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2012年6月7日木曜日

ジャヤプラは美しい街

パプアと聞いて、どんなイメージを持たれるでしょうか。6月2〜6日、パプア州の州都ジャヤプラへ行ってきました。

ジャヤプラに来たのは約1年ぶり。前回来たときには、ジャヤプラの手前のアベプラ付近の沿道の商店の数がずいぶん増えて、ここでも消費の波が押し寄せていることを実感しましたが、今回もそれは同じでした。地方でもお金は回っています。


センタニ空港からほど近い、国軍コンプレックスの中にある通称「マッカーサーの丘」にある記念碑(写真上)。1944年に米軍南西太平洋司令部がここに置かれていて、マッカーサー司令官がここで指揮を執りました。眼下にはセンタニ空港の滑走路とセンタニ湖が一望できる眺めのとてもよいところです。


ジャヤプラに初めて来たのは1995年12月、あのときに見たワニの養殖場はどうなったかが気になり、行ってみました。宅地化が進んでワニの異臭が敬遠され、養殖場は遥か遠く離れたマンベラモ地区へ移転したということでした。それでも、小さなワニが少し大きくなるまで養っている養殖場が一区画残っていました。


そこからちょっと離れた海岸に近いハマディ地区に、日本軍の上陸記念碑がありました。そしてその横には、函館市ニューギニア会の慰霊碑があり、ご遺族が読まれたとおぼしき鎮魂歌が彫られていました。残念ながらカギがかかっており、遠くから眺めるだけでしたが・・・。布が干されているのがご愛敬です。


ハマディ地区は、様々なパプアの民芸品が売られるマーケットがあることで有名ですが、その真ん前にきれいな中央市場ができていました。以前と同様、これらの商店を経営しているのはブギス人やジャワ人といった、パプア以外からやって来た人々やその子孫たちでした。


ここで、ワメナ名産の木の繊維で織られた網製のバッグ「ノケン」を買いました。伸縮自在で、自然素材(ちょっと素材自体の匂いはあるが・・・)。しかも丈夫。コンパクトに小さくなります。以前から、エコバッグの本命と睨んでいましたが、ジャカルタやマカッサルではなかなか手に入らず、ようやく手に入れたという次第。今年の夏、東京で使ってみようかな、と思っています。


それにしても、ジャヤプラという街は実に風光明媚な街です。ちょっと丘の上に上って下を見渡すだけで、素晴らしい景色を味わえます。




是非、一度、ジャヤプラの絶景を満喫しに来られることをお勧めします。

2011年5月16日月曜日

バンジャルマシンのサシランガン

バンジャルマシンのサシランガン(Sasirangan)。ここの特産の絞り染めである。最近は、ジャカルタのバティック屋さんでもみかけるが、バンジャルマシンでこのサシランガンの工房をのぞく機会があった。


特徴は、波のような丸まった線。型を取って、デザインを描いていた。



絞り染めなので、制作プロセスはすべて手作りである。どのような模様を出すか、どの色を充てるか、細かく緻密に計算しながら、絞りを施していく。



下の写真のシャツの模様が伝統的な絞り模様の一つ、とのことだ。


ジャワでは、プリンティングのバティックが幅を利かせ、ろうけつ染め特有のシミのない、きれいなバティックを目にすることが多くなったが、このバンジャルマシンのサシランガンは、すべて手作りで、2枚と同じ模様のものには出会わない。素朴な味わいが何ともいえずほのぼのした気分にさせてくれる。

さっそく、私も明るい緑色のものなど3枚の半袖シャツを購入した。今年の日本の夏にも着てみたいと思っている。

2011年5月15日日曜日

南カリマンタンの水上マーケット

5月1〜5日は、南カリマンタン州バンジャルマシンに滞在した。実は、南カリマンタン州を訪れるのは初めてだった。そして、バンジャルマシンへ行ったら、まずは名物の水上マーケットを見に行かなければ、と思っていた。

5月2日、朝5時に起床して、マルタプトラ川を1時間半ほど上流へ上り、バンジャル県ロック・バインタンにある水上マーケットを見に行った。あいにくの大雨、しかもガイドの用意した舟には屋根がなく、おなじみブルーのビニールシートを被っての川上りとなった。当然、体中ほぼずぶ濡れ状態。自分の行いの悪さを反省しつつ、大雨の洗礼を受け入れるしかない。なかなかの苦行、である。

水上マーケット、とされた場所には、まだ数隻しか舟が集まっていなかった。それでも、10分、20分と過ぎると、舟はどんどん集まってきて、最盛時には約70〜80隻程度になった。雨なので通常よりは少ないのかもしれないが、日々の生活に必要な野菜や果物を毎日買う場所なので、雨天中止ということはないらしい。ここは、まだ、地元の人々が生活のなかで使っている水上マーケットであった。



