2008年6月29日日曜日

ブギス食堂で「かもめ食堂」

ブギス食堂で『かもめ食堂』を映画鑑賞しませんか。日時等は以下の通り。

日時: 2008年7月6日(日)19:30~
場所: ブギス食堂(Jl. Pattimura No. 19, Makassar / Tel. 0411-314038)
定員: スペースの関係で30名に限定
料金: 21,000ルピア(弁当・お茶付)

観賞ご希望の方は、人数、参加者のお名前を松井(携帯:0811-410-6670)までSMS等でお知らせください。スペースの関係で、先着順に30名限定とします。なお、上記の弁当・お茶以外の飲食も歓迎しますが、支払いは自己負担にてお願いします。

『かもめ食堂』の情報:
かもめ食堂オフィシャルサイト
かもめ食堂オフィシャルブログ

2008年6月28日土曜日

クンダリの地元料理を食べる


6月10~14日に東南スラウェシ州クンダリへ出張したときに、地元料理を堪能した。注文したのは、地鶏のタワオロホ煮込み、シノンギ、茹でたほうれん草。これで25,000ルピアだった。

タワオロホ(Tawaoloho)とは、森の中に生えているクドンドン(kedondong)の葉っぱの現地語(トラキ語)名だが、このクドンドンの種類はクンダリにしかないものだという。ちなみに、クドンドンは「タマゴノキ」とも呼ばれるウルシ科スポンディアス属の落葉高木で、インドネシアでは一般にすっぱい味の果実を食す。このタワオロホを入れた、ややすっぱい薄い味付けのスープに地鶏が入っている。


この地鶏入りスープのお供が、シノンギ(Sinonggi)と呼ばれるサゴヤシ澱粉である。アンボンやパプアではパペダ、南スラウェシ州パロポ地方ではカプルン、とサゴヤシ澱粉の呼び名は地方により異なる。2本の箸でクルクルッと巻いて、皿の上に乗せ、タワオロホのスープと一緒に食べる。

(隣のテーブルで食事をするグループ。リクエストにこたえて1枚撮影)

この食堂、Rumah Makan Aroma Kendariは、クンダリで一番高級なPlaza Inn Hotelのすぐ隣にある。4年前にオープンし、クンダリの地元料理を出す。たしかに、昔はクンダリの街中で、シノンギを食べさせる食堂を探したが、見つからなかった。


パペダもカプルンもそうだが、シノンギもコレステロールのない健康食で、お腹にもたれない。インドネシアには油ぎった料理しかないと思ってらっしゃる方は、ぜひ、インドネシア東部を訪れ、サゴヤシ澱粉の料理を味わってほしい。インドネシアのおいしいヘルシー料理がここにある。

<余談>
スラウェシ島の東側、東南スラウェシ州やゴロンタロ州に来ると、タワオロホのように、現地語にオー(o)の音がたくさん聞こえてくる。スラウェシ島の西側のマカッサルなどでの現地語の単語からは、あまり聞かれない音である。オーのような音は、ハワイなど太平洋の島々でよく聞く音のような気がするが、スラウェシ島の西と東がその境になっているのかもしれない、などと考えただけで楽しくなる。

2008年6月26日木曜日

マカッサル=クアラルンプール便、7月25日から

Air Asiaが7月25日から、以下の通り、マカッサル(UPG)=クアラルンプール(KUL)直行便を毎日運航することになった。

AK1026 KUL16:15 = UPG19:35
AK1027 UPG20:00 = KUL23:15

しかも、6月25~29日に予約すると、燃料サーチャージや税金を除く航空運賃がタダになるサービスも行っている(対象は2008年6月25日~2009年4月30日搭乗分)。詳細はこちらのページを参照してほしい。

