2010年4月29日木曜日

JALのバリ便、10月1日から廃止

4月28日に発表された日本航空の運休・減便区間一覧によると、成田=デンパサールが10月1日から、関空=デンパサールが9月30日から運休になる。これは、JALがデンパサール地点から撤退することによるもの。これにより、JALはバリ島直行便から事実上撤退、となる。

これを見る限りでは、成田=ジャカルタ便は継続する模様だが、昔のように、成田=ジャカルタ=デンパサールと飛ぶのかどうかは不明。

一方、ガルーダ・インドネシア航空はここ数年で大幅に業績を上げて黒字経営になっており、現在、デンパサール=成田の直行便に加えて、ジャカルタ=成田の直行便を申請している模様である。

2010年4月28日水曜日

Balla Idjo Guesthouse の始まり

昨日帰国し、今日からはまたフリーの身に。Facebookなどがあるので、マカッサルやスラウェシの友人たちとお別れした、という感慨はほとんどないまま、東京での家族との生活をスタートさせた。

今回は、これまでブログでほのめかしていたマカッサルでの小さなプロジェクトの話である。実は、以前から、マカッサルに自分がいつでも戻って来れる居場所を確保し、マカッサルを訪れる私の友人たちに、そこをくつろぎと交流の場として使ってもらおうと考えてきた。そしてこのたび、私の友人に限定した会員制のゲストハウス"Balla Idjo Guesthouse"を始めた。
Balla Idjoとは、マカッサル語で「緑の館」という意味である。

部屋数はバスタブ付きの4部屋、プールもある(朝食はプール前のテラスにて)。無線Wifiによるインターネット接続も24時間OK。料理上手な私のお手伝いティニさんが日本食も交えた食事を作ってくれる。彼女の食事については、本ブログの「ティニさんの食卓」のタグを覗いてほしい。

なお、昼食は別途、1人3万ルピアでナシゴレン、かた焼きそば、炒め焼きそば、ビーフン、ワンタンメン、カプルン(野菜たっぷりのスープとサゴ椰子澱粉)、マナドお粥など、希望のものを作ってもらえる(あらかじめ希望の料理をお知らせしてほしい)。また、宿泊せずに、食事(夕食)だけの場合にも、1人5万ルピアで対応する。基本的には、彼女のお任せ料理だが、トンカツ、酢豚などのリクエストにも応じる。

朝・夕食、洗濯、インターネット接続、NHKを含むテレビ視聴を含めて、会員が1泊30万ルピア、会員が紹介する非会員が1泊35万ルピア、と価格設定した。会員は私の友人(これから友人になる方も含む)に限定し、入会費として1口50万ルピア(日本円なら5000円)をお支払いいただくことにする。これらの支払いは、ティニさんに託してもらえればよいし、銀行振込などの方法も可能である(要ご相談)。

このほか、車(アバンザ)が運転手(アミルさん)付きで1台あり、レンタル可能である。マカッサル市内ならば1時間3万ルピア、1日30万ルピア、ガソリン代込みである。マカッサル市外ならば1日40万ルピア、ガソリン代は別途支払をお願いしたい。なお、1ヵ月借りるならば400万ルピアで、ガソリン代は別途支払いでお願いしたい。

Balla Idjo Guesthouseの中には、私のインドネシア語、英語、日本語の蔵書を並べた小さな図書館も作ったので、閲覧可能である。日本の地域づくりや生活史に関わるような本、スラウェシやインドネシアに関する英語の書籍、スラウェシに関するインドネシア語の書籍、などが置いてある。こちらは、とくに事前予約の必要はないが、書籍の外への持ち出しはご遠慮願いたい。

宿泊、食事、車レンタルなどの利用ご希望の方は、個別に私宛て、あるいはメールで balla_idjo@gmail.com へ事前に必ず連絡してほしい。部屋数に限りがあるので、いつも希望に応えられるとは限らないが、可能な限り、ご利用いただけるように取り計らう予定である。

