2009年3月30日月曜日

ヒロシマを題材にした演劇


ヒロシマについて書いたJohn Herseyのノンフィクションをもとにした前衛的な演劇『窓の陰からの光』が、3月29日夜、我が家の2階で上演された。案内には、「たくさんの者が亡くなったときに彼らはなぜまだ生きているのかと問うのであった」という一文が付け加えられている。

上演したのは、Komunitas Seni Stupa Makassarというグループで、顔を白く塗り、白い下着のような服を着て、日本をイメージさせるようなクラシックの現代音楽や邦楽を交えた一定テンポの音楽のもと、6人の演者はゆっくりと、しかし、ときには激しく体を動かす。原爆投下後の体中の痛みでスムーズに動けない者、水の中に飛び込んだ者を助けようとする者、ひたすら水を探し求める者、もう亡くなっているかもしれないわが子を抱きながらさまよう者・・・。それらが、パントマイムのように、暗い照明のなか、うめき声を発しながら、ゆっくりとゆっくりと演じられていく。

我が家に集まるイニンナワ・コミュニティの若者たちは、斬新な表現や思考を形に表す場を提供する「我々の仲間たちの仕事」というプログラムを開始し、今回の上演がその第1号となった。今後も、演劇や文芸などの活動を行っているグループの発表会を随時行っていくとのこと。また、毎週土曜夜の映画上映会も復活する。4月は、彼らのリクエストで日本映画特集をすることになり、山田洋次監督作品を4~5本上映する。リリーさんの出演する寅さん映画2本、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪、武士の一分、などの予定。

また最近、イニンナワ・コミュニティにたくさんの若者が集うようになり、賑やかになってきた。

2009年3月22日日曜日

実に静かな選挙の季節

今年2009年のインドネシアは総選挙・大統領選挙の年。1987年、1992年、1997年、1999年、2004年とインドネシアの選挙の年の多くを現地で過ごし、選挙のプロセスをこれまで何度も見てきたが、そこには、うまく言葉で言い表せないが、選挙の年という独特のなんとも言えない雰囲気があった。それは、道路を我が物顔で走り回るバイクや自動車のラリーであり、政党を示す1・2・3といった番号であり、政府与党ゴルカル党が何%獲得して勝利するか、といったものが含まれていた。

だが、今回の2009年、選挙運動もたけなわというのに、それらが感じられないのである。バイクや自動車のラリーは原則禁止、選挙運動は決められた広場に限る、政党は指で示せる以上の40近い数。新聞などで「投票は4月9日」と訴えているものの、「そういえば選挙だってねえ」というような雰囲気がちまたにある。

政府職員はかつてスハルト時代には、与党ゴルカルに動員されたため、選挙になると毎日のように大挙して選挙運動へ出かけて行ったものだが、今は、政府職員も支持政党自由なので、ゴルカル党が動員をかけることもなく、毎日通常通りの業務が行われている。選挙運動に出向く場合には、休暇を取らなければならないのである。これは大統領も副大統領も閣僚も同様である。ちなみに、正副大統領は金曜日に休みを取り、金・土・日を選挙運動に費やしている。

この週末、金~土曜に副大統領がゴルカル党党首として、土~日曜に大統領が民主党最高幹部として、マカッサルを訪れ、前者はカレボシ広場で、後者はマットアンギン・サッカー場で、選挙運動を行った。ところが、ゴルカル党は10万人を動員する予定だったが、新聞報道では8000人程度しか集まらなかったらしい。でも、数日前に大火事に見舞われたマッチーニ地区の住民には、救援食糧とともに、ゴルカル党のTシャツが大量に配られていた。

マカッサルの通りという通りは、選挙候補者のポスターや立て看板で覆い尽くされている。ポスター、立て看板、ステッカー、Tシャツなどの業者はとても景気がよさそうだ。でも、その乱立ぶりは、必ずしも選挙の盛り上がりを示してはいない。むしろ、普通の人々から乖離したところで特定の人々が騒いでいるような印象さえ受ける。インドネシアの民主化は、必ずしも、普通の人々と政治家の心理的距離を縮めたとは言えないのではないだろうか。

