2010年3月23日火曜日

ティニさんの食卓(4):豆のスープ


昔、ティニさんがアメリカ人の下で料理を作っていたときに覚えた豆のスープ。具だくさんで、ちょっとピリッとした辛さがアクセントのスープである。このスープ、「今日は豆のスープが食べたいな」と思ったときに、なぜか出てくる不思議な一品なのである。

インドネシアに来て元気になるといいな

数年前から、インドネシアで日本のニュースを見ていると、何となく明るさを感じない。鳩山政権が誕生してしばらく、やや明るさが感じられたのだが、今はまた明るさを感じられなくなった。また、インドネシアのなかで日本を引きずっている部分には、やはり明るさが感じられない。前向きなことを言ったりしたりしようとすると嘲笑われるような、変な気分になる。

インドネシア人看護士や介護士の問題は、様々なところで議論されているが、もし、日本人である自分がよその国で、そこの言葉を使う国家試験に受かれるかと考えれば、それはおそらく無理だろう。日本側にそうした想像力が欠けているのか。もしそれが分かっていて、そういう仕組みをインドネシア人看護士や介護士に課しているなら、それは「いじめ」みたいなものだろう。最近、インドネシアから看護士や介護士で日本へ行ってもしょうがないという人が急増しているそうだが、本音では来てほしくないのに、来ることになってしまったから柔らかに排除する、というような日本のやり方は、国際的に認知され納得されるとは思えない。誠意ある外交をしていることにはなるまい。

そんな状況で、看護や介護を受けている日本の方々は、残りの人生を楽しく生き生きと過ごしていこうと前向きになれるのだろうか。本当に元気になれるのだろうか。そういった方々の幸せを実感できるようにするのが、鳩山政権の公約だったのではないか。

ふと、発想を変えたほうがいいと思った。インドネシア人看護士や介護士が日本に行かないのであれば、日本で看護や介護を受けている方々がインドネシアへいらして余生を送ってはどうか。インドネシア人看護士や介護士は、接し方が丁寧で、日本のお年寄りの評判も上々と聞く。試験に不合格でインドネシアへの帰国を余儀なくされる看護士や介護士に、その経験をインドネシアで生かしてもらうのである。

そういうアイディアは、バリでもスラウェシでも、すでにいくつかあるのだが、日本人のお年寄りの様々な生活上のケアをきめ細かく行える体制作りに難があるようである。しかし、バリのように、すでに多くの日本の方々がセカンドハウスを持ち、バリ在住の日本人コミュニティが現地社会に溶け込んでいるようなところでは、ちょっと安易かもしれないが、何かうまくいきそうな気がする。

もっとシンプルにいえば、インドネシアに来て元気になって欲しいのである。インドネシアに移住しなくても、行ったり来たりしてもいい。そして、普通の日本のお年寄りと普通のインドネシアの人々が、何の色眼鏡も先入観もなく、互いに信頼し合えるような関係を作ることが、「友好」「親善」と口でいうより、援助をする・もらうというより、どんなに日本とインドネシアをつなげていくことか。それがどんなに日本の国益に有効であることか。

2010年3月13日土曜日

東京に帰る、マカッサルに帰る

区切りがついて、今のマカッサルでの業務は終わるが、マカッサルやスラウェシとの付き合いが終わるわけではない。マカッサルを(取り合えず)去るという感慨は、あまり感じない。

たとえば、Facebookなどを通じて、地球上のどこにいても、Friendsとはずっとお付き合いしていける。今どこで何をしているか、インターネットにつながっている限り、好きなときに言葉を交わせる。学校の卒業式で歌った「仰げば尊し」の時代ではもはやないのだ。もっとも、それがちょっと味気なかったりする気もするのだが。

私にとって、妻子のいる東京と同じぐらい大事な場所がマカッサルである。このところ、東京に帰る、マカッサルに帰る、と無意識に言っている自分がいる。マカッサルは行き先ではなく、帰る場所なのだ。だから、4月末以降も、マカッサルからちょっとよそへ出かける、という感覚になるのだと思っている。