いよいよこれで、マカッサルにも正真正銘の国際空港(ハサヌディン国際空港)が復活する。

しかし、乗り継ぎを考えると、この時間帯は厳しい。日本からの、そして日本への乗り継ぎには、クアラルンプールで最低1泊しなければならないからである。スラウェシ出身のマレーシア人の里帰りや、スラウェシからマレーシアへの出稼ぎ者には、ありがたいフライトになるかもしれない。でも、果たして、どれぐらいの客が利用するのだろうか。お手並み拝見である。

南スラウェシ文化・社会写真展

昨日から6月29日まで、マカッサル市のロッテルダム要塞近くにあるSociete Harmoni Makassar(Jl. Achmad Yani)で、南スラウェシの文化・社会風景を若手の写真家が撮影した写真の展覧会が開催されている。

我が家によく集まる若手写真家グループPERFORMAのメンバーが中心で、マカッサル市内の写真のほか、以前、2週間かけて南スラウェシ州各地を撮影して回ったときの作品も多数展示されている。

興味のある方は、ぜひ写真展へ。

2008年6月23日月曜日

西スラウェシの魚食普及運動


6月10日、マムジュ空港でマカッサルへ向かう飛行機を待ちながら、何気なく辺りを見ていたら、こんなポスターが貼ってあった。中央でにこやかに手を振る2人のおじさんは、州知事(左)と州副知事(右)。

「さあ今、魚を食べよう!健康で、強く、頭がよくなるために」と書かれたこのポスター、西スラウェシ州の魚食普及運動(Gerakan Memasyarakatkan Makan Ikan: Gemarikan)のポスターである。

これを見て初めて知ったのだが、「世界最長、3500メートルの焼き魚屋さん」というのをやった(やる?)ようだ。私の出身地の隣町で、日本一長い焼き鳥の記録更新を、毎年、山口県のある町と競っているのだが、焼き魚屋さんがずらっと3.5キロも沿道に並ぶのは、たぶんあまりないだろう。インドネシアでも、インドネシア版ギネスブックともいえる「インドネシア記録博物館」(MURI)というのがあって、最近は様々な記録づくりに励んでいる様子。

2008年6月21日土曜日

マムジュの街中を歩く

6月8日、昼から降り続く雨が小降りになったのを見届けて、マムジュの街中を散歩した。しかし、歩き出した途端に、激しい雨に。結局、傘はほとんど用をなさず、1時間半散歩した後、ずぶ濡れでホテルへ戻った。


海沿いのマムジュ県議会議事堂の脇にある、広大な敷地に建てられたマンダール族の大きな伝統家屋。おそらく支配者が住むような家屋であろう。南スラウェシ州ゴア県スングミナサにあるバラ・ロンポアを思い浮かべてしまう。何のためにこんな建物を建てたのだろう。催し物などに貸し出されるとのこと。


2004年に西スラウェシ州が成立し、州都となったマムジュ。市内のあちこちに新築の政府オフィスが見られる。西スラウェシ州知事庁舎は、現在、以前のマムジュ県知事庁舎を使っているが、近いうちに、丘の上に新庁舎を建設するとのこと。山を削って、丘のてっぺんに建てたゴロンタロ州の州知事庁舎を想像する。


街中の大モスクも大規模な改修工事中。州都に見合うような大きなモスクを建設、ということなのだろうか。ちなみに、数年前、マムジュで「州都なのだからショッピング・モールを作るべきだ」という議論があった。


街中を水路が流れている。でも・・・。


やはり、捨てられていた。


マムジュには、スーパーやミニマーケットのような小売店がほとんどなく、食料品や日用品はパサール(市場)で購入されているようだ。ややモダンな住宅兼店舗(ルコ)のパサールの建物が建っている。人々はここへ買い物に来るのだ。


モダンな建物の裏側が人々でにぎわっている。食料品を扱う昔ながらのパサールがあった。それにしても、このトウモロコシの皮の山。インドネシア各地のどこのパサールでもよく見る光景なのだが。