我が家に出入りしている若者たちの多くは棄権する様子である。私の運転手も今回は棄権すると言った。選挙直前に地元出身の国会議員が収賄の現行犯で汚職撲滅委員会に逮捕され、他の議員の関与も口に出されているが、当の国会議員の選挙ポスターはマカッサル中に貼られたままで、本人も立候補を辞退する気はさらさらない様子である。こうした国会議員らの態度を、みんな見ているのである。

おそらく、今年の選挙は、4月の議会議員選挙も7月の大統領選挙も、政治エリート・レベルでの週刊誌ネタ的な出来事が起こるにしても、大きな混乱もなく、静かに終わるのではないか。それほど、私の周りの人々の関心は低い。政治家や政治自体に対する強い不信感を払拭するのは容易ではない。

2009年3月16日月曜日

南の島で楽しい老後を・・・という夢?

メディアから伝えられる日本の話題に明るさを感じなくなって久しい。企業は大幅減産、人員削減を余儀なくされ、先の見えない政治情勢とともに、このまま、我々の世代は次の世代に輝く未来を受け渡せないのではないか、なんて思ってしまう。

一方のここスラウェシは、ざっと見る限り、日常生活に暗さを感じることはない。現地通貨ルピアは対ドル、対円で依然として弱含みだが、マカッサルの街じゅうに建設され、廃墟化を懸念していたルコ(住居兼店舗)はけっこう埋まり、我が家の近くにも銀行や旅行代理店の支店、小食堂などがどんどん開店している。南スラウェシ州政府は、今年の予想成長率を7.14%と発表した。

昨年並みの強気の数字である。マレーシアもシンガポールもマイナス成長とみられるのに、この強気のもとは何なのか。実は、食糧生産を中心とした農業が意外に好調で、これが10年前とは決定的な違いである。10年前は不作で米の輸入を余儀なくされていたのである。ともかく、スラウェシを含むインドネシア東部は、「スマトラやジャワほどには世界的な景気後退の影響を受けない」というのが当地での一般的な見方である。

そんななか、暗い日本からこちらへ移って、明るく楽しい老後を過ごしてはどうかという提案がいくつか聞かれるようになった。ある島では、日本人向けの設備が完備した病院も誘致して、安心して老後が過ごせる居住地を作ってはどうかという夢が語られている。気候が温暖で、食べ物も豊富で、ゆったりとした生活スタイルのこちらで、のんびりと過ごしてはどうか、という提案で、ネックは日本語で暮らせるかどうか、である。おそらく、日本に派遣されたインドネシア人看護師らの帰国後の活躍の場とみなされている可能性もある。

この夢のような話は実現へ向かうのだろうか。世界中で最も日本を好きな人口比の高い国インドネシアで幸せな老後を送るのもいいのではないかと思う反面、そのインドネシアもまた、20~30年後にはおそらく高齢化の問題に直面していくのだろう、という予感がある。

2009年3月9日月曜日

ポソ湖のウナギ、シンガポール企業が投資

スラウェシ島のほぼ中央部にある大きな湖のポソ湖。この淡水湖はウナギで有名である。例年は12~6月が収穫シーズンというが、今年はやや遅れて2月から収穫シーズンとなった。5月ごろが最盛期になる。

インドネシア語でikan belut、またはikan sidatとかsogiliとか呼ばれるポソ湖のウナギは、今はまだ1日で1人4匹ぐらい(10~15kg)程度の収穫だが、最盛期には1日20~25kgぐらい獲れる。1匹2kgを超える生きたままのウナギは、キロ当たり75,000ルピアで売れ、2kg以下だとキロ当たり45,000ルピアで漁師から中間商人へ売れるということである。今年のウナギの価格は高く、漁師は喜んでいる。漁獲があれば売れる状態で、今では、生きたウナギはマカッサル経由で海外へ輸出されているのだそうだ。

そんななか、シンガポール企業がポソ湖でウナギの養殖を始めるための投資をするというニュースが入った。今月中に養殖用の仕掛け場所(keramba)を10か所設営する。このシンガポール企業は、ウナギを全部、生きたまま、台湾、香港、日本、中国、いくつかのヨーロッパ諸国へ輸出する計画である。そのために、ポソ空港の再開を切望している。マカッサルまで運ぶのに24時間以上かかるからである。

