2012年5月20日日曜日

「簡単と高速!」

インドネシアは、昔から為替管理をしないできた国ですが、外国からの送金や外国への送金が比較的スムーズに行われています。ですから、外国から資金が入ってくるのも早ければ、外国へ資金が逃げてゆくのも早いわけで、1997〜1998年の通貨危機のときに、外貨を交換するのが急に難しくなったのを思い出します。

先日、ジョグジャカルタへ出張に行って帰ってきたとき、ジャカルタの空港で見かけたのが次の看板です。


にこやかな男性と女性が丁寧に手を合わせて「Welcome! Withdraw your money here. Easier & faster」と呼びかけています。これが「ようこそ!ここにあなたのお金を引き出します。簡単と高速!」と言い換えられていました。

にこやかな男性と女性にお金を引き出してもらおうかしら、と思ってしまいました。

インドネシアのほとんどすべての銀行のATMは24時間動いていて、時間外手数料のようなものは存在しません。他行にATMから送金するときにも手数料が引かれることもありません。時間外、という概念がないのです。24時間、いつでも同じサービスをATMは提供しています。

日本から持ってきた国際キャッシュカードで引き出せるATMも多数あります。bank International Indonesia (BII) には、ドル口座からドル紙幣で引き出せるATMもあります。

日本の地方へ行ったときに手持ちのお金がなくなって、夜間から翌朝8時45分までATMが稼働せず、お金が下ろせなくて困ったことがありました。インドネシアでは、けっこうな田舎へ行っても、ATMがあれば、お金が下ろせなくて困るという経験はあまり記憶にありません。

簡単と高速! たしかに。

2012年5月13日日曜日

心はまだ揺れ続ける

遠く離れたインドネシアにいても、故郷・福島のことを思わない日は1日たりともありません。いや、遠く離れれば離れるほど、福島のことを思う気持ちが強くなってくる、といったほうが正しいのかもしれません。

実際、今年の正月、福島の実家に帰省した際、高校時代のサークルの先輩・同輩たちと久方ぶりに会っての新年会がありました。サークルの恩師も来られて、出てくる話は高校時代の恥ずかしい話ばかり。大いに飲み、大いに笑い、楽しいひとときを過ごしたのですが・・・。

先輩・同輩の中には、震災のときに直接被害にあったり、生死の境にあったり、壮絶な経験をされた方が数多くいました。復旧・復興の前面に立って激務の毎日の県庁管理職や子供のケアに奔走する教員がいました。一人ひとことの段になると、「去年がひどかったから今年は絶対にいい年になる、いやいい年にする」と口々に決意が述べられました。

私も福島に留まって一緒に汗を流すべきではないか。「ここで一緒にやっぺ」という言葉を待っていた自分にかけられたのは、「大丈夫。俺たちが必ず復興させるから」という言葉でした。お前にはお前を必要としている場所があるはず、とも言われました。高校を卒業してからすでに30年以上が過ぎ、福島にまだ生えていると思った根っこは、物理的には消えてしまっていたのか、と思いました。それは、「福島にお前なんか必要ない」というのではなく、「福島に必要かもしれないけど、もっと必要としている場所があるだろ」という、福島人によく見られる「遠慮」だったのかもしれません。

ジャカルタに来てからも、今もまだ、福島への自分の心がまだ揺れ続けています。

つい最近、知人の方が福島の現状を世界へ向けて発信する仕事に就かれた、という話を聞きました。私もその仕事の公募があったことは知っていて、応募しようかどうか迷った末に、ちょうど前の仕事の関係で時期が合わない、ということで、応募しなかった仕事でした。知人の話では、その方以前に採用された方がいたが結局は辞退、ということが何度か繰り返されたのだとか。最終的に誰もやる人がいなくなって、結局、公募を呼びかける側にいた知人が自分で行かざるを得なくなった、という顛末になったそうです。

もし、そんな状況を知っていれば、前の仕事が終わった後、私が手を挙げてもよかったのに・・・と。

さらに、別の私の知人が東京での大学教員を辞めて、福島の現場でコミュニティ再生のために働き始めました。福島生まれでない彼の勇気が私にはない・・・。福島は自分の故郷なのに・・・。 本当は、自分が行くべきだったのではないか。

でも、これらの仕事をすると決断したとしたら、果たして東京の家族は諸手を挙げて賛成しただろうか。とくに、生計を立てていくということで、その仕事で家族を養っていけるのかどうか、冷静に考える必要があるのは当然のことでしょう。インドネシア流にいえば、全能の神が最適な形に導いてくれた、と考えなければ、何とも仕方ないような気もします。

