、その「一緒に」という取り組みは、必ずしも公的援助である必要はないのではないか、とも思った。ワカトビの現場の人々の主体的な活動が気候変動対策や生物多様性保全に関わるものであれば、それを応援したい個人や組織が「社会的投資」のような形で関わりを持ってもよいのではないか。

たとえば、ワカトビで地元の人々がダイビング・ビジネスをやろうとするときに、外部者がそれに対して「社会的投資」のような形で応援することは、珊瑚礁保全の活動につながるだろう。ペットボトルをリサイクルして、海藻生産用の「浮き」を作る小さな工場を作りたい地元の方がいれば、それに「社会的投資」をおこなうことは、環境保全に貢献することになるだろう。ほんの小さなものでも、現場の人々の行為や行動に外部者の関心が向けられることで、現場で何かポジティブなことが生まれてくるのが期待できるのではないか。

まだまだ粗い、思いつきの域を出ない考えだが・・・。

ワカトビ再訪

2月7~9日にワカトビを再訪した。何度来ても、ワカトビの珊瑚礁の海の美しさを堪能してしまう。今回も、ワカトビ県知事に誘われて、他の訪問者と一緒に、ホガ島まで小旅行をした。

ワカトビの中心、ワンギワンギ島の上空から。

海面下のサンゴが見渡せる、透明な海水。

珊瑚礁の海の上で暮らすバジャウ人の海上集落。

帆をかけ、風を受けながら走る漁民たちの小舟。

近年盛んな海藻生産。県知事曰く、「海の田んぼ」。
世界の海藻生産の大半はワカトビを含む珊瑚礁三角地帯で営まれる。

ホガ島の桟橋。ワカトビ県は、このホガ島を珊瑚礁三角地帯の気候変動や珊瑚礁保全に関する現場密着型の調査研究センターにしたい意向。実際、英国エセックス大学がこれまで10年間、ここを拠点に珊瑚礁の状況について定点観測を行ってきている。

にわか雨に打たれながら、船上から見た夕日。


2010年2月6日土曜日

イニンナワ・コミュニティ10周年に


マカッサルの若者たちが設立したイニンナワ・コミュニティが10周年を迎える。イニンナワ・コミュニティは、様々な小さな若者グループやNGOの極めて緩やかな連合体で、明示的な代表者は存在せず、10~20人の中心メンバーがうまく役割分担しながら、この緩やかな連合体を動かしてきた。

コミュニティには、パサールの小商人を支援するNGO、有機農業を学んで農村と都市を結ぼうとしているNGO、外国語で出版された南スラウェシに関する文献のインドネシア語翻訳出版を行うNGO、高校生を対象に農村などでホームステイを伴った研修を行うNGO、マカッサルでは民間図書館としては草分けのNGO、意味のある写真撮影を目指すアマチュア・カメラマンのNGO、などが参加している。

インドネシアで組織を作るときには、必ずトップがだれで、副がだれで、会計役がだれで、と、まず形から入るのが常識だが、イニンナワ・コミュニティにはそれがない。何となくまとまって、つながっている。そして、傘下(にあるとされる)の団体同士が、これも自然に何となく互いに協力し、関係を持って活動している。一人で複数の団体に所属しているものも数多い。そして、このコミュニティに関わるものは、来るものを拒まず、去るものを追わず、という形で、活動や考え方に共鳴してくれれば、誰でもコミュニティの仲間として受け入れてもらえる。悪い言葉でいえばいい加減、でもいい言葉でいえば柔軟極まりない「集団」である。

こんな連合体が10年もマカッサルで存続していること自体が不思議に思える。彼らとはもう5年以上の付き合いになるが、何とも言えず気持ちがよい。決して国際援助機関の資金供与を当てにしないため、資金不足は常態化しているが、援助業界で流布される「グッドガバナンス」とか「ファシリテーション」とかいったヨコ文字言葉などには全く見向きもせず、自分たちの活動を自分たちのペースでそこそこに続けてきたのである。

こうしたイニンナワ・コミュニティの設立10周年行事が、2月10~13日に、彼らの活動場所である我が家で行われる。内容は盛りだくさんで、本の出版記念講演会+討論、エッセイ・コンテスト、演芸会、本の廉価即売、ローカルマーケットに関する討論会、写真展、読書愛好会の集い、文学・音楽の集い、など様々が企画されている。

仮に私がマカッサルからいなくなったとしても、彼らの活動が地道にさらに展開していけるように、と願いつつ、できる限り、私も彼らと一緒に10周年記念行事を楽しみたいと思っている。私の大事な大事な仲間たちである。

イニンナワ・コミュニティの活動の一部が2月6日付のKOMPAS紙に紹介された。以下のサイトを参照されたい(インドネシア語)。

ININNAWA: Inspirasi dari Makassar