2008年9月30日火曜日

もしかして違う道だったのかも・・・

2日前に書いたブログ。あまりにも1年前に訪れた時と変っていたので、もしかしたら、間違って違う道を通ったのかもしれない、と後で思い起こしていた。より、もう一度、行ってみよう。ということで、もう一度、自転車に乗って行ってみた。そして、やはり2日前に書いたブログの道は、違う道だったと分かった。読者の皆様にお詫び申し上げたい。

今回、通った道の様子は以下のようである。

(2008年9月30日)

(2007年7月28日)


(2008年9月30日)

(2007年7月28日)

明らかに、2日前に通った道とは違う。でも、やはり変化は起きていたのだ。道幅は広くなり、バナナの木も本数がだいぶ減っていた。水路は、1年前にはなかったホテイアオイで埋め尽くされていた。道の脇には、やはり、ひょろひょろっとした苗木らしきものが植えられ、放置されていた。

似たような光景が似たような場所にあって、地図で正確に確かめないと、どこを通っているのかわからなくなることもよくある。

でも、今回通った道も違う道だったりして・・・。

2008年9月29日月曜日

生活用具に注目する

人は、その生活環境に合わせて、様々な生活用具を作って暮らしてきた。生活用具の変遷を見れば、その土地の人々の生活がどのように変化してきたのかを知ることができる。

しかし、そうした生活用具が次々に姿を消してしまっている。簡便で扱いやすいプラスチック製のどこにでもある食器などに取って代わられ、使われなくなった用具はどんどん捨てられていく。

トラジャのクテケスを訪れたとき、トンコナンの1階にある小さな博物館を見学した。展示物に何の説明もなく、ただ無造作に置かれているだけの、博物館というよりは倉庫という趣の場所であったが、人々が日々の生活で使っていたであろう、様々な生活用具が置いてあった。一つ一つ「これは何ですか?」と聞いて、写真に撮って並べたページを次のサイトに作ってみた。

トラジャの生活用具

博物館を管理するアグス氏によると、他にもまだたくさんの用具がガサゴソと置いてあるという。これを整理し、説明をつけてカタログを作ってはどうか、と提案した。

木製の生活用具は、南スラウェシ州ブルクンバ県のカジャンの村に行ったときにも見た。しかも、カジャンの人々はまだそうした用具を生活の中で使っているのである。しかし、そこにもプラスチック製の簡便な用具が入り込んできていた。

人々が簡便でより便利な生活を求めるのは当然のことである。しかし、それまで使っていた用具を何らかの形で残し、自分たちの生活の記憶を失わせない努力も必要なのではないか。生活用具を作ってきた技術やそれを生かした生活の記憶は、誰も継承することなく、あっという間に消えていく。それは、私自身のこれまでの生活姿勢への反省でもある。

2008年9月28日日曜日

1年前に訪れた田園風景は・・・

今週1週間は、イスラムの断食明け大祭前後ですっかりお休みモード。航空チケットを買うのに出遅れてしまった私は、自宅でゆっくりとこの休みを過ごすことにした。でも、家にずっといると体が鈍ってくるので、昨日は街中を2時間ぐらいぶらぶら歩き、今日は、昨年7月28日に自転車で散歩した辺りをもう一度自転車で散歩してみた。ふと、マカッサルの郊外に残されたのどかな田園風景をもう一度見てみたい、と思ったからだ。

昨年の散歩の様子は、前のブログに書いたので、それを参照してほしい。

前に行ったときは、たしか橋のところから入るはずだったが、それらしい橋の風景がわからず、前回の逆コースでまわることにする。前回の出口となった橋はすぐに見つかり、そこから逆に入っていったのだが・・・。

(2008年9月28日)

何となく、様子が違うのだ。道がやけに広くなっている。道の脇には苗木らしきものが植えられている(Makassar Go Greenというキャンペーンに沿ったものなのか?)。道端の水田がほとんどなくなっていた。そして、道の周りにはゴミが打ち捨てられ、様々な廃品回収物の山があった。

「土地売ります」の小さな看板を見かけた。他になかったところをみると、土地はあらかたすでに売られてしまったようだ。

(2008年9月28日)

ちなみに、同じ付近の前回の写真は以下のようだった。

(2007年7月28日)


同じく、上が今日の状況で、下が前回である。

(2008年9月28日)


(2007年7月28日)


(2008年9月28日)

(2007年7月28日)


わずか1年余の間に、風景が全く変わってしまっていた。この道路の手前には、新しく建売住宅が何軒も建設中であった。


これもマカッサルの都市化の光景の一つなのだ。日本でも、どこの国でも、経済が発展していく過程で、こうした光景をたくさん生み出しつつ、何かを得ると同時に別の何かを失いながら、「豊かな生活」の実現を目指してきたのだろう。ここに住んで、お米を作っていた人々は、どこへ行ってしまったのだろうか。そして、行った先で、幸せな暮らしを送っているのだろうか。余計なことかもしれないが、送っていてほしいと思わずにはいられない。