ポソといえば、日本の外務省の海外安全情報では、依然として「渡航の延期をお勧めします」となっている。そんななか、シンガポール企業がウナギ養殖の投資を行うというニュースが入り、そのウナギがもしかすると日本の食卓に乗るかもしれないと思うと、何となく不可思議な感じがする。「本当に危ない所なら、どうしてシンガポール企業は投資をするのだろうか」と素朴な疑問を感じてしまう。

友人から、「今年もポソ湖フェスティバルが盛大に開催される」という情報を聞いた。

マカッサル・ラーメン・プロジェクト


3月6日、マカッサル在住の日本人の友人とJl. SangirのMie Pangsit Torajaという麵屋で昼食を食べた。この友人からは、ちょっと前に私がジャカルタへ出張に行ったときに、ラーメン丼を買ってきてほしいといわれて、3個買ってきた。

この丼を使って、「日本のラーメンのような盛り方で、こちらのワンタン麺を盛りつけて食べたら、おいしいかも!」というノリで、試しに盛ってもらったら、上のような感じになった。ふつう、マカッサルのワンタン麺は、具とスープが分かれて出てくるのだが、それを日本のラーメン風にしてもらったのである。

ちなみに、上の写真の赤いのはチャーシューである。ほかの店にはない薬味なのだが、沖縄のソーキそばに欠かせないようなトウガラシ酢や中華お粥に入れる塩味の野菜の漬物(名前を忘れてしまった)がテーブルの上にあり、それらを入れると、他で食べるいつものワンタン麺とは違う味わいが出る。

この店の麺は、けっこう固めに茹でてあり、スープに入れたままでも意外にシコシコが続く。また、スープは透明であっさりした鶏ベースで、味に飽きが来ない。想像していたよりもいい感じになった。

8日には、「マカッサルB級グルメの会」の在留邦人有志がこのやり方でワンタン麺を食べたはずである(私は欠席)。評判はどうだったのだろうか。

マカッサル・ラーメン・プロジェクトの始まり、である。

2009年3月3日火曜日

ガルーダ以外も東インドネシア路線拡充へ

ガルーダ・インドネシア航空以外の航空各社も、東インドネシア地域への路線拡充を進めている。

スリウィジャヤ航空は、3月末に、ジャカルタ=スラバヤ=マナド、ジャカルタ=マカッサル=ソロン=マノクワリ、ジャカルタ=マカッサル=テルナテ、の3路線を就航させることを3日明らかにした。具体的なスケジュールはまだ明らかにされていない。

また、東南スラウェシ州ブトン島のバウバウ市市長が、「バウバウとアンボンを結ぶ路線が間もなく就航する」と述べた。現在、バウバウへはマカッサルからムルパティ航空が乗り入れている。

余談だが、マルク州の州都アンボンには、ブトン島出身者が昔から出稼ぎに出ており、アンボンに住み着いて何世代にもわたる人々がいる。1999年のアンボン騒乱の際には、たくさんのブトン人がアンボンからブトン島へ避難してきたが、その一部は避難先のブトン島に身寄りのないアンボン生まれのブトン人だった。こんなつながりのあるブトン島とアンボンが飛行機で結ばれる時代になったのだ。もっとも、この海域、船の行き来はかなり頻繁で、今でも彼らの移動の最大の手段である。

かつてバウバウからマカッサルまでPELNIのドイツ製大型客船で移動したことがあるが、一等船室だったせいもあってとても快適な船旅だった。バウバウ出港のときに船上から眺めた夕日の美しさ、マカッサル港に到着した時の朝の晴れやかさ、飛行機の旅ではなかなか味わえないものである。

ジャカルタ生まれのイタリアーノ

2月にジャカルタへ出かけた際、久々に、Jl. Veteran 1 にある Ragusa でアイスクリームを食べた。Ragusaといえば、オランダ植民地時代からガンビル広場(現在の独立記念塔公園)に店を出していたアイスクリーム・カフェとして有名で、イタリア人の夫と華人系の妻が切り盛りしていた。Ragusaの店内には、当時の様子を伝える写真が何枚も貼られている。

