2009年9月27日日曜日

デリーの街中にて

9月16日、デリーの国立博物館に開館1時間前に着いてしまったので、インド門まで歩いてみた。国立博物館から約15分。日陰を探しながら歩いていると、あちこちでシマリスが走り回っていた。


インド門は、さすがに大きい。もうすでにインド人観光客の一団がやってきていた。西側から歩いてきたのでいくら写真をとても逆光になる。そこで、反対側に回って、太陽の光を浴びるインド門を撮った。門の上部には、"To the dead of the Indian armies who fell and were honoured / in France and Flanders, Mesopotamia and Persia, East Africa, Gallipoli and elsewhere / in the near and the Far East and in sacred memory also of those whose names are here / recorded and who fell in India on the North West Frontier and during the third Afghan War" と刻まれている。


インド門の門柱には、これまでに亡くなった、たくさんのインド人兵士の名前が刻まれている。


インド門の反対側には、遠くに大統領官邸を見渡せた。


インド門から国立博物館へ歩いて戻ってくる途中、タクシー運転手たちが芝生の上で休憩中。国産車アンバッサダーがまだ現役なのがなぜかうれしかった。


デリーは、環境配慮の街づくりをしているのだろうか。バスやオートリキシャーはLPガスを使用、下の写真の通り、ポリ袋を使わないように呼びかける公告もいくつか見られた。


2009年9月26日土曜日

デリーでイフタール(断食明けの食事会)

9月14~23日にインドへ出かけてきた。マカッサルでの生活が長くなるにつれて、マカッサルも東京と同様に自分の中で日常化してしまい、無我夢中で発展途上世界に入り込んでいった、かつてのような野生にも似た感覚を失いつつある、という危惧がその動機だった。炎天下のデリーの街を何時間も歩きながら、とにかく生きようとする人間のすごさ、人・人・人の波、何かとんでもないことに出くわしそうな緊張感(幸い何もなかったが)、そして英語が意外に通じない世界、を久々に味わうことができた。

デリーに到着した翌日、第一の目的である国立博物館で古代からインド細密画に至る展示物を堪能していると、友人が迎えに来てくれ、彼女の活動場所であるデリー郊外のイスラム教徒が多く住む地域へ連れて行ってくれた。そこは、インドで有名な女性のエンパワーメント支援を行っているSEWA(Self Employment Women's Association)という団体の活動場所でもあった。そして、そこから別のSEWAが活動している場所へ移動し、SEWAの対象となっている女性たちとともに行うイフタール(断食明けの食事会)に出席、ということになった。

 SEWA

会場(といっても、そこのSEWAの小さなオフィス)に着いたのは午後4時前。マカッサルの感覚で断食明けは6時前後と思っていたら、実際には6時40分頃だった。女性たちが談笑しながらイフタールの準備をしていた。


まだ時間があったので、集落内を友人たちと歩いて回った。住民の多くは、パンジャーブなどから移ってきたイスラム教徒で、住環境はお世辞にも良いとはいえない。川沿いの幹線道路より一段低くなった場所で、たくさんのハエがあちこち飛び回り、集落内の道は舗装されていない。排水溝は詰まっており、飲料水や生活用水をどう確保するかが重大な毎日の課題であった。レンガなどで立てられた家々は比較的新しいものが多い。行政の十分な対応がまだなされていないという印象を持った。

会場で待ちながら、面白いことに気づいた。モスクからアザーンが流れてくると、女性たちは一斉に頭にショールをかぶり、アザーンが終わるとそれを外すのである。「インドネシアとは違うね」と言うと、女性たちから「インドネシアではいつもずっとパックしているよね」と言われた。

イフタールの準備は終了、盛り付けも完了した。


イフタールの30分ぐらい前から、女性たちが続々会場へやってくる。彼女らは、SEWAの支援の下、糸を紡いだり、布地を織ったり、布地に刺しゅうを施したり・・・、といった活動をしている。

断食明けをしばらく待って、いよいよイフタールの開始となった。


飲み物は、インド製のライムソーダ『リムカ』。リムカのペットボトルを持ったSEWAの事務メンバーが女性たちの間を注いで回る。SEWAの事務メンバーはほとんどがヒンドゥー教徒。彼女らは、イフタールの食事を一緒に食べることなく、ムスリム女性へのサービスに徹していた。非ムスリムの私と私の友人は、ありがたくイフタールの食事をいただいたのだが・・・。

イフタールが終了すると、女性たちはすぐに帰宅していく。私は、友人に地下鉄の駅まで送ってもらい、地下鉄を使ってホテルまで戻った。初めてのデリーでの地下鉄乗車だったが、車内はきれい・静かで、しかも数分おきにきっちり走っていた。まるで日本の地下鉄みたい、といっても、ほめすぎではないだろう。料金は距離によって異なるが、このときは12ルピー(約25円)と安い。もっとも、地下鉄に乗る際に、乗客一人ひとりを対象に、けっこう厳しいセキュリティー・チェックが行われた(どの駅でも)。

エアコンの快適な地下鉄に乗りながら、イフタールをともにした女性たちが毎日格闘している厳しい住環境のことを思った。

2009年9月12日土曜日

マカッサルは9月末まで計画停電

本日(9月12日)付の地元紙『FAJAR』の本紙3面に、マカッサル周辺の地域ごと・時間ごとの計画停電の予定が一覧表になって掲載されていた。9月末までほぼ毎日、約2~3時間の停電となるようだ。マカッサル市内では、夜はできるだけ停電しないように配慮している様子だが、マカッサル市外では夜の停電も起こるようである。

原因は、バカル水力発電所のダムの貯水量が減っているためということで、同じ『FAJAR』の別紙面では、昨日の金曜礼拝の際に、国営電力会社スラウェシ地区営業所の幹部らが雨乞いの祈りをささげた、と写真入りで報じられていた。たしかにこの2ヵ月近く、マカッサル市内では雨らしい雨が降っていない。ま、マカッサルで雨が降っても、バカル発電所のダムに流れ込む河川の流域で雨が降らないことには状況は変わらないのだけれども。

今週初めには、マカッサルで久々の大停電が起きたが、数日前の報道では、市内のテロ火力発電所の故障がその原因とされていた。

原因がコロコロ変わるっていうのも、まあよくある話だけれど。でも、今は乾期で、渇水になることは最初からわかっていて対策するはず、と常識的に思うのだが・・・。

折しも、今週は、「世界最大」と吹聴している例の屋内テーマパークがオープンした。まさか、それと停電との間に何か関係があったりして・・・というのは勘ぐりすぎか?

