2009年11月27日金曜日

ゴロンタロ=マナド、10時間

11月22日にゴロンタロからマナドまで陸路で移動した。7~8時間程度と思っていたら、結局10時間かかった。飛行機だとわずか30分とのことだが、乗客が少なくて、しばしばキャンセルになるらしい。安く確実にゴロンタロからマナドへ行くには、陸路が好ましい、ということのようだ。

ゴロンタロからマナドまでは、普通の長距離バスや『ガルーダ』という会社の相乗りキジャンが一般的だが、今回使ったのは、『マワル・シャロン』(Mawar Sharron)が昨年から始めたワゴンバスである(下写真)。


10席分のリクライニング・シート、エアコン付きで「エグゼクティブ・トラベル」と銘打っている。料金は125,000ルピアで、出発前に水とお菓子がもらえる。席どうしはセパレートではなくつながっているが、車内に客を詰め込まないので、それなりにゆったりとはしている。

このワゴンバスを予約するには、0813-5605-9724に電話かSMSを送ればよい。指定の場所に迎えに来てくれ、最終目的地まで送ってくれる、Door to Doorサービスである。ただし、出発前に乗客を迎えにグルグル周るので、なかなかすぐには出発しないし、マナドに着いてからも、目的地まで客を送るため、市内をグルグル周ることになる。

この『マワル・シャロン』は、ゴロンタロでは有名な地鶏のフライドチキン屋さん(私のお勧めはAyam GorengよりもAyam Bakarなのだが)であり、マナドにも支店がある。


ゴロンタロのホテルに迎えに来たのが午前8時、その後、他の乗客を迎えにグルグル周り、全員乗せてゴロンタロを出たのが午前9時半。ゴロンタロからの道は山越えのカーブの連続で、絶壁のような高さから眼下に海が次々に見えてくるのはなかなかの絶景。でも、極端な話、南ミナハサ県あたりまでは真っすぐな道がほとんどなく、常にカーブの連続である。車酔いの人にはちょっときついかもしれない。

午後2時ごろ、ちょうど中間地点らしい海岸近くで昼食をとった。焼き魚、空芯菜、ご飯という定番。掘立小屋のようなこの飯屋に着いても、椅子が足りなくて、15分ぐらい立って待たされる。この昼食は各人が払い、ワゴンバス料金とは別である。

昼食後、再び走り出す。しばらく行くと、木が数本しかポツンポツンと生えていない、草に覆われたはげ山が続く。そのはげ山の草を刈って、畑を作ろうとしている光景が何度も目に入ってきた。やはり、トウモロコシ畑になるのだろうか。


スラウェシでは、こうした光景を目にすることが少なくないが、今、急に始まったことではなく、これまで幾度となく繰り返された結果が、こうしたはげ山を作り出しているのだろう。人口の急増、人口圧に対して自然が養う力の低下、水源の消滅、保水力低下、土壌流失、やめられない粗放農法。井戸が塩化し、あるいは枯渇し、生活用水を外から買わざるを得なくなっているスラウェシの農村は少なくない。ここがダメになったら処女地へ移っていく、ということをいつまで繰り返せるのか。そして、こうした構造は、陸上だけでなく、急速な漁獲高の減少に直面している漁民たちの海でも同様である。

マカッサルは雨が降り始め、我が家の断水は解消されたが、実際に断水を長期間経験したからこそ、水と環境の問題が切実に感じられて仕方がない。

そして、ワゴンバスは夜7時半にマナドの宿泊先のホテルに到着。マナドではかなりの雨が降っていた。久々の長距離移動で、さすがに疲れた。

2009年11月23日月曜日

『マス・エンダン』スラウェシにて上映中

ドキュメンタリー映画『マス・エンダン』をご存じだろうか。

宮崎に研修生として来ていた西ジャワ州チレボン出身の青年エンダンさんは、休日に訪れた海岸で、2人の中学生がおぼれているのに気づき、とっさに海に入って彼女らを助けようとした。2人は助かったが、エンダンさんは亡くなった。彼は泳げなかった。すぐに、たくさんの地元の人々が必死の捜索・救助活動を行った。こうしたエンダンさんに引きつけられた一人の日本人が、彼の足跡や彼と関わった人々を丁寧に取材し、一本のドキュメンタリー映画にまとめたのが『マス・エンダン』である。

たまたま、国際交流基金ジャカルタ事務所からDVDをお借りし、今、スラウェシで上映している。

11月21日、ゴロンタロ国立大学で『マス・エンダン』の上映会があった。入場者は287人、もちろん全員が最後まで観ていたわけではないが、多くに人々が真剣に画面を見つめていた。観客の多くは、中高校生。彼らは一体、この映画から何を感じたのだろうか。