翌日(6月9日)、同じ場所をベチャ(輪タク)で通った。マムジュの街中には、ミニバスのような公共交通手段がない。移動はベチャかオジェック(バイクタクシー)である。前回のブログに書いたとおり、メータータクシーもあるがたった4台。4台も飛行機が着く時間には客待ちのために空港へ行ってしまう。大きな荷物を抱えて途方にくれている人を街中で見た。

このベチャだが、マカッサルからかなり入っている様子。というのは、マカッサルで昔一般的だった小型のベチャを見かけるからだ。ベチャ曳きも、マカッサルから1年前に来た、という人に数人出会った。マカッサルのベチャは、この2年ぐらいで大型化し、楽に2人で乗れる大きさになったが、それはジャワから送られてきたベチャと聞いた。ジャワで使われていたベチャがマカッサルに送られ、マカッサルで使われていたお古が、新州成立でチャンスと見た一部のベチャ曳きとともにマムジュに現れた、ということか。マムジュの町は比較的平坦で、ベチャ曳きには都合がいいように見えた。


マムジュに植民地時代風の昔からの建物を発見、と思ったら、これは比較的新しい建物とのこと。昔あったものを壊して、それ風に立て直されたらしい。今は政府婦人会(PKK)が使っている。植民地時代の行政の中心は、マムジュではなくマジェネで、マジェネにはそうした建物が残っている、という(今度確認してみたい)。


海上レストランからみたマムジュの港周辺の様子。のんびりとした田舎の海の町の雰囲気がある。

歩き回った感じでは、特徴に乏しい町という印象であった。古いものがあまりない、しかしモダンなものもない。マンダール族の何かを体現するような建物や風景や食べ物の存在をほとんど感じられなかった。この町は、どこを向いて発展していこうとしているのか。本当に、特徴がないのか。これから何度か訪問するなかで、少しずつ探ってみることにしたい。

2008年6月15日日曜日

マムジュに着いて街中まで

6月8~10日は西スラウェシ州の州都マムジュに出張した。西スラウェシ州は2004年に南スラウェシ州から分立してできた新しい州で、この細長い州の真ん中よりやや南の海岸に州都マムジュがある。

かつて1999年6月と2001年1月にマムジュを訪れたことがある。そのときは、マムジュは南スラウェシ州マムジュ県の県都であった(今も西スラウェシ州マムジュ県の県都であるが)。小さな町という印象だけで、取り立てて特徴を感じない町だった。今回は、このマムジュへ、マカッサルから飛行機で入った。マカッサルから車で約12時間、飛行機だと1時間である。

飛行機はプロペラ機で80人程度乗れる。現在、ムルパティが日・月・火・金、AviaStarが月・水に運航している。


マムジュの空港は小さく、到着客と出発客とが同じ一つの建物である。飛行機が着いて、到着客の荷物を地面に降ろした後、出発客の荷物を飛行機に乗せてから、到着客の荷物を荷車に載せて、人力でゆっくりと押してくる。荷車が到着すると、後は到着客が勝手に自分の荷物を持ち出す、という形である。



空港から出て、マムジュの町までの交通手段。おおーっ、タクシーがあるではないか。迷わずタクシーに乗ると、メーター付の新しい車。聞くと、3ヵ月前にメータータクシーが営業を開始したが今走っているのは4台。タクシーに乗って正解だった。だって、空港からマムジュの町までは27キロ、約45分もかかるのである。空港から町までは10万ルピアでメーターは使わない。メーターは街中では使う。もしタクシーがなかったら、と思うとぞっとする。マムジュへ行く場合には、あらかじめ、以下のタクシー会社に電話連絡して、迎えに来てもらったほうがよいだろう。