今、マカッサルでちょっと計画していることがある。うまくいけば、4月末にはそれを読者のみなさんにお知らせできると思うのだが。

2010年3月12日金曜日

区切り

先週から今週にかけて、いくつかの区切りがついた。

先週、3月4日に約80人が参加するセミナーを開催。3人のアシスタントたちが面倒なロジを含め、献身的な働きをしてくれた。彼らの根気強い働きなしに、セミナーの成功はおぼつかなかった。以前、やはり3人のアシスタントと一緒に仕事をした、充実した日々を思い出した。もう10年前の遠い昔の思い出だが、その時の興奮と感動を瞬間的にでも思い出したかのようだった。

その3人のアシスタントの中心で、これまで2年弱にわたって傍で働いてきてくれたA君が本日で退職した。昨年の公務員試験に合格し、来週からは公務員として働くことになっている。合気道が得意でもちょっとシャイな彼は、この間にすっかり成長して頼もしい存在になっていた。でも、彼とともに私も成長できたのだろうか。ともかく、感謝してもしきれないぐらい、献身的に働いてくれた。益々の活躍を祈ることしかできない。

そして今週、4月末での任期終了、本帰国後、再びマカッサルやスラウェシで今のようなポジションで業務をすることはない、ということが確定した。自分とマカッサルやスラウェシとの関わりがこれで切れるわけでは全くないが、マカッサルやスラウェシとの関わり方を時間の経過とともに変化させていくことになる。これは必然であり、とくに驚くべきことではない。

でも、あと1ヵ月半と思うだけで、見慣れた光景や友人たちの姿が突然愛おしくなってしまうのは、なぜなのだろうか。

2010年3月7日日曜日

ティニさんの食卓(3):海老フライ、小魚南蛮漬け風


ティニさんの海老フライ。気分が乗ると作ってくれるひと品。自家製のタルタルソースも、とてもおいしい。


そして、この小魚を揚げて、南蛮漬け風に仕上げた一品もよく食卓に上がる。小魚はキビナゴの仲間である。ご飯との相性は抜群。

マカッサルの我が家の幸せな食卓、である。

2010年3月6日土曜日

マカッサルの日々

先週、今週、そしておそらく来週もマカッサルの日々である。2月前半、続けざまに4本出張を入れ、途中で、マカッサル発マムジュ行きの飛行機が急遽キャンセルになり、13時間夜行バスに乗るというオマケまでついたが、何とか体は持ちこたえた。

出張から戻って、3月4日開催のセミナー準備に明け暮れ、セミナーも何とか無事に終わらせることができた。これは、ひとえに優秀なアシスタントたちが面倒なロジ関係をすべて引き受けてくれたことがきわめて大きかった。心から感謝している。

ここ数日、マカッサルは学生デモが激しかった。最初は、経営難に陥ったセンチュリー銀行へ多額の公的資金を注入した政府(とくに当時中銀総裁だったブディオノ副大統領とスリ・ムルヤニ蔵相への名指し批判)の判断への批判、および公的資金注入は問題ありとした国会決議への支持が学生デモのテーマだった。しかし、デモ首謀学生を拘束するため、警察がムスリム学生連合(HMI)マカッサル支部に押し入り、建物の一部を破壊したことが、デモ学生たちの警察への怒りを爆発させた。学生デモはエスカレートし、あちこちで大学前の公道を封鎖して古タイヤを燃やす学生たちに警官が催涙ガスを発射し、学生が投石や火炎瓶で対抗するという事態になってしまった。

交通は遮断され、あちこちで大渋滞となった。政府公用の赤ナンバー車が学生に襲われ、赤ナンバーのトラックや救急車が被害にあった。

またもや過激化したマカッサルの学生デモ。これでは、いくら努力しても、マカッサルの対外イメージは悪化する一方だ。「マカッサルの恥」と学生をののしる市民も少なくない。一方、学生は、10数年前に同様の激しいデモを行った学生たちがその後政治エリートに転身していった姿を見ている。自分たちも先輩に負けない騒ぎを起こしたい、というのであろうか。

嘆かわしい事態に直面した、マカッサルの日々である。