エンダンさんの勇気。エンダンさんを取り巻くたくさんの人々の彼に対する愛情。いろんな感想があることだろう。

もし、まだ観ていないならば、是非忘れずに観てほしい。12月20日までスラウェシで上映可能である。観たい方は、daengkm@gmail.comまでご連絡いただきたい。日程調整して、出来るだけ多く上映できるように努めたい。

2009年11月19日木曜日

マジェネで食べたマンダール料理


11月初めに西スラウェシ州マジェネに出張した際、友人の旦那の実家で、マンダール料理の昼食をご馳走になった。ここはもともと米が主食ではなく、キャッサバやバナナやサゴ椰子が主食となっていた。


上の写真は、キャッサバを平たく伸ばして焼いたもの。Jeppaと呼ばれていた。これと同じような形で、サゴ椰子によるものを、以前、北スラウェシ州のサンギヘ島で食べたことがある。大ぶりのイドゥーリ(南インドの米粉をのばしたもの)にも何となく似ている。食感も同じような感じだった。


これは、ロカ・アンジョロエ(Loka Anjoroe)。Lokaはバナナ、Anjoroeはココナッツのことで、バナナをココナツと一緒にして揚げたもの。お菓子ではなく、おかずである。このバナナは甘くなく、芋のような食感である。昔々、マルク州のセラム島で食べたバナナは、まさに芋であり、一番奥に黒い大きな種が入っていた。



マジェネは港町。新鮮な魚がやはり食卓をにぎわす。この日の前夜、港近くの倉庫で、地元のマグロ業者が確保しておいたキハダ・マグロをその場で刺身にしてひたすら食べる夕食を味わった。新鮮なので、キハダでも十分においしく、本当に久々にマグロを食べたという満足感があった。


これは、ラワール(Rawar)というサンバルのようなもの。南スラウェシ州ワジョ地方には、魚とココナッツを和えたラワというのがあるが、それと似たような感じであった。

それにしても、こうした料理は、普通のレストランでは味わえず、誰かの家の家庭料理なのである。レストランでは、毎度おなじみ、焼き魚か鳥の空揚げ、である。普通の観光客にはなかなか見えない、地元の食の世界には、深遠なおいしい「宇宙」が広がっている。

2009年11月8日日曜日

トビウオ、「サンセット・ロード」:西スラウェシ州マジェネ

11月4~6日は、西スラウェシ州へ出張した。マカッサルから西スラウェシ州の州都マムジュまで飛行機で1時間ほど飛び、マムジュから車で約3時間半かけて南下してマジェネへ向かう。2003年までは、マムジュもマジェネも南スラウェシ州で、マカッサルから陸路で10時間以上かけて出かけるのが普通で、筆者自身はまだその感覚を保ったままだ。しかし、2004年の西スラウェシ州設立が、今回のような旅程を何も不思議と感じさせないような、感覚の変化を起こさせていくのかもしれない、と思った。人工的な境界変化が空間の意味づけを(わずかの間に)変えていく、というのかもしれない。

マカッサルからマムジュまでは、サバン・メラウケ航空チャーター(SMAC)の小型プロペラ機で移動した。久々に乗ったインドネシア国産機NC-212(スペインと技術提携)である。


マムジュで政府機関などに立ち寄ってから、マジェネへ向けて出発。ほどなくマムジュ県からマジェネ県に入り、マルンダという町で昼食の後、海岸沿いをひたすら南下する。マルンダまでの沿道は閑散としていたが、マルンダを過ぎてしばらく行ったあたりから、様相は変わった。明らかに人家の数が増え、すぐ後ろの山々は人の手が入って森林が少ない景観となった。

センダナ郡モッソ・ドゥア村に入ると、沿道に小屋掛けの家々が並び、そこからもうもうと煙が上がっている。トビウオの燻製を作っているのである。


トビウオの干物もあった。


しかし、トビウオの玉子「飛子」が見当たらない。以前、聞いた情報では、飛子を使った料理があるという話だったのだが。

これらトビウオの燻製作りは、2年前に西スラウェシ州政府が、この地域をトビウオを使って村おこしし、食べ歩き観光の場所として売り出そうと指導したのを契機としている。実際、州政府の指導で、トビウオの干物はパッケージされて商品化されている。


燻製は、ドライブ中の車をターゲットにしているようである。実際に燻製を食べてみたが、くせのない素朴なおいしさであった。

トビウオ燻製屋の後ろは海で、浜には、動力機なしの帆船としては世界最高速を誇るサンデックが係留されていた。


マムジュからマジェネへ向かうスラウェシ西海岸の道を走りながら、ふと思った。山が海岸近くまで迫っているところがほとんどのスラウェシ島で、こんなに1時間以上も海岸沿いを走れる道は他にほとんどない。しかも西海岸。そうだ。この道を「マジェネ・サンセット・ロード」と名付けてはどうか? 1時間近くも車窓から夕日が楽しめ、しかも海上に何も夕日を遮るものがないのだ。