TASHA TAXI: Tel. +62-426-21508


この会社、レンタカーもやっていて、キジャンで1日35万ルピア+運転手賃金10万ルピア+ガソリン代、とのことである。

町までの道だが、あちこちで工事中なものの、それほどひどくはない。舗装もそれなり。タクシーの運転手によると、先日、ユドヨノ大統領が訪問するのに合わせて、突貫で空港から町までの道の舗装を修繕したのだそうだ。そういえば、空港にこんな看板が大々的に掲げられていた。


タクシーで着いたホテルは、Mamuju Beach Hotel。ビーチというにはほど遠いコンクリート護岸の海沿いのホテルで、ちょうど闘争民主党支部の幹部会議をやっていた。Superiorの部屋に泊まり、1泊35万ルピア。1ランク下のStandardの部屋は1泊30万ルピアだが、トイレは座るのではなくしゃがむ形式。Superiorの部屋のトイレも、水が流れず、バケツに汲んだ水を柄杓ですくって流すしかなかった。シャワーも使い物にならず、バケツの水で水浴した。でも、夕飯に食べたNasi Gorengはなかなかおいしかった。

翌日に泊まったSrikandi Hotelは、Deluxeで41.2万ルピア。部屋はMauju Beach Hotelよりずっとよい。でも、隣のホテル内のレストランへ行くのに屋根がなく、雨に濡れてしまった。食事はMamuju Beachのほうがよかった。

総じて、マムジュはホテル数が不足しており、満室状態が多い様子。そのせいか、設備の割に、ホテルの料金はかなり割高である。州知事庁舎の裏側の海沿いに、3つ星のQuality Hotel系列のホテルを建設し始めていた(下写真)。

2008年6月13日金曜日

マナドの家々に各国旗

テレビを観ながら思い出したのだが、先々週、マナドへ出張したとき、多くの普通の民家にドイツ、イタリア、イギリスなどの大きな旗が高々と掲げられているのを見た。2009年世界海洋会議を今から盛り上げているのか、と思ったら、そうではなかった。タクシーの運転手によると、サッカーのヨーロッパ選手権の頃になると、自分の応援している国の旗を大きく掲げるのだ、ということだった。なぜ驚いたかというと、各国旗は空になびいているが、インドネシアの国旗が見当たらなかったからだ。

パル、マムジュ、クンダリでは、そうした光景にお目にかからない。マカッサルでもあまり見ない。でも、マナドではそうだった。マナドの人々の欧米への憧れの強さを表している、ということなのだろうか。1950年代には最も激しくジャワと対決したマナドの人たちの奥にある心情を思う。

2008年6月12日木曜日

マムジュとクンダリ(速報)

今週は、8~10日が西スラウェシ州マムジュ、10日夜から東南スラウェシ州クンダリに来ている。いろいろと面白い話があったのだが、マカッサルに戻った今度の土日に改めてゆっくり書くことにする。

ちょうど、クンダリのホテルでホットスポットが使えたので、送ってみることにした。おっと、また停電。ホテルの自家発電機がうなりだした。

2008年6月5日木曜日

あるNGO連合代表の訪問

先週はパル、マナドと1週間出かけていて、今週1週間はマカッサルである。来週はまたマムジュ、クンダリへと出かけ、その次の週の前半にゴロンタロ行きを予定している。1週間マカッサル、1週間よそ、というペースで動くことになりそうだ。

今週初め、オフィスで仕事をしていると、「インドネシア市民社会組織連携NGO統一」(SOMASI)という名の役員をしているSという人物がいきなり訪ねてきた。どんな組織なのか聞くと、南スラウェシのNGOの連合組織だが、老舗であるFIK-Ornopには加入できないNGOの集まり、だという。加入できないのは、設立後2年未満だからということだが、相互の情報交換が目的なら、設立年数は関係ないはず、と批判する。