舟で売買するのはほとんどが女性である。雨が降っていたので、みんな笠をかぶっていた。野菜などを乗せてくる舟に混じって、何も乗せていない舟が近寄ってくる。商人の舟である。




せっかくなので、より近い、バンジャルマシン市内のクイン川の水上マーケットへも行ってみた。5月5日、またしても朝5時起床、川沿いの家々がすぐ手が届きそうなぐらいの狭い水路を進んでいく。時折かかる橋が低く、船がその橋の下をギリギリに通過する。水上マーケットから戻る頃には満ち潮で水位が上がるため、その狭い水路を通ることはできなかった。

今度は天候に恵まれた。真っ暗だった空が少しずつ明るくなり、朝の光が徐々に空へ映り始めていく。

クイン川の水上マーケットは、2日に行ったロック・バインタンのそれとはかなり趣が異なる。舟の数が少ないのと、私らのような観光客を乗せた舟が何隻かあり、そこへ盛んにモノを売りに来る舟がある。「毎日娘が作るんだよ」とたくさんの種類のスナックを売る娘さん思いの気のいいおじさん。1個1000ルピアのお菓子が船上ではとてもおいしく感じられた。

観光客の多くはインドネシア人で、外国人は見かけない。それでも、観光客をあてにして、ミ・バソ(肉団子入りそば)などの軽食を食べさせる船まで出ていた。


このクイン川の水上マーケット、以前はたくさんの舟で賑わったそうだが、陸上交通が発達するにつれて、利用者が少なくなり、今では風前の灯火のような状況になっているようだ。たしかに、2日に行ったロック・バインタンの水上マーケットのような、地元の人々が日常生活のなかで活用しているようには見受けられなかった。


インドネシアの民間テレビ会社RCTIのテレビ広告では、たくさんの舟で埋まったバンジャルマシンの水上マーケットが写され、ジルバブを被った女性商人の一人が親指を立てて「イエーイッ」とやる部分に"RCTI OK"の声が被さる。そのイメージでバンジャルマシンにやってきたのだが、実際はとてもつつましいものであった。もっとも、年に何回かのイベントの際には、たくさんの舟が動員され、「賑わい」を演出するのだそうである。

バンジャルマシンの周辺で水上マーケットが残っているのは、これらロック・バインタンとクイン川の2ヵ所だということだ。でもきっと他にも、毎日の生活を支える船上での交易が、外部者に知られることなく、行われていることだろう。しかし、陸上交通の改善とともに、水上マーケットもその役割を変えていくことになるのだろう。

2011年2月8日火曜日

バティック・バンテン

バンテン州セランで、前から行きたいと思っていたバティック・バンテンの工房を訪問した。工房主のUke氏は、10年ほど前から工房を開き、バンテン王国の故事から75種類のモチーフを現代によみがえらせ、そのうちの20種類のモチーフを使って、バティック・バンテンを作ってきている。

この工房の特徴は、手書き(tulis)と型押し(cap)でバティックを描いていることで、今、はやりの安価で大量生産可能なプリンティングは一切行っていない。


ロウを溶かす燃料には、灯油ではなく、薪を使っている。Uke氏曰く「自然に優しいし、コストも1日たった500ルピアで済む」とのこと。





筆者が今回、バンテン州の友人からいただいたバティックのモチーフはラゲンマイタ(Langenmaita)。帆船で愛を育んだ幸せが到達する港、という意味だそうである。大変おめでたい意味で、その友人の気持ちがモチーフの持つ意味を通じて感じられる。自分で購入した布のモチーフはマンダリカン(Mandalikan)。その意味は、イスラム教の布教の際に、バンテン王国のアリア・マンダリカ王子に授けられた称号、ということである。


Uke氏は長年、スマトラのブンクル州に滞在したことがあり、そのときに、彼が考案した地元バティックが、現在のバティック・ブスレック(Batik Besurek)なのだそうである。ブンクル州のバティック・ブスレックについては、以前、ブログでも紹介した。

 ブンクルのバティック

バティックがユネスコの無形文化遺産に登録されて以来、インドネシア各地で様々なご当地バティックが勃興している。新しく考案されたものが多いなかで、他とは違う何か、とくに歴史から掘り起こした深さと丁寧な制作作業が新たな価値を見出していくのではないか、と思える。


マレーシアの国際バティック・コンテストにおいて、モチーフ部門で第1位になったバティックの布を購入した(上写真)。モチーフが明るく前面に出てくるのではなく、落ち着いた色彩のなかに渋くモチーフが描かれていた。生地の絹がとてもなめらかである。普段着では着られないような布地だったが、値段は想像よりもずっと安かった。バティックにあるような物語が、絹の布地にはまだないからなのかもしれない。

