2010年9月22日水曜日

ジャカルタに戻って

8月29日〜9月4日の1週間だけジャカルタにいて、日本で2週間過ごした後、再び、9月19日からジャカルタでの生活を送り始めた。今回のジャカルタ滞在も、11月16日までの2ヵ月間である。

ここのところ、ブログを更新する気分になれなかった。というか、気分の起伏が大きくて、前向きに行こうと思える時と過去を振り返って立ち止まってしまう時とが、自分で制御できないまま、現れたり消えたりする状態だった。

それでも、ジャカルタに戻ってきて、体にまとわりつくような熱い空気と人々の生きるエネルギーに満ちた姿をみるだけで、自分も元気になっていくのが分かる。

ああ、こうやって、インドネシアに戻ってくると、なぜか、自分を取り戻せるような、あたかもここの雰囲気に助けてもらっているような、不思議な気分を味わうのである。

私がここでおいしいものをたくさん食べて元気にしていることを、東京で真に喜んでくれる家族がいてくれることに感謝しながら・・・。

そして、きっと、これはまた食べ物ブログになってしまうのだろう。でも、食べ物は自分の元気の源であり、食べ物ブログが書ける状態が、自分が元気かどうかのバロメーターになるのだろう。

今朝、エリート検察官による証拠隠滅という、あってはならない事件容疑が発覚し、当該検察官が逮捕された。インドネシアでも、容疑者が検察や警察を買収し、汚職撲滅委員会委員を冤罪にしようとした事件が起こっている。いったい、これまでに、いくつの冤罪が生み出され、それが被疑者に対する泣き寝入りの強制によって、時間が経つとともに「事実」となってしまったのだろうか。

やりきれない思い、先進国と言われる日本で起こったことへの恥ずかしい思いがをジャカルタで感じている。こうしたことが、日本という国に対する自信を徐々に失わせていくことになるのではないかと思ってしまう。

でも、そうであってはならない。やはり、前向きに行かなければ。

2010年9月7日火曜日

懐かしのジャカルタの下宿を訪ねて

8月30日夜、懐かしのジャカルタの下宿を訪ねた。ここには、1990〜1992年の2年間、間借りさせてもらい、この家の「長男」として生活した。

あのとき、インドネシア語を使えるレベルにすること、インドネシア社会にできるだけ浸ることを目的に、日本人や外国人の多い南ジャカルタ地区ではなく、日本人や外国人の少ない東ジャカルタ地区に下宿先を見つけることができた。たまたま、当時、私がインドネシア語を教わっていた留学生の自宅が東ジャカルタ地区にあり、そこを経由して探していただいたのであった。

中ジャワ出身の熱心なカトリック教徒であるジャワ人のお宅だった。恥ずかしながら、当時、ジャワにはかなりの数のキリスト教徒コミュニティがあることを初めて知ったのであった。

「長男」である私の3人の「弟」と1人の「妹」はずっと前にそれぞれ家族を持ち、立派に生計を立てている。昨年末に「父」が亡くなり、今は「母」と「妹」一家が一緒に住んでいた。

「遊びに行くよ」と電話したら、「食べたいものは何?」と聞かれたので、ラクサを注文した。ロントン(コメを固めて蒸したもの)とソーウン(春雨と麺の間のもの)のうえにゆでた鶏肉とゆでたアヒルの卵半個をのせ、その上にウンピン(ブリンジョという木の実の粉をせんべい状に揚げたもの)を手でぎゅっと握って細かくしたものをかけた上から、ココナッツミルクとターメリックの入った汁をさっとかける。



マレーシア・ペナンやシンガポールのラクサとは違って、うどんのような麺は使わない。味もさっぱり系である。

下宿の「母」が作るラクサは、ペナンやシンガポールのラクサを愛する私や妻も、とても大好きな一品だった。もちろん、今回も20年前と味はちっとも変わっていなかった。

ラクサを味わいながら、次々と20年前の下宿生活が思い出されてくる。そして、こここそが自分のインドネシア認識を形成していく原点だったのだと改めて思った。20年前、この家は、低所得層を除く電力料金値上げがあったときに、ギリギリで値上げにかからなかった。この家から、インドネシアの人々の日常を参与観察し、一緒に泣き笑いした2年間が、どんなに自分にとってかけがいのないものであることか。

「妹」の計らいで、すぐに「弟」たちの携帯電話番号やブラックベリーの暗証番号を教えてもらった。ほどなく、「弟」たちから返信が来た。

結局、また、食べ物ブログになってしまった。

2010年9月1日水曜日

晩夏

今、ジャカルタに来ている。猛暑の東京を抜け出して、ジャカルタで「避暑」のはずだが、意外にけっこう暑い。でも、ジャカルタに来ると、やはり刺激的な毎日になる。

自分では消せない何かをより大きく強力な刺激で圧倒し、元気百倍になって東京へ戻るのだ、と思って、1週間、ジャカルタに来た。

今年の8月は一生忘れられない8月になった。

荒井由実「晩夏・ひとりの季節」を聴きながら、いろいろなことを思い出している。