実は、今年初めに、なんと中央政府の国家官房主催で全国NGOセミナーというものが開催され、このSOMASIが南スラウェシ代表で出席したのだそうだ。へえーっと思ってしまう。設立して2年も経たないのに代表になってしまうとはねえ。それで、「SOMASIは何を目指しているのか」と聞くと、政府の事業を助けること、住民と政府の橋渡し役になること、との答え。具体的にやってきたことは、地方首長選挙のときの投票所での監視などのボランティアを動員すること。これからやりたいのは、デサとクルラハンの開発、だそうだ。このデサもクルラハンも基本的には行政用語で、前者は行政村(主に村落部)、後者は行政区(主に都市部)を指す言葉だ。「どうやるの?」と聞くと、デサやクルラハンにアンケートを配って開発ポテンシャリティを探るのだとか。それって、普通は村落開発局という役所が統計をとるためにする仕事じゃないの? 「住民から観たら、なんで同じような調査を政府とNGOが別々にやるのか、と混乱してしまわないだろうか」と問いかけると、そんなこと思いもしなかった、というような反応を返された。おいおい、いったいいつの時代の感覚なんだよー、と叫びたい気持ちを抑えながら、話を聞く。

このSの名刺には、自分の顔写真が選挙ポスターのようにデカデカと載っている。そうか、来年は総選挙、大統領選挙だった・・・、と気がついた。得票のために住民を丸め込むならどんな手段でも使う、ということなんだな。とくに政権側が。そうでなければ、国家官房が何でまたひよっこのNGOを代表に仕立ててNGOセミナーを開いたりするものか。本格的な官製NGOの時代を迎えるのかどうかは分からないが、まじめに活動している我が家の仲間のようなNGOは、ますます居場所が狭められていくような、そんな予感を抱いてしまった。

2008年6月1日日曜日

マナドの中級ホテル

2009年5月の世界海洋会議(WOC)開催へ向けて、4~5つ星のホテルが続々と建設中のマナドだが、現在までの中級ホテルを以下に紹介する。ただし、インターネットの利用については、ホットスポットの開設が進んでおらず、マカッサルやパルよりも遅れているのが現状である。

Hotel Minahasa
1930年代から営業している歴史ある宿。道に面した建物はオランダ時代に建てられた。丘の斜面に建てられたホテルは、上っていくにつれて眺望が広がる。最上階にある新築のスイートルームから海を眺める景色は素晴らしい。部屋は庭に面して建てられ、スイートルームの横には、ジャグジー付のプールが設けられている。朝食のほか、夕方にはお茶とお菓子が出る昔ながらのスタイル。客の大半は西欧からの観光客で、8月のハイシーズンは満室になることもある。
Jl. Sam Ratulangi No. 199, Manado 95113
Phone: +62-431-874869
Fax: +62-431-862559
Email: minahasahotel@hotmail.com / hotelminahasa@yahoo.co.id
Standard Room: Rp. 150,000 (+21% Tax & Service)
Superior Room: Rp. 235,000 (+21% Tax & Service)
Suite Room: Rp. 1,250,000 (+21% Tax & Service)
Extra Bed: Rp. 35,000 (+21% Tax & Service)

New Queen Hotel
以前から定評のある中堅ホテル。現在、モダンな内装のDeluxe Roomの新館を建設中である。このホテルのあるワケケ通りは、マナド粥(Bubur Manado / Tinutuan)の店が何軒も建ち並ぶことで有名。このホテルの食事は結構おいしい。しかし朝食付にもかかわらず、わざわざ朝食にマナド粥を食べるため外出する客も多い。ホテルを出て右に向かい、最初の右側の店が元祖マナド粥屋といわれている。
Jl. Wakeke 12-14, Manado 95111
Phone: +62-431-855551, 853022
Fax: +62-431-853049, 864440
Superior: Rp. 250,000
Deluxe: Rp. 350,000