2010年12月5日日曜日

バンダアチェからラムノまで

この間、何かとバタバタしていたせいで、ブログの更新がおろそかになってしまった。11月17日に帰国したものの、その後も予定がいろいろ入ったのと、書かなければならない何本かの原稿があり、ツイッターではつぶやいていたものの、ブログに手がつけられなかった。11月はわずか1本とお寒い状況だったが、これから少しずつまた書いていこうと思う。

というわけで、しばらく古いネタを持ち出すことにする。今回は、10月16日、バンダアチェから西海岸をラムノまで走ったときの様子を紹介してみる。

バンダアチェからラムノまでは約2時間。ラムノの中心地を抜けて、しばらく走ると川の前で道がなくなった。

車もバイクも人も、この川を原動機付きの筏に乗って渡ることになる。ラムノには、ここ以外に、街中の市場近くにも、同様に川を渡る場所があった。

渡し場の脇には「茶屋」があり、川を渡る人々が一休みする。その間に筏屋が川を渡る準備をする。

茶屋で食べたスナック。左は餅米を発酵させたもの。右はよくあるチマキのようなもの。


茶屋を仕切っているご夫婦。津波のときの話をいろいろとしてくれた。地震の後、最初は水が引いたが、その後ほどなく轟音とともに水が押し寄せてきて、川沿いの家はすべてあっという間になくなった。無我夢中で逃げたそうだ。「津波のトラウマがない、なんて嘘だ」と強調していた。

渡し場からさらに5分ほど南下すると、橋げたの残骸があった。幹線道路の立派な橋だったそうだ。津波の後、新しい道路はかつての海沿いではなく、内陸のラムノの街中、筏の渡るところに造る予定だそうだ。きっと、津波が起こるまでは、この海沿いの橋を渡るドライブは、沿道でも有数の景色のよいコースだったのだろう。

橋に通じていたこの道は、かつての幹線道路。今では、牛やヤギの天国になっていた。

崩壊した橋のすぐそばには、緑色の屋根の新しい小さな住宅がたくさん建設されていた。マークからすると、サウジアラビアによる援助だろうか。

ラムノからバンダアチェへ向かう道路沿いは、水田地帯。

海沿いの丘を越えるところで海側を見ると、なかなかの景観だった。2つの島の向こうにインド洋を見渡す。

ラムノ方面を振り返ってみると、上の写真のような光景。ここも津波に間違いなく襲われたのだろう、と思わせるような地形だった。

丘越えの海に面した茶屋で一服。ここで出されたアチェ・コーヒーは、上の写真のようにコーヒー粒が満載。表面のコーヒー粒を皿に移してから飲む。濃い。甘い。口の中に残るコーヒーの粒々が何ともいえない感触。コーヒーを飲むというより食べる、という味わい方かもしれない。

インスタントラーメンのインドミーも。ここではアチェ風の味付けにして出してくれた。これが辛くてとてもおいしい。意外なところで意外においしいものに出会えたうれしさ。

この茶屋を切り盛りしている若夫婦。

茶屋を出てしばらく行くと、サルの一群がお出ましに。そーっと走っていると、ボスらしい雄ザルが逃げずにこちらを見て威嚇してくる。この辺りにはけっこうな数のサルが生息しているようだ。


沿道で小魚や干物などを売る小屋が並んでいた。ハマグリのような大きな貝も売られていた。売り子は女性たちで、試しに買ったちりめんじゃこは塩がかなり効いていた。最近、インドネシア産のちりめんじゃこが日本でも売られるようになったが、見た目は日本で見るものとほとんど変わりなかった。

「津波に注意」の標識。交通標識なのだろうか。

沿道の警察署の前。「この付近でこの間テロリストが射殺された」と運転手が説明してくれた。周辺は人影のない、何の変哲もない場所だった。

2010年11月8日月曜日

摩訶不思議なドラゴンフルーツの木


先月、バタム島に行ったとき、ドラゴンフルーツの木を初めて見た。だいたい、ドラゴンフルーツ自体、あまり見たことのない果物だったし、それがどんな木になるのかなんて、想像してもいなかった。でも、実に摩訶不思議な木だった。


この木は、枝の中心に芯が通っていて、その周りに三角形の肉がつく。周りの肉がとれても、芯の部分だけは棒のように残っている。


上の写真の真ん中の丸いのが芯である。そして、その周りの肉の部分から芽がどんどん出て新しい枝が造られていく。


サボテンを思わせるような、枝がニョキニョキとあたかも無秩序のように生えていく。生命力を感じるような・・・。


下の写真が、実ができる前の花(と思われる)。


最後は、ドラゴンフルーツのジュースを飲んだ。赤紫色の濃厚なジュースだった。ジューススタンドは土日・祝日のみ開店し、店の裏側に、ドラゴンフルーツの畑が広がっている。