場所は、Jl. Gunung Batu Putih No. 31, Makassar である。なお、Balla Idjoという名前は、一般には公開していないので、タクシーの運転手にその名を言っても通じないので、住所を告げてほしい。

この「ゲストハウス」は、私のマカッサルでの居場所作りであると同時に、国籍を問わない私の友人たちのくつろぎと交流のサロンとして活用してもらいたいとの希望を持って始めた。そして、これは、私がマカッサルを基点に、中長期的に構想しているいくつかの活動への一歩になるものと位置付けている。

身体はマカッサルから離れても、精神はマカッサルから離れることはない。Balla Idjoから面白くて、楽しくて、みんなを幸せにしていくようなことが始まる、そんな場所にしていければと願っている。

2010年4月27日火曜日

帰国

2年間のマカッサルでの業務を終了して、今日、4月27日朝、成田着で帰国した。到着した成田は、思ったよりも寒かった。自宅に戻って湯舟に浸かり、日本へ帰ってきたことを実感した。

さて、これからしばらくは、次へ向けての充電期間。楽しみである。

2010年4月14日水曜日

ただいま「お別れ」巡業中

4月27日の本帰国を前に、今週と来週は、スラウェシ各州へ「お別れ」巡業中である。今週は西スラウェシ州、ゴロンタロ州、中スラウェシ州、来週は東南スラウェシ州、北スラウェシ州、最後は地元南スラウェシ州、の予定。ただし、来週はどちらか1州になる可能性もある。

それともう一つ、まだ公表できないある「プロジェクト」の準備を進めている。場所はもちろんマカッサルである。

というわけで、ブログの更新は滞り気味になるし、少々、疲労困憊状態。Twitterでできるだけつぶやいてみようと思っているが、なかなか・・・。

2010年4月4日日曜日

ALIGUKA


先日、私の友人であるマカッサルの若者たちが作成した『ALIGUKA』という映画を観てきた。

主人公はAligukaという名前の大学生。父親が議員で、何不自由ない生活である。その彼が、大学の卒業論文のテーマを「議員の汚職」にした。指導教官はテーマを変えるように強く求めるが、彼は頑として言うことをきかない。父親からは就職を世話するからとにかく卒業してくれ、と言われる。

プラムディヤ・アナンタ・トゥールやチョムスキーなどを愛読し、世の中に対して批判的なAligukaは、そんな指導教官や父親に嫌気がさして家出し、低所得者層の住む集合住宅で生活を始める。そんななか、父親が汚職容疑で逮捕される。それを横目に、Alikugaは、集合住宅の日々の生活で直面する隣人たちの様々な現実、彼らをそうした状態にさせている世の中の不公正さに直面しながら、一体、世の中がおかしいのか、自分がおかしいのか、分からない状態に陥っていく。そして、彼は精神病院の住人となる。精神病院の住人となったAligukaは、それまでの自分よりも幸せそうな表情をしている。

70分のこの映画は、インドサットがスポンサーになり、マカッサルの若者たちだけで製作された。Aligukaは、逆から読むとAku Gila、「私は気が変」、という意味になる。世の中の汚職を批判するナイーブな若者の話のようにみえるが、実は、それを表に出しつつ、裏では逆に、本の世界を絶対として、世の中の現実をしっかり見ようとしない、頭でっかちな若者たち(映画製作者自身を含む)をAligukaに託して批判しているのであった。

この映画は、マカッサルを州都とする南スラウェシ州がインドネシアで最も汚職のひどい州だという評価を意識して作成された。近いうちに、政治エリートを交えた場で上映することが計画されている。議員さんたちは、この映画をどのように観るのだろうか。

それにしても、こうした映画を作るマカッサルの若者に未来へ向けての前向きの、そして純なパワーを感じる。多くの場合、1回成功すると慢心して2回目以降が続かない傾向がここでは見られるが、是非、次はもっと優れた映画を作ってほしい、と思った。