先週、職場で開発戦略に関する議論を行った際、地域性に基づくアイデンティティを重視した戦略がこれから必要ではないかというような話をした。そのとき、職場の友人から「市場原理に基づき、儲かるか儲からないかで動く住民にそんなことを言っても無駄だ。政府もそうした住民の意向に沿って政策をしなければならない」と反論された。

自分を自分たらしめている大事なものを惜しげもなく捨て続けているメインストリームを見ていると、地域再生の新たな希望は、もはや一見発展から取り残されたかのような、辺境の山村にしかないのかもしれない、と思ってしまう。田園風景を一変させた大きな強い流れと向かい合いながら、どのように自分を見失わない地域開発を目指していけるのか。毎日のように、希望と絶望の間を行ったり来たりしながら、スラウェシの日々の変化を見つめている。

2008年9月22日月曜日

辞職=責任をとる?

今日、自民党の総裁選が予想通りの結果で終わった。これについては何の感慨もない。日本の外から見ているせいもあるのだろうが、次から次に明るみになる深刻な問題の本質を解決しようという真剣さが見えず、小手先でかわそうとしているようにしか見えない。しかし、そんな現状を思い切って変えようという真剣な動きもなかなか見えてこない。

このまま日本はずるずるっと沈んでいってしまうのではないか。インフレ気味で、様々な問題は内包しているものの、経済全体がそれなりに活況を呈しているマカッサルにいる身からすると、失礼ながら、そんな印象を持ってしまうのである。この間、垣間見たマレーシアやカンボジアの躍動感につながる気分をここでも味わえるのだが、ゴタゴタの日本はずっと遠くなってしまうかのようである。

それでも、当地の多くの人々は、以前の日本をまだイメージしているのかもしれない。太田農水相が辞任した際、当地の地元マスコミは、「日本では責任を取って辞任するのに、インドネシアの政治家は辞任する者はいない。恥を知らないのか」と、またまた日本のハラキリ礼賛の論調を展開した。福田首相が突然辞任したときも同様であった。日本のマスメディアが伝える感覚とのギャップがとても大きいのである。もっとも、福田首相が辞任した際、日本のある有名な専門家が、「福田首相の辞任は責任をとる立派なものであった」と論じたのを、複数のインドネシアのメディアが報じていたのが興味深かった(インドネシア語記事の例)。なぜなら、この専門家の見解自体が日本の世論とかなりかけ離れているように見えたからである。

当地には、いわゆる恥の文化がある。恥をかかされた際、それが自分に非のあるものならば、潔くそれを認める。これは日本の武士道と同じなんだ、という人もいる。日本の政治家の辞任は、こうして、今も「武士道の表れ」と解釈する言説が根強いのである。

官僚や政治家が責任を取らない、という現象は、日本もインドネシアも同じではないだろうか。責任をとるということは、職を辞める辞めないではなく、誰かのせいにすることなく、自分の真剣さを誠実に相手に見せることから始まるのではないだろうか。

どういうふうに調べたかは忘れたが、「インドネシアは世界中で最も親日的だ」という調査結果を見たことがある。日本人としてもちろん歓迎すべき話ではあろうが、それが、ちょっと前までの日本の素晴らしさをイメージして、日本を美化してくれる人々のおかげである、という現実をおさえておかなければならないだろう。

負の部分も含めて、本当の日本の姿をもっとインドネシアの人々に伝えていかなければならないと思うのだが、それは、心優しきインドネシアの人々の日本への憧れにも似た気持ちを落胆させ、日本への関心を急速に冷めさせる効果をもたらすかもしれない。虚像でも何でも、とにかく日本に親近感を抱いてくれればラッキー、という時代はもう終わったのではないか。そして、プラスもマイナスも理解したうえで、ちゃんと付き合う関係を作る時代を迎えているのではないかと思うのだ。

本当の親友、かけがいのない友は、そうやって作るものだろう。国と国との関係も、個々人の親友づくりと同じではないだろうか。

2008年9月20日土曜日

マカッサルでフランス料理はいかが?

先週は、知り合いの大学の先生に同行してトラジャへ出かけていたりして、ブログの更新を怠ってしまった。断食中というわけではないのだが、何となくブログ更新の意欲が低下していた毎日であった。というわけで、久々の更新である。

今日は、ひょんなことから、一人の若きフランス帰りの料理人エコさんと知り合った。彼はフランスで料理の修業をし、その後、アジア各国で経験を積んで、半年前に帰国。マカッサルで自分なりの料理道を進もうと努力したのだが・・・。マカッサルの人々の料理に対する保守的な意識やより良いものを目指そうとせずに適当なところで満足してしまう態度などに直面し、マカッサル流のフランス料理を作りたいという当初の意欲が萎えてしまってきていたという。

そんな彼の話を聞きながら、食後のデザートに味わったホットチョコレート。


これは、濃い。本格的な香りと味のホットチョコレート。こんなホットチョコレートをマカッサルで味わえるとは・・・。カカオはスラウェシ産だが、その加工は、ジャカルタで行っているとのこと。