Hotel Central Manado
市の中心部にあり、国内最大の書店チェーン「グラメディア」マナド店の真ん前にある。敷地内にオープン・カフェがある。
Jl. Sam Ratulangi No. 33, Manado 95111
Phone: +62-431-851234, 864049
Fax: +62-431-851689
Email: central_manado@hotmail.com / hotelcentral_mdo@yahoo.com
Standard: Rp. 190,000 (single), Rp. 215,000 (double/twin)
Deluxe: Rp. 225,000 (single), Rp. 250,000 (double/twin)
Junior Suite: Rp. 330,000
Family Suite: Rp. 385,000

Golden Dragon Hotel
Gran Puri Hotelの近く、海沿いのショッピングモールの真ん前にあるビジネスホテル。
Jl. Pierre Tendean No. 12, Manado
Phone: +62-431-853980
Fax: +62-431-862703
Standeard: Rp. 230,000+10%Tax (single), Rp. 258,750+10%Tax (twin)
Deluxe: Rp. 287,500+10%Tax (single), Rp. 316,250+10%Tax (twin)
Suite: Rp. 327,750+10%Tax
Ex. Suite: Rp. 378,000+10%Tax
Golden Suite: Rp. 525,000+10%Tax

Rock Rand Hotel & Music Resto
音楽レストランを併設したユニークなホテル。国内の有名歌手・アーティストがマナドに来て泊まる宿としても有名で、彼らのサイン入り色紙がたくさん貼られている。フレンドリーな雰囲気に満ちているが、通りから少し入った静かな場所にある。
Jl. A. Yani 16, No. 1, Sario, Manado 95114
Phone: +62-431-858805, 878721
Fax: +62-431-858804
Email: rockrand@rockrand.com
Standard: Rp. 180,000 (single), Rp. 200,000 (double)
Standard Special: Rp. 220,000 (single), Rp. 230,000 (double)
Deluxe: Rp. 240,000 (single), Rp. 260,000 (double)
Suite: Rp. 300,000 (single), Rp. 320,000 (double)
Presidential Suite: Rp. 430,000

マナドのうまいもの

マナドにはうまいものがいろいろある。大勢で集まったり、地元の方に招待されたときにわいわい食べ、食後にはひたすら歌・歌・歌の競演、それがマナドのディナーである。でも、いつもおいしい食事と歌、というわけにはいかない。マナドのB級グルメも、マカッサルと同様、レベルがけっこう高い。今回食べたもののなかからいくつかご紹介する。

まずは、ナシ・クニン。この黄色いごはんはインドネシアどこでもおなじみだが、マナドのそれは、カツオのだし汁で炊くせいか、個人的にはとても好みの味だ。マナド市内には有名店がいくつかある。前回(ここを参照)はサロジャで食べたが、今回はコンポン・コドッで味わった。ちなみに、ナシ・クニンを味わえるのはムスリムの方々の料理屋だが、キリスト教徒が多数派のマナドで、広く親しまれている味である。



次は、ミー・ラオラオ。豚肉そばである。ミー・ラオラオの店が立ち並ぶのはJl. Garudaであるが、マナドでも有名な麺の店のひとつ、Mie Katanで食べた。汁そばと汁なしそばがあり、今回は後者。臓物がたくさん入っていて、やや甘めなので、チリソースをかけて食べるとよい。


そして、マナドお粥(ブブル・マナド)の店が立ち並ぶことで有名なJl. Wakeke。マナドお粥の店がずいぶんと増えて、昼時には車で乗り付けてお粥をすする人々でにぎわう。マナドお粥愛好家がよく泊まるホテル・ニュークィーン(下写真の右側)は現在、新館を急ピッチで改装中である。


このマナドお粥、トウモロコシやカボチャ、空心菜などが入るヘルシーな食べ物で、麺を入れる人もいる。カツオの燻製である塩辛いチャカラン・フーフーをかじりながら食べるといっそう味が出る。これは想像なのだが、マナドお粥の起源は以外に戦時中の食事に関係しているのではないか、と思ってしまうが、果たして正しいのかどうか。次回、マナドへ行ったときに調べてみたい。