2010年4月3日土曜日

バウバウ(2):ソウルと相思相愛

実は、バウバウ市は、韓国の首都ソウル特別市と姉妹都市なのである。

ことの発端は、希少言語の問題である。バウバウ市やブトン県に居住する少数種族のチアチア族が文字を持たず、自言語の消滅の危機にあるのだが、この希少言語を表音文字のハングルを使って保存しようという試みが、韓国の研究者によって始まった。その研究者たちのなかに、ハングルを発明した世宗の遠い子孫の方が入っていたことから、話が進み、いつの間にか、ソウル特別市と相思相愛になってしまい、姉妹都市になった、というのがバウバウ市長の話である。

すでに、ソウルから若者たちの使節団が訪れて滞在したほか、バウバウ市長一行も最近ソウルを訪れ、熱烈歓迎されたという。

バウバウ市にKorea Center WONAMというのを建設する計画もある。ともかく、バウバウ市は今、韓国との相思相愛の関係を生かして、地域振興に弾みをつける戦略を採り始めている。

筆者も、様々な方面から日本で姉妹都市の候補を探してくれと言われたものだが、多くの場合、「日本の姉妹都市からどんな援助をもらえるか」しか考えていなかった。一方、日本側も、何のために姉妹都市?、という空気が年々強くなっているように感じた。

韓国政府は今、インドネシアでの韓国語や韓国文化の普及に一層力を入れている。マカッサルの国立ハサヌディン大学にも、韓国政府の肝いりで韓国語学科が開設されたと聞く。他方、日本語や日本文化の紹介にかかる予算は年々削減されている。コミックやJポップでインドネシアの若者がどんどん(勝手に)日本好きになっているので、ま、いいか、ということなのだろうか。これも、いわゆる自立発展性、なのだろうか? でも、少なくともマカッサルの若者たちの日本理解は益々ステレオ・タイプ化しているように感じる。

それにしても、市長が「相思相愛」といって胸を張れるのは何ともうらやましいし、そういう気持ちを持たせるような、韓国やソウルの関係者の誠実な態度が想像できて、スラウェシ・ファンとしてはうれしく感じる。

でも、我々だって、誠実にインドネシア側と付き合ってきているはずなのだが、果たして、本当に彼らにはそう映っているのだろうか。もしそう映っていないのなら、その原因は何なのだろうか。最近、そんなことがなぜか気になり出している。

2010年4月2日金曜日

バウバウ(1):パイナップルと龍

3月26~28日、東南スラウェシ州バウバウへ行ってきた。バウバウはブトン島の中心都市で、人口は約10万人。島々を眺める風光明媚な狭い土地にひしめき合うように建物が建っている。

バウバウ市はブトン県から分立してまだ5年余。新しい市長オフィスが、海を見下ろす見晴らしのいい丘の上に立っていた。


ふと見ると、市長オフィスの前に「パイナップル」の像があった。


この後、ブトン王宮(スルタン)の要塞に囲われた場所を回ったが、そこの家にも「パイナップル」が屋根の上などに置かれていた。


ブトン王宮のシンボルは、このパイナップルと龍なのだそうである。要塞の中の家には、両方が屋根の上に置かれているものもあった。


そして、バウバウ港の前の公園には、大きな龍の像があった。この龍の尻尾は、小高い丘の上のブトン王宮の要塞で囲まれた地域までつながっている、とか、こ れからつなげる、とかいう話になっていた。この龍の像、シンガポールのマーライオンにヒントを得たのだとか。


バウバウでシンボルとして尊ばれるパイナップルと龍。何となくではあるが、沖縄との近さを感じた。もっとも、パイナップル料理が名物、ということは何もない。

でも、今、バウバウの関心は沖縄にではなく、韓国に向けられているのである。