私の定番は次の2種類のアイスクリーム。もう20年近く親しんでいる。

Tutti Fruti

Cassata Siciliana

店の奥には、昔使っていたイタリア製のアイスクリーム製造機もあり、見学することもできる。

そういえば、この店は、アイスクリーム屋なのに、店の外にいるサテ屋から買ったサテを店内で食べている客がやたら多かったのだが、今回は見かけなかった。店主の話では、サテ屋が場所代を払わないので追い払ったようだ。

Ragusaはジャカルタ市内に支店があるほか、最近はプンチャックにも店を出した。昔々、1990年頃、Ratu Plazaに遊びに行くと、いつもRagusaでNasi Capcaiを食べたものだった。支店では普通の食事も出すのである。

ジャカルタ生まれのイタリアーノはまだまだ健在である。

2009年3月1日日曜日

ガルーダ航空、スラウェシ線拡充の予定

インドネシア国内航空会社大手のガルーダ・インドネシア航空は、2009年1月16日にジャカルタ=マカッサル=クンダリ便を1日1往復就航させたのに続いて、2009年中にマカッサルからパル(中スラウェシ州)、ゴロンタロ、アンボン(マルク州)、テルナテ(北マルク州)へ新たに就航させると先月発表した。いずれも、マカッサル空港がハブの役割を果たすことになる。

これで、スラウェシ6州へは、西スラウェシ州マムジュを除いて、今年中にすべての州都へガルーダ便で移動可能となる予定である。

なお、このブログでも、就航日が決定次第、お知らせしていく予定である。

第3回ワカトビ水中写真コンテストのお知らせ

東南スラウェシ州の東南に連なるいくつかの島々からなる島嶼地域、ワカトビ県。鍛冶屋列島(Kepulauan Tukan Besi)とも呼ばれ、実際に刃物を作る鍛冶屋が存在することでも知られる。ワンギワンギ島、カレドゥパ島、トミヤ島、ビノンコ島の4つの比較的大きな島の名前をつなげ合わせた「ワカトビ」という名前は、世界的にみても有数の規模の珊瑚礁があることで知られている。

余談だが、Zyrexという名前のノートパソコンには「ワカトビ」と名付けられた機種があり、インドネシア国産を謳っている。

このワカトビでは、毎年、美しい珊瑚礁をアピールするために、水中写真コンテストを開催している。昨年の第2回コンテストには英国、スペイン、オーストラリア、イタリアなどから65人が応募し、インドネシア人男性が最優秀賞で賞金4000米ドルを獲得した。

このコンテストが今年も開催される。賞金総額は第2回の2万米ドルから第3回では4万米ドルに引き上げられる。応募可能な作品は、2009年1月1日~2009年11月25日までに撮影された写真。応募方法など詳しい情報は、以下の英語サイトを参照してほしい。

ワカトビ県ホームページ・水中写真コンテスト

2009年4月ないし5月には、マカッサルからワカトビへの直行便(ムルパティ)が週3回就航の予定。それまでは、東南スラウェシ州の州都クンダリまたは同州ブトン島のバウバウから船でワカトビのワンギワンギ島まで移動となる。

*3月3日、ムルパティ航空のプロペラ機によるテスト飛行が成功。運輸省からの許可を受けた後、空港は営業開始の予定。現在、1400メートルの滑走路を来年は2300メートルへ延長する予定。

第2回コンテストには、残念ながら日本人の応募はなかったとのこと。ワカトビ県政府は、日本人の応募を強く期待している。

世界銀行やアジア開発銀行が支援を約束したサンゴ礁トライアングルは、北スラウェシ州ブナケン島、西パプア州ラジャ・アンパット諸島、東南スラウェシ州ワカトビ諸島をつなぐ。気候変動や地球環境問題の観点から世界的に知られるが、一般の方々にもっと知られるべき場所である。

このワカトビ、実は、国際ダイビング・リゾートとコミュニティ開発を結びつけた独自モデルを模索している県でもあり、伝統文化や慣習の掘り起こしにも熱心である。さらに、海ガメなど希少動物の保護やサンゴ礁保全など、環境配慮型の開発の在り方についても関心を高めている。今年、とくに注目したいスラウェシの面白スポットである。