2010年10月19日火曜日

ミー・アチェの名店

最近、ジャカルタでよく見かけるのがミー・アチェの店である。ミー・アチェとは、カレー風味のやや辛めの味付けの汁なしそば。この味付けは中華麺とは異なる系統の麺と思わざるをえない。しかし、これはこれで、なじむと忘れがたい味わいがある。

バンダアチェで最も人気のあるミー・アチェの名店がMie Razali。市内に何軒か支店もある。ここで、カニ、エビ、イカ、牛肉の入った全部入りのミー・アチェを食べた。知人によると、ここの麺は手打ちだというが、とくにコシが強いということはない。


うーん、さすがにうまい。来週は、友人とジャカルタでミー・アチェを食べる約束がある。

いったい、ミー・アチェはいつ頃に誰が発明したものなのだろうか。いずれ調べてみたい。

2010年10月15日金曜日

荘厳なバンダアチェの大モスク

10月13日からバンダアチェに来ている。バンダアチェには、前々から来たいとずっと思い続けてきた。アチェ特別州には、1987年に車でメダンからロクスマエまで往復したことがあったが、その後は、軍事作戦地域に指定されてしまった。また、2004年12月26日朝に起こったスマトラ沖大地震・大津波の後も、行く機会がなかった。インドネシア政府と独立アチェ運動(GAM)との和平停戦合意後も、今回まで行く機会がなかった。本当に、ようやく来られた、というのが実感である。

何はともあれ、まず行きたかったのは、バイトゥラフマン・モスクである。同行のインドネシア人の友人もマグリブの礼拝をしたいというので、一緒に出かけた。建物は、想像よりは小さかったが、何とも言えない厳かで落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


真ん中にかけられた時計をよく見ると、数字がアラビア数字で書かれている。


モスクの中の様子をみたいと思って、階段を上がったところで、警備員に「ムスリム以外は中へは立ち入り禁止だ」と言われた。もちろん、そうだろうと思っていたので、驚きはしなかったが、中の写真は撮っていいというので、撮らせてもらった。


夕暮れどき、たくさんのツバメが声を上げながらモスクに集まってくるなか、テープ音だったが、しっかりとしたアザーンが鳴り響く。海からの風が心地よく、何とも言えぬ、贅沢な夕暮れのひとときを過ごしたという満足感が沸いてくる。そして、この荘厳な大モスクを舞台とした、穏やかで静かな夕暮れの祈りのひとときを、とても美しく、柔らかく、尊いものに感じた。「イスラムは美しい」と感じた。


夜の帳が下りはじめ、照明に映える大モスクは、何とも言えぬ美しさを見せた。ため息が出るほどの美しさだった。

インドネシア人の友人に、「アチェの大モスクでの礼拝の気分は他のモスクと違うのか」と聞いてみた。曰く、モスクの大小や新旧とは違う、歴史の重みを感じるので、気分は全く違うのだそうだ。そして彼は、津波のことを思い浮かべながら祈った、という。

2010年10月12日火曜日

バタムの魚スープ

10月6日にバタム島に着いて、まず向かったのがSop Ikan Yong Kee。ジャカルタでは、バタムといえば魚スープ(Sop Ikan)が有名である。そのなかでも、Yong Keeのものがベストといわれていたからである。


Sop Ikan Yong Keeは、見た目は何の代わり映えもない魚の入ったスープ。でも、一口飲むとあっさりとした中にもコクのあるスープの味がじわっと広がってくる。ここでは、この魚スープと白いご飯というのが定番の取り合わせのようだ。スープの中にご飯を入れると、お茶漬けのような味わいを楽しめた。

この店の主人は、お隣のビンタン島のタンジュンピナンの出身とのこと。古い町といわれるタンジュンピナンにも是非行ってみたいものだ。


2010年10月10日日曜日

元祖エス・テレールは健在なり

ジャカルタを代表する冷たいデザートの一つ「エス・テレール」(Es Teler)。ご存じの方も多いと思うが、今ではチェーン店のEs Teler 77が元祖だと思っている人も少なくないようだ。

エス・テレールの元祖は、ジャカルタのチキニ通り(Jl. Cikini)沿いにあった屋台で出していたものだが、あまりにもおいしくて、(アルコール分は入っていないのだが)千鳥足のようになってしまう(Telerというのは「(気持ちよくて)ふらふらっとする」という意)ことから名前がついたという。

20年前にジャカルタに2年間滞在していたとき、その元祖の屋台を受け継ぐ店を見つけた。Jl. CikiniとJl. Diponegoroが交わる角にあるメトロポール(Metropole)という、古くからある映画館を中心にした建物の裏で、タレをつけて鶏肉を香ばしく焼いたAyam Bakarの店と一緒になっていた。小さく素朴な店で、エス・テレールの元祖を見つけた喜びを感じていた。

その後、あの店はどうなったのだろう。まだ同じ場所にあるのだろうか。独特の尖塔が象徴的な歴史的建造物でもあるメトロポールが取り壊されるという噂も流れていたし。あれからもう20年も経ってしまっていた。

10月2日、急に思い立って、20年前と同じ場所へ確認のために行ってみることにした。そして、ちょっと広くこぎれいになった店がそこにそのままあって、前はなかったおそろいの制服を着た従業員とともに、たくさんの客で賑わっていた。もちろん、元祖エス・テレールも健在だった。



Ayam Bakarが15,000ルピア、Es Telerが10,000ルピア。20年ぶりに味を堪能する。あのときとほとんど味は変わっていなかった。そう、本物のエス・テレールのうまさはやっぱりこれである。アボガド、ジャックフルーツ、若いココナッツ、これらが甘く白く冷たい氷水のなかで、楽しく踊っている。


ちなみに、このエス・テレールがマカッサルに行くと、下の写真のような形状になる。


各地のエス・テレールにそれぞれローカル色が出るのも面白い。マカッサルのそれには、味付けピーナッツが乗ったアイスクリームが入る。

白色をベースとした、ジャカルタの元祖エス・テレールは、まだ健在だった。私の大事なジャカルタの宝物の一つだ(また食べ物だ、という声が聞こえそう・・・)。