2009年9月8日火曜日

ゴロンタロの「夜店街」


ゴロンタロのいつも泊まっているホテルのある通りから、西側に一歩中に入ったら、そこはたくさんの屋台や露店がひしめく「夜店街」だった。断食期間中、夕方からたくさんの屋台や露店が道を埋め尽くし、食べ物や衣服やおもちゃなど、種々雑多な様々なものが売られる。

朝になると、道には屋台や露店が跡形もなくなくなっていた。断食期間中は、これが毎日繰り返されるのだろう。

前に新聞で読んだのだが、マレーシアの断食期間中はとても静かで、インドネシアのように買い物に殺到するようなこともないそうだ。本当かどうかは知らないが・・・。

それにしても、久々に、かつてインドネシアの夜の雑踏で味わった、あの懐かしい匂いを嗅いだような気がする。静かな町というイメージが強かったゴロンタロの「豹変」を楽しめる空間である。

断食明け大祭の前に、ゴロンタロの町じゅうをランプが彩るトゥンビロトヘが始まるまで、あと1週間。以前、トゥンビロトヘに関する記事を書いたことがある。

ゴロンタロ「灯りの祭典」


2009年9月6日日曜日

トランス・スタジオは9月9日オープン

マカッサル市の南西部、タンジュン・ブンガ地区に建設されてきた屋内型テーマパークの『トランス・スタジオ』が9月9日にオープンする。地元紙では、オープンに先立ち、テーマパーク内部や遊戯施設の紹介記事を連日行っている。

屋内テーマパークの広さとしては東南アジア一ではなく世界一、と自ら豪語するこのテーマパーク、「競争相手は韓国のロッテワールド」と鼻息が荒い。

9万ルピアのパスを購入して中に入れば、15ある遊戯施設に乗り放題、ということである。9月9日といい、9万ルピアといい、何となく9という数字にこだわっているような・・・。

オープンに先駆けて、昨晩は、市内の孤児院の子どもたち5000人が特別招待され、夕暮れの断食明け前後に、新しい遊戯施設で思う存分楽しんだ様子である。

年間160万人の来客を見込むこのトランス・スタジオ。マカッサルの観光の目玉に、という期待が大きいのだが、どうなるだろうか。

ちなみに、(かつては毎朝毎晩その真ん前を通勤電車で通っていたにもかかわらず)東京ディズニーランドで遊戯施設に入ったことのない私(注:ディズニーランドで遊んでいた家族との待ち合わせで、一度だけイクスピアリには行ったことがある)には、トランス・スタジオへあえて行ってみたい、という気持ちはとくに起こらないのだが、行かれた方はぜひ感想をお知らせしてほしい。

かつて書いた関連のブログ記事は以下の通り。

トランス・スタジオ・リゾート計画


2009年9月3日木曜日

パルのラマダン市場

8月26~27日、中スラウェシ州パルへ行ってきた。26日の夕方、友人が面白いところへ連れてってくれるというので、ついて行った。聞くと、断食期間中だけ、夕方になると、ゴチャゴチャといろいろな屋台が店を出し、お菓子やらおかずやらを買い込む客でにぎわう場所がある、というのだ。

その場所に着いたら、道路にたくさんの車が駐車してあった。たしかに、たくさんの人々でごった返している。ふと前を見ると、バイクがたくさん停まっているところに、ジーンズ姿の駐車係のようなおじさんがふらっと立っていたが、よくみたら、知り合いでもあるパル市長だった。ほんと、いつ会っても、その辺にいるフツーのおっさん、である。でもこの市長、電力不足で国営電気会社と交渉しても埒が明かないとなると、単身で中国へ乗り込み、中国語もできないのに石炭蒸気発電所への投資の話をまとめ、中央政府を説得して、発電所建設を実現させてしまった、というエピソードを持つ人物である。その風貌からは、どうみてもそんなことは想像つかないのだが。

パル市長に「この場所の名前は何か」と聞いたら、「ラマダン市場」という真っ当な答えが返ってきた。以下は、そのラマダン市場の光景。

おばさんたちの手作り(?)食品が並ぶ。プラスチック・パックに入れられているものが多い。

小さい子も楽しく店番、かな。

いろいろなお菓子を売っていた。面白かったのは、Pisang Hijau(緑バナナ)。パルのは、パンダン椰子の葉で緑色に染めた薄焼きにバナナが包まっている。バナナの周りを厚く巻いて白いゴテゴテと赤いシロップをかけられたマカッサルのそれとは違い、パサッとした感じを受けた。

海藻を使ったゼリーやドドール(羊羹のような練り菓子)を売っている親子。手作りとのこと。

花火も堂々と売られていた。夜になると、子どもたちや若者たちがよく戯れている。

断食期間中は、毎夕にぎわうというこのパルのラマダン市場。穏やかで幸せそうな、夕方の平和なパルの光景であった。市場の売り子の女性たちの明るい笑い声があちこちに響いていた。