でも、もし自分に家族がいなかったなら・・・。考えていくとキリがありません。いや、考えても仕方ないことなのかもしれません。

心はまだ揺れ続けています。でも、少なくとも次のことだけは心に留めなければなりません。

すなわち、故郷・福島のことを常に思い続けること。

福島の復活・再生・新生へ向けて活躍されている方々のことを思い続けること。

たとえ世の中が福島を忘れそうになっても常に福島のことを自分なりに発信し続けること。

インドネシアなどでの自分の活動がどこかでいつか福島の復活・再生・新生とつながっていくと信じて毎日を過ごしていくこと。

福島で生まれ、育ったことを誇りとし、正々堂々と生きていくこと。

あーあ、妻子に「力入れ過ぎだよ」なんて軽くいなされそうな。

活動拠点はインドネシアへ

読者の皆様に一つお知らせがあります。

今年4月、株式会社インドネシア総合研究所チーフコンサルタントを辞めました。活動の拠点を東京からジャカルタへ移し、今後は、インドネシアをベースにすることにしたためです。当面は、京都大学東南アジア研究所ジャカルタ連絡事務所の駐在を務めますが、7月以降は、当地の某インドネシア企業にスポンサーとなってもらい、コンサルタントとして活動していく予定です。

現在、日本企業のインドネシアへの進出熱が高まっています。企業進出を支援する日本のコンサルタントもたくさんジャカルタへやってくるようになりました。私も、そうしたお手伝いを具体的にさせていただきながら、その先にある日本とインドネシア、アジア、世界との関わりの未来を見据えたコンサルティングを行っていきたいと考えています。これからのインドネシア社会がどうなっていって欲しいか、アジアのなかで日本が、日本人がどのような存在になっていって欲しいか、様々な人々と一緒にどのような新しい何かをこの場で生み出していくことができるのか、そんなブロードなことを頭に描きながら、活動していければと願っています。


2012年5月7日月曜日

ジャカルタでトルコ料理

5月6日、いつも原稿執筆でお世話になっている某メディアの知人と一緒に、トルコ料理を食べました。場所は、京都大学東南アジア研究所ジャカルタ連絡事務所のすぐ近くにあるTurkuazというレストラン。9ヵ月前にオープンした比較的新しいレストランです。

このトルコ料理レストランですが、Jl. Gunawarmanに面しており、その前を通るたびに気になってしかたありませんでした。たまたま、今日は知人と会う約束があり、彼を誘って実験的に試してみようということになりました。

店に入ると、目につくのは美しい模様のステンドグラスが連なるランタンです。なかなかの装飾!


まず、出てきたのが前菜4種盛り合わせ。下の写真の左上から「キュウリ、トマト、クルミのザクロソース及びエクストラバージン・オリーブオイル和えサラダ」(Govurdgi Salatasi)、「バター炒め松の実とヒヨコ豆ペースト」(Tereyagli Cam Fistikli)、「ナス、トマト、チリペッパーのガーリック及びエクストラバージン・オリーブオイルあえ」(Babaganuc)、「焼きホウレンソウとトルコ白チーズのサモサ風」(Ispanakli Peyniril Borek)。ちょっと写真が暗くなってしまいました。


これらをふっくらと焼いたパンと一緒にいただきます。

メインで食べたのは次の2品です。まず、「味付きラム挽肉を練った小麦粉生地の中に入れ込んだミニ餃子のようなものに、ガーリック、バター、唐辛子で味付けしたヨーグルトソースをかけたもの」(Manti)。


続いて、「グリルしたラム挽肉に自家製チリペーストで味付けたケバブ」(Adana Kebab)。 生タマネギの和え物、干しぶどう入りご飯、パンなどが付け合わせになっています。ケバブの香辛料が絶妙な味付けになっていました。


最後に、デザートは、トルコで最も人気のあるデザート、とメニューに書かれていたBaklava。バター、ピスタチオに自家製シロップが染みこんだケーキの上にサクッとしたパイ生地がのっていました。飲み物は、あっさりとトルコ・ティー。


アルコール類はビンタンビールしかありませんが、1瓶8万ルピアで、ワインなどを持ち込み可能とのことです。

今回のトルコ料理は、繊細な味付けが香辛料との絶妙のバランスを醸しだし、素材の旨さが引き出されていました。ビールでも十分堪能できましたが、ワインが一緒だとさらにおいしさが引き立っただろうなと思いました。

気軽に入れる店ですが、ちょっと取り澄ました感じで食事をするのにもいい雰囲気のお店です。接客にも◎。インドネシア料理に飽きた人にもお勧めの味です。1階が禁煙席、2階が喫煙席です。

