2011年1月20日木曜日

嬉しいことがあったので・・・

1月14日、個人的にとても嬉しいことがあったので、一人でささやかな祝いの宴をした。喜びを誰かと分かち合うのもいいのだけれど、なぜか、自分一人で祝いたい気持ちになっていた。

何で祝いの宴をするか、ちょっと迷った。結局、これにビールで祝いの宴にした。


イエローライスを真ん中にし、その周りをいろいろなおかずで囲んだリースタフェル(Rijsttafel)。肉とジャガイモの甘辛い煮付けとピリッと辛いサンバル・ゴレンがイエローライスと相まって、口の中で絶妙なハーモニーを醸し出した。やはり、ちゃんとしたところの『ナシ・ラメス』は違うのだ、と納得した。

このリースタフェルを味わいながら、南インドで食べたターリーを思い出した。あれも皿の上にちょこちょこカレーやギーを並べていたが、すぐに、手でかき回して混ぜて食べるのだ。さすがにこのリースタフェルを混ぜ混ぜして食べる気にはならなかったが、見た目がよく似ているので、ちょっとターリーとの親近感を感じた。

おいしいものを食べることで、なお一層、嬉しさがじわーっとわき上がってくるような、至福の時間を過ごした。ちょっと赤ら顔ではあったが。

2011年1月16日日曜日

次のステップ・・・

1月2日にジャカルタへ戻って、バタバタと毎日を過ごしてきた。いろいろな人と会う機会も多くなり、これまで受けてきたのとは違う種類の様々な刺激を感じるようになった。何となく、そろそろ、徐々に徐々にだが、次のステップが見え始めた感じがする。

これまでを振り返ると、それまでやっていた仕事や業務がスパッと終わって、ゼロから再び始まる、ということではなかった気がする。前の仕事や業務と次の仕事や業務は、けっこう長い時間にわたってクロスしていて、双方が響き合いながら、少しずつ次の仕事や業務のほうへ重心が移り始めていくような、そんな感じを抱いている。つまり、瞬間的に見ると、違う方向へスパッと動いたように見えながらも、その複線はそれ以前の相当に長い時間にわたって引かれていた、という感じである。

単純かもしれないが、こんなことを思うのだ。

日本のヒトやモノがもっとインドネシアやアジアや他の世界と交わり、インドネシアやアジアや他の世界のヒトやモノがもっと日本と交われれば、もっと楽しくて面白いことが起こってくるのではないか、と。交わりが深まれば、もっともっとお互いに興味を持ち、お互いに尊敬しあうようになるだろう。最初は一人勝ちを狙って他と付き合い始めても、相手もよくならなければ自分も利益を得られないことを知るだろう。

国家を超えた公共益が成立できる時代は、実はもう相当に前からできているのに、実際の国家や組織の行動はまだ「一人勝ち」を短期的に求める性向を本質的に変えてはいない。国家や組織の行動が変わるのを待っていては、何も始まらない。

一人一人の具体的な行動を積み重ね、繋げ合わせていくことによって、本当の意味での公共益が生まれてくるのではないか。そうした公共益を生み出すには、自分とは異なる他者への興味と尊敬が必要である。なぜなら、自分もまた他者から無関心と見下しを受けたいとは思わないはずだからである。

こんなことは基本中の基本のこと。でも、無意識に他者を見下したり、軽蔑したりすることが、自分も含めて、いかに多いことか。

そんな一人一人の具体的な行動を積み重ね、それを繋げていくという作業を、現実に始めてみたいと思うようになった。それは、持続性という観点からビジネスという形を採る場合もあるだろうし、ファンドや基金という形を採る場合もあるだろう。他者への尊敬という観点から、できれば、モラルハザードが起こりやすい援助という形は採りたくない。

ドンキホーテかもしれない。しかし、きっと、同じようなことを思っている仲間が世界中にいるはずだと信じている。

まずは、自分がどっぷりはまり込んでいるインドネシアと日本のヒトやモノをより深く繋げていくことから始めてみたい。すぐにスパッとうまくはいかず、試行錯誤は当分続くだろうけれども。

読者の皆さんからもいろいろな意見やアイディアをお聞きし、ネット上でアドバイスをいただければとても嬉しい。

2011年1月1日土曜日

2011年を迎えて

2011年を迎えた。2010年には、様々な出会いと悲しい別れがあった。とくに別れは、いずれ必ず来るものだと分かってはいても、簡単に気持ちの整理ができるものではない。

我が家は喪中のため、今回の年賀挨拶は遠慮させていただいている。ご了承願いたい。

前もそうだったが、近しい者たちとの別れに際して、常に「自分は慢心していないか。傲ってはいないか」と自問してしまう。

でも、別れた親しい者たちは、決して私が立ち止まったり、後ろばかり見たり、ネガティブ思考になったりすることを望んではいないだろう、とも思う。思う存分、自分なりに納得して喜びを感じるような生き方、そんな自分が周りを、友人たちを、世の中をより楽しく明るくしていけるような生き方を望んでいるはずだ。

悲しい別れを心の奥にしっかり大事にしまい込みながら、それを自分の生きる力に変換し、もっともっと能動的に生きていけるといいのだが。今年をどんな年にしていくか。いろいろと考え始めている。

そんな私を、故郷のウサギの張り子人形が「なーんちゃって。へへへ」と見つめてくれている。