2011年4月30日土曜日

"The Mirror Never Lies" 試写会潜入

4月24日〜5月7日の日程で、インドネシアに来ている。今回は、2週間という短い日程での調査が目的である。

4月29日の晩は、友人で映画監督のRiri Reza氏とマカッサル料理屋Pelangiで一緒に夕食をとった。午後9時になって彼がそそくさとし始めたので、次の予定を聞くと、映画の試写会があるという。詳しく聞くと、私が2009年12月に東南スラウェシ州ワカトビで会った若い女性映画監督の作品とのこと。試写会の招待状はなかったが、もしかすると、どさくさで潜り込めるかもしれない、ということで、Riri氏と一緒に試写会に行くと、何の問題もなく試写会に潜り込めたのはラッキーだった。

2009年12月に、ワカトビ県開発企画局長官の家で会った彼女はKamila Andiniさんで、あのときは映画を撮る前のリサーチに来ているときだった。海上生活をしてきたバジャウ社会を舞台とした、土の匂いのする映画を撮りたいと話していた。私からは、よそ者とそこの土地の人との関わりや地元学について、多少お話した記憶がある。

今回は、あのときに準備していた映画「The Mirror Never Lies」の試写会だった。

彼女がGarin Nugroho監督の娘だということを今回初めて知った。試写会にはGarin氏も来ていて、少々立ち話をした。ワカトビ県知事に再選された旧知のHugua氏はじめ、多くのワカトビの人たちとも会場でお会いした。

映画の内容は割愛するが、ワカトビの海の美しさが際立つ映像が印象的だった。出演していた地元のバジャウの子どもたち3人は、素晴らしい演技だった。ワカトビで感じるようなゆったりとした時間を感じるとともに、人物が丁寧に描写されていた。

Kamila Andini監督の第1作だが、作り手の真っ直ぐな視線が感じられるよい作品だった。次作以降も期待が持てるだろう。今後、インドネシアで注目すべき若手監督がまた一人現れた、という印象である。

「The Mirror Never Lies」は、5月5日からインドネシア国内の21(トゥウェンティーワン)系の映画館で公開される。海の美しさだけでも観る価値のある映画だと思う。

なお、この映画については、以下でも紹介されている。

 インタビュー:インドネシアの映画監督・Kamila Andini @"The Mirror Never Lies (TMNL)"


2011年4月16日土曜日

耕志の会

福井に住む私の友人が「耕志の会」という団体を立ち上げた。

彼は、日本へ農業研修にやってくる外国人を受け入れ、自分の農地で実践的な作業を行いながら、暮らしと農業との関係、経済社会開発とは何か、異なった条件の下でどのように農業経営を成り立たせていくか、といった様々なテーマについて勉強会を行う、という研修を独自に続けている。

耕志の会は、座学、圃場実習、フィールドトリップ、圃場実験という彼のところでの一連の研修運営に加えて、この研修を修了し、母国へ帰った研修生が地域に根ざした新規起業を行うための小規模融資も活動の視野に入れている。

会のメンバーは、彼と研修生およびその修了者、である。対象はインドネシア人研修生とし、Yayasan Kuncup Harapan Taniというインドネシア語の団体名を併記している。

耕志の会については、以下のブログを参照して欲しい。

 設立総会を開く 会が立ち上がる

耕志の会では、サポーター会員を募集している。年会費1万円とのこと。興味のある方は、直接こちらのアドレスへ連絡して欲しい。

また、彼のブログも興味深いので、これを機会に是非読んでもらいたい。地域コミュニティの一員として、新旧世代の狭間で悩みながらも、そこに根ざした農業を日々実践する彼の言葉は重い。何につけても、上っ面の議論が横行する傾向が強い今日だが、地に足をつけ、生活と農業との一体化を模索する彼のブログは、多くの人々に読んでもらいたい内容を含んでいる。