今回一緒に来てくれた知人は独身で、「次回はインドネシアの令嬢と一緒に来たい」とほろ酔い顔でした。


Turkuaz - Authentic Turkish Kitchen
Jl. Gunawarman No. 32, Kebayoran Baru, Jakarta Selatan
Phone: 021-7279-5846, 021-7279-5853, 0817-860190
turkuazrst@gmail.com
www.turkuazrst.com

2012年5月2日水曜日

気仙沼の鈴木さんとの出会い

4月29日のチカラン桜まつりでは、じゃかるた新聞のS記者の計らいで、気仙沼から来られた鈴木さん夫妻にお会いしました。これも何かの縁かもしれません。

鈴木さんらは気仙沼で10年以上「バリ・パレード」というイベントを開催してきました。しかし、昨年の大震災で、それまでバリ島に来てはコツコツと買い集めてきた衣装や道具がすべて使えなくなってしまいました。

今 回は、バリに加えて、2004年に大津波の被害を受けたアチェも訪問し、昨年は中止せざるを得なかった「バリ・パレード」を、アチェからの支援も含めた 「インドネシア・パレード」として、今年の8月12日に復活させるための協力を求める旅、ということでした。身の回りが少しずつ落ち着いてきて、「インド ネシア・パレード」を復活させたいと思える気持ちの余裕も何とか表せるようになったということでしょうか。


気仙沼には、漁船乗組員のインドネシア人男性に加えて、水産加工工場で働くインドネシア人女性も多数おり、インドネシアとの関係は半端では ありません。大震災の後、インドネシアのユドヨノ大統領夫妻が気仙沼を訪れ、仮設住宅の鈴木さん宅に上がり、慰問して話を聞いてくれたそうです。

鈴木さんは、「インドネシア・パレード」復活のための協力を呼びかけています。資金面での支援でも、物品面での支援でも、精神的な支援でもいいと思います。関心のある方は、是非、鈴木さんまでご連絡いただければと思います。
 

 鈴木敦雄さん
 電子メール:gogoponpoko@mail.goo.ne.jp


桜まつりで七夕に出会う

4月29日(日)、ジャカルタから東へ車で約1時間、工業団地が林立するチカランへ行き、インドネシア人の留学経験者や研修生OB/OGなどが集うKAJIという組織が主催する「チカラン桜まつり」を見てきました。

会場は、リッポー・チカランに新しくできた商業施設シティ・ウォーク。

リッポー・チカランは、インドネシア有数の民間企業グループであるリッポー・グループが開発したニュータウンで、都市としての機能がほぼ完備された町です。最近は、近くの工業団地で働く外国人(韓国人、日本人など)もたくさん住むようになり、一部には韓国式あるいは日本式が入り交じった飲食店街も現れています。

前日の大雨で、外に設営したテントが壊れてしまうというハプニングはあったものの、シティ・ウォークの入口ホールを会場にした桜まつりのイベントは、なかなかの盛り上がりを見せていました。

そこで目にしたのが、この噴霧器つき扇風機。風に加えて、霧状になった水も噴き出すという代物。水を噴き出すことで、少しは涼しい気分になるのでしょうかね。


シティ・ウォークの入口ホールから少し歩くと、日本をテーマにしたいくつかの「お店」が並んでいるジャパン・コーナーに着きました。その入口には、笹の葉に願い札がたくさんぶら下げられた七夕飾りが何本も置かれていました。

どんな願い事を書いているのだろうか、と少し見てみると・・・。


「2013年の試験に合格して、成功者になれますように」
「ビジネス・キャリアで成功して、私にぴったりのいい人に巡り逢えて、友だちができて私を助けてくれますように」
「今年希望していることが実現しますように」
「もっと綺麗になりますように」

たわいもないと言えばそれまでかもしれませんが、どんな顔をして願い札に願いを書いているのかなあと想像するだけで、微笑ましく感じてしまいます。

予想通りというか、ジャカルタ中心部から1時間かかるチカランまで来る日本人の方はそれほど多くはないようでした。

それでも、前日の夜のJKT48のミニコンサートには、インドネシア人の若者のファンが多数やってきて、盛り上がったのだそうです。あっという間に、JKT48のファンクラブができて、それが活動しているということを今回初めて知りました。

桜まつりをめぐっては、表面上の盛り上がりとは別に、いろいろなことがあった様子ですが、詳細はわかりません。でも、インドネシアと日本との関係をもっとステキなものにしていく、という目的では、参加したすべての方々が同じだったということを信じたいと思います。