実際、11月6日にマジェネからマムジュへ戻るとき、ちょうど夕方この道を通った。予想通り、車窓から見た海上の夕日はなかなかの美しさであった。それがアングルを変えながら、時にはヤシの木をシルエットにして映えながら、1時間以上も眺められるのである。

マジェネ・サンセット・ロード。いよいよ「スラウェシの美しい道百選」を始めてみようか、と思わせる素敵な道である(ただし、道路コンディションのことではない・・・)。

2009年11月7日土曜日

ゴロンタロの「デズニー」温泉



ゴロンタロ市内からゴロンタロ空港へ向かう途中に、温泉があるのをご存じだろうか。これは、ゴロンタロ県政府が運営するペンタディオ・リゾート(Pentadio Resor)という施設である。

温泉は、ディズニーのキャラクターをかたどった小さな建物の中にある。「ミッキーマウス」も「ミニーちゃん」もある。なかの湯舟はきれいでけっこう広く、家族みんなで温泉浴、という使い方を想定しているようだ。


しかし、これだけの湯舟にお湯をためるにしては、蛇口からの水量は全然足りない。30分蛇口を開けっ放しにしても、20センチぐらいしか貯まらない。ここで「いい湯だな!」をするためには、あらかじめ、2~3時間前までに電話で予約し、お湯を貯めておいてもらった方がよさそうだ。

筆者自身は、けっして太鼓判を押しはしないが、興味のある方は、以下へコンタクトされてはいかがだろうか。ともかく、思い出になることは間違いないと思う。

ゴロンタロ県観光局(Dinas Pariwisata Kabupaten Gorontalo)
Tel: +62-435-881213(英語での受け答えが可能)

ゴロンタロ・無人のワルンにて

11月1日、マカッサルからゴロンタロに到着し、そのまま車で同州西端のポフワト県へ移動した。ゴロンタロ空港からポフワト県の県都マリサまでは約3時間半かかる。途中、気の利いたお休み処はなく、結局、何か飲み物の飲めそうな小屋掛けのワルンを見つけて、車を停めた。

このワルンには誰もいなかった。柱に掛けられたラジオから番組が流れているのみ。どうやら、小屋の主は下の畑に出かけている様子。真昼間のこんな時間にお客など普通は来ないのだろう。われわれは、彼らからすると非常識な時間に来てしまった、ということなのか。

大したものはなさそうだったが、ぶら下がっている小口分けしたシャンプーの左隣に、小さいポリ袋に入って小口分けされた奇妙なものを見つけた。これは何だ?


きっとこれは、岩塩とか料理に使うものではないか、と思って、同行したゴロンタロの友人に尋ねた。すると、彼女はポリ袋に鼻を当ててクンクン嗅ぎ出した。そして彼女いわく、これは儀式で呪い師が使う道具である、とのこと。写真左からアラマ・モヌ(火をつけて香りを出す石)、タワス(重曹)、アラマ・トゥル(火をつけて煙を出す石)3種類、である。

そして、「この煙が向かった方角に向かえば、いなくなった牛を見つけることができる」などと呪い師が言うのである。こうした「道具」は、呪い師が持ってくるのではなく、人々があらかじめ常備しておき、呪い師を呼んだときに、すぐに儀式を始められるようにしているようだ。

いなくなった牛の居場所だけでなく、様々な祈りの儀式や先祖を弔う場合などにも、これらの道具を使う。お祝いのときには、シナモンや砂糖も合わせて、香りを高めるようである。

それにしても、呪いの小道具が小口に分けられ、シャンプーと同じように「売られている」というのも、なかなか興味深い。すなわち、伝統的な、おそらくイスラーム流入以前から続いているであろう、ゴロンタロの人々にとっての基層文化もまた、商業化の波を避けることはできない、というべきではないか。

ほかにも、たとえば、マラリアの薬を見つけた。この辺は、決して、マラリア汚染地域ではないと思うのだが。


棚の上には、散髪用のハサミが。床屋もやるのだろうか。


そして、小屋の端っこには太い木の板が置かれていた。枕だろう。


普段なら、確実に見過ごすであろう、一見何の変哲もない無人のワルンで、いろいろなものを見つけて興奮してしまった。そして、我々が出発するまでに、ワルンの主は現れず、柱に掛けられたラジオだけがけだるい音楽を流していた。