2011年4月14日木曜日

桜の木の下で

わずかの時間だったが、今年も家族でお花見をすることができた。そして、今回ほど、桜の花を見て寂しさや悲しさを感じたことはなかった。



我が家の桜も早々に満開となった。しばらく前までは、桜の木の下に丸テーブルを出して、家族3人で遅めの朝ごはんを楽しむ、というのが春の休日の楽しみだった。

播磨坂では、羽目を外さない程度にお花見の宴が催されていた。お行儀のいいお花見だった。


氷川神社に行ったら、ソメイヨシノの白、八重桜のピンク、菜の花の黄色がきれいにそろっていた。


境内に上がる階段の前で、娘を撮った写真。


「明るい日本」になって欲しい。でも、よく見ると、「明るい」と「日本」の間にひびが入っていた。

桜吹雪とはよく言ったものだ。散りゆく桜の枝からは緑色の葉が日に日に増えて行く。これから成長していく緑とともに、前向きに毎日を過ごしていきたい。

2011年4月2日土曜日

ブログを書けなかった日々

この2ヵ月、ブログを更新できなかった。2月末までインドネシアにいたが、とにかく毎日いろいろあり、週末はジャカルタを離れて出かけていたので、実はネタはたくさんあった。日々の慌ただしさのなかで、書くタイミングを失してしまった。

2月27日に帰国して、翌28日から3月9日まで、インドネシア商工会議所関係者の研修にコースリーダーとしてずっと付き添っていた。そして研修が終わって、一息つくかと思った矢先、3月11日に東北関東大震災(東日本大震災と公式に命名されたようだが)が起こってしまった。

引き続く余震と緊急地震通報、毎時毎時テレビに映し出される被災地や人々の姿。そうこうするうちに福島原発の事故とそれに関わる情報が流れるようになった。公式見解とそれに対する様々なインターネット上の情報。テレビとツイッターを見続けているうちに、自分が普段の感情を失っていくのが分かった。

朝起きてテレビをつけると目に飛び込んでくる光景、人々の苦悩に自然と涙があふれ、同時に何も行動を起こせていない自分への怒りと被災した故郷の人々への後ろめたさ・申し訳なさ、悶々とした日々を送っていった。

そんな気分のまま、所用で3月22〜26日にジャカルタへ行った。いつもなら、インドネシアに着いた途端にポジティブ・スイッチが入り、気分が高揚するのに。今回は、乗っていたタクシーの運転手に「お客さん、どうして寂しそうな顔をしているんですか」なんて言葉をかけられる始末。予定では4月3日までインドネシア滞在だったが、そんな気持ちにもなれずに、滞在期間を短縮して帰国した。

でも、ジャカルタで会ったインドネシアの方々がみんな日本のことを心配し、優しい励ましの言葉をかけてくれたのが、とてもありがたかった。でも、どうして? どうしてこんなに日本は思われているのか、いったいこれまで何をしてきたんだ日本は、と思った。もっと今まで私たちの外国との付き合いに自信を持っていいのだ、と思った。と同時に、私たちが本当にどこまで相手の国の人々のことを思っているのか、と自省する必要もあるような気がした。

テレビとツイッターを見ながら、やるせない気分で悶々とする日々が続いている。前向きに何かをガンガンに進めようという気力がわき上がってこない。とくに、生まれ故郷の福島がどうやって復活するのか、負わされた汚名をどうやって払拭できるのか、延々と考える日々。原発事故の被害にあった側にも、原発管理の当事者側にも、私の友人がいる。住民対策や復旧作業に当たっている友人もいる。彼らの壮絶な日々に思いを馳せたとしても、それ以上の何もできない自分にもどかしさとふがいなさを感じている。

こんなときだからこそ、自分の仕事をそれこそどんどん充実して行い、元気に笑いながら朗らかに楽しく生きていかなければならないことは、頭では分かっている。被災した方々が他人も自分たちと同じように悲しんで欲しいと思ってはいないことも想像できる。それでも今、そんなに簡単に割り切れない自分がいる。

今日からまた少しずつ、ブログを書いてみることにする。書いているうちに、そんな自分の気持ちの整理が少しずつ始まっていくような気がしているから。