次に味わったのは、彼が仕込んだアイスクリーム、抹茶とピスタチオの2品。


この抹茶アイス、しっかり日本茶の味がする。日本茶の粉末をジャカルタから入れているとのこと。日本で食べる良質の抹茶アイスと同等の濃厚な味。一方、ピスタチオのほうも、しっかりとピスタチオの味が出ている。多くの客はバニラ、チョコレート、ストロベリーを注文するというが、お勧めはこの抹茶とピスタチオだ。

エコさんに提案した。もし、前もって予約をしたら、マカッサルの食材を活用したフランス料理のフルコースを作ってくれるか、と。彼はちょっとびっくりしながらも、「3~4日前に注文してくれるのならば、ぜひやりたい」と答えてくれた。彼の創作意欲を沸かさせるためにも、メニューは彼にお任せしたほうがいい、ということになった。

「こんな何かやりたいという気持ちになったのは久々のことだ」とエコさんは興奮気味。

とくに海の食材の豊富なマカッサルなのだから、おいしいフランス料理やイタリア料理が食べたいと思う私なのだ。マカッサルの一般的な傾向に合わせざるを得なくなり、エコさんが仕方なくNasi GorengやCoto Makassarを作ることで満足しなくてはならない、そんなことが起こってほしくはない。今回の彼との出会いをきっかけに、マカッサルに新しい食の文化が生まれたらいいなあ、などと思うのである。

ともかく、こうして、予算は要相談としても、マカッサルでフランス料理を食べることができることになった。さっそく、断食明けの後にでも、私自身、企画してみたいと思っている。

どうでしょう、皆さん。マカッサルでフランス料理はいかが?

エコさんの連絡先は以下の通り。de LunaはSejahteraデパートの建物の4階。フランス料理を食べる場合には、3~4日前に人数と予算を問い合わせてほしい。

Eko Hadiwijaya
Executive Sous Chef
de Luna Resto & Cafe
Jl. Jend. A. Yani No. 37A-B, 4th Floor, Makassar
Tel. 0411-321333, Fax. 0411-324306
HP: 0811-413180

2008年9月8日月曜日

千客万来も一段落・・・

先週から今週にかけて、日本からスタディ・ツアーに来ている二つの大学生の一行と時間を過ごす機会があった。大学生は2~3年生が主体で、20人以上がまとまって、あるいはグループに分かれて行動する。学生だけでまわる一行もあれば、ほとんどをホームステイですごす一行もある。前者は日本の経済協力の実態を学ぶという明確な目的をもっていたし、後者は異文化体験それ自体に目的を定めていた。

しかし、共通していたのは、いずれも単なる物見遊山ではなく、積極的に学ぼうとする態度だった。そして、柔軟な思考のできる彼らは、私が繰り出す謎かけのような質問に懸命に答えようとし、その答えをあれこれ考えるプロセスのなかから、物事を多角的に見ること、自分を相手の立場に置き換えて考えることの重要さを学んでくれたようであった。

それにしても、大学2~3年生でこんな経験を主体的にできる彼らがとても頼もしく見えた。彼らが来るまでに耳に入ってくる話といえば、近年の若者の内向き志向、東南アジアなどの異文化世界への無関心な傾向、といった話であった。もしかすると、今回来た学生たちは実は少数派なのかもしれない。しかし、真剣に現実と向き合い、何かを学び取ろうとする若者が確かに存在していることが確認できたのは、とてもうれしいことだった。

彼らにとって、このスラウェシやマカッサルという現場はどのように映ったのであろうか。ここマカッサルに住むものとして、彼らがなんとも言えぬ近しい感情を抱き、スラウェシやマカッサルを大事に思ってくれたのなら、存外の喜びである。そして、再び訪ねてくれるようなことがあれば、本当にうれしい。そして、そうした彼らのような存在が、結果的に、日本とインドネシアとの関係を基本的なところでしっかりと強いものにしていくのだと信じている。

来年も再来年も、一人でも多くの人に来てもらいたい。そして、スラウェシ・ファン、マカッサル・ファンになってほしい。そんな若者たちとの出会いを、マカッサルで楽しみに待っている。

2008年9月2日火曜日

断食月が開始

9月1日から断食月が始まった。昼間の飲食店や商店の多くは、店を閉めている。カーテンをひいたり、戸をちょっと開けたりして、営業している飲食店も見かける。なんとなく、いつもより交通量が少ないような印象。

夜になると、断食明けの後、イスラム教徒がモスクで説教を聞いてお祈りをする。モスクの周りにはたくさんの夜店が並ぶ。夜のお祈りを終えた若い男たちが、宗教帽をかぶったまま、ヘルメットをつけずに、ドドドーッとバイクに乗って勢いよく走り始める。女たちは、白いベールをまとったまま、夜道を歩いている。

いつものおなじみの断食月の光景である。