2008年12月31日水曜日

ベトナムのライスペーパー

ベトナム滞在中、ホーチミン市以外に、ベトナム戦争時の防空壕トンネルで有名なクチも訪問した。1994年に訪問したときは、(米兵は一般に太っているので通れないという)狭いトンネルの中を這って歩いたが、今回の目的地はトンネルではなく、ライスペーパー工場。ここは、ベトナムでも有数のライスペーパーの産地であった。


最初に訪問した工場は、組合所有で、パッケージを緑色に変え、外国への輸出も増やしていきたい、とのことであった。ここの工場長は自分でライスペーパーの生産機を試作し、使用している。

次に訪問したのは、クチでも最大のライスペーパー工場。通常のライスペーパー以外に、韓国への輸出向けに、天然素材で着色したライスペーパーも生産していた。


ライスペーパー工場の外では、できあがったライスペーパーを天日乾燥させていた。すると、あちこちから、パリパリパリッ、という音が聞こえてくる。ライスペーパーから水分が抜けると、台からライスペーパーが自然にはがれてくる、そのときの音である。

ベトナムの食事に欠かせないライスペーパー。肉や野菜、ハーブを入れて巻くのだが、自分でやるとなかなかうまくいかない。食事会の席で、見かねたおじさんが、下の写真のようにきれいに巻いてくれた。「奥さんにするならライスペーパーをうまく巻ける人を」という話らしい。


ベトナム滞在中、実はあまり米粒のご飯を食べていないことに気づいた。食べているのは米の麺のフォーであり、ライスペーパーであった(それ以外にはフランスパンが出された)。もちろん、普通はご飯も食べているだろうから、米加工品のバラエティが豊かということになるのだろう。日本でも米粉の活用が注目されているようだが、インドネシアでも米粉の活用をもっと考えてもいいように思える。


2008年12月27日土曜日

バンコク経由で休暇一時帰国

ベトナムでの用事を終えて、25日朝に休暇一時帰国した。

ベトナムでは、大勢で食事をする際に、酒(今回はバナナの蒸留酒。アルコール度はかなり高い)を小さなグラスに注ぎ、乾杯した後にそれを飲み干す、というのが必ずあった。次から次へと酒をついでまわる人が現れ、乾杯はエンドレスとなり、それに付き合わざるを得ない状況で、久々にベロンベロンになった。それにしてもベトナムの皆さんのお酒の強いこと。昼間からこんなに飲んだくれていていいのか、と思ったりもしたが・・・。日ごろ酒を飲まない生活をしている自分には拷問のようなひととき。正直言って、自分のなじみの国が、イスラム教徒の多いインドネシアでよかったと思わずに入られなかった。

ホーチミンから飛行機乗り換えのためにバンコクに立ち寄る。午後1時に着き、次の成田行きが夜中なので、空港の近くのホテル、それも安いところを探す。空港のホテル案内所で1泊1150バーツの宿を見つけ、案内所に1000バーツ払う(残りはホテルでの支払い)。ホテルから迎えが来て、ホテルまで10分ぐらい送ってもらう。着いたところは、明らかにアパートの一部。洗濯物が山ほど干されている部屋がいくつもある。そうか、こうしたアパートの一部を有効活用しているのだ。バンコク国際空港には立派なノボテルの空港ホテルもあるが、バジェット・トラベラーの需要も多いのだろう、こうしたアパート活用型安ホテルがいくつもある。

とりあえず、部屋はエアコンが効き、ベッドも大きく(ツインを2つつなげてダブルにしていたが)、数時間の滞在にはさほど問題なさそうであった。この短時間の滞在中に小さなレポートを2本片付けた。さあ、少し休もうとベッドに横になって間もなく・・・。大音響のテンポのいいポップ音楽がけたたましく聞こえてきた。何事かと思って部屋の外を見ると、ホテル(アパート?)の前の広場に屋台などが設営され、ナイトマーケットが始まりつつあった。それほどたくさんの人はいないが、けっこう人が集まっている。そして、ノリのいいポップ音楽はエンドレスに流れ続ける。もちろん、ベッドで眠れるわけがない。しかたなく、時間が過ぎるのをボーっと待つことにした。まあ、たしかに1150バーツ、という感じではあった。

バンコクの空港までホテルから送ってもらい、イミグレ通過後、食事をして、後は何事もなくSQ632便に搭乗。ちょうど3人席が空いていたので、ラッキーと思ってさっそく横になる。と、食事が運ばれてきた。あれ、朝食じゃないの? と思って聞くと、SQはこの便に限って朝食はなく、サパーとのこと。しかたなく、食べることにする。

バンコクから成田まで約5時間、しかも成田空港が開く6時半以降に着陸する必要があるため、わざわざバンコクの出発を15分遅らせたこの便。それでも若干早めに着いてしまったため、成田空港周辺を何度も旋回して開港時間を待つ。騒音対策からすると、何度も旋回するのは、さっと着陸するよりもよろしくないのではないか、などと寝ぼけながら思う。

ともあれ、無事に帰国。これからしばらく、東京でゆったりと年末年始を過ごす。頭がとろけてしまいそうな、のんびりした日々を久々にすごしたいと思っている・・・。 1月14日にはまたマカッサル、だ。

2008年12月22日月曜日

ホーチミンはクリスマス一色!

先ほど、無事、ホーチミンに到着した。14年ぶりのベトナムである。

空港から街中に入ると、あちこちでバイクと車と歩行者で大渋滞。街路樹には電球がかけられ、イルミネーションだらけである。



ノートルダム教会付近は、とにかく人、人、人だらけで、空港から乗ったタクシーが動けないほど。いったい、何のお祭りかと思っていたら、クリスマス前の日曜日で、市民が街に繰り出し、イルミネーションを楽しんでいるのであった。

サンタクロースの帽子をかぶった子供、雪ダルマ人形の前で写真を撮る親子連れや若者たち、風船人形を売り歩く売り子さん、仲良く食べ歩きをしているカップル、みんなとても楽しそうである。




もっとも、何か統一的なイベントが行われているわけではなく、あちこちのイルミネーションがきれいで、それを市民がただ見て歩いている、ということなのだろう。それにしても、人、人、人、である。

クリスマスの前に、こんなに人がどっと繰り出すのは、ベトナム、いやホーチミンならではなのだろうか。社会主義国ベトナム、という頭からは、想像できないようなクリスマス一色のホーチミンに出迎えられた。

そして、空港から街中に来るまでの間、窓から見た光景には、なんとも形容しがたいのだが、とにかく「勢い」が感じられた。家族3~4人で乗るバイクの走り、歩いて いる人々の表情、無邪気な笑顔の子供たちとそれをほほえましく見ている大人たち。インドネシアでもシンガポールでもタイでも感じられなかった、ある種の 「勢い」がホーチミンに入った途端にこちらへ押し寄せてくるかのようだった。

世界経済の後退で、派遣切りなど暗い話題がメディアを賑わせている日本とは明らかに違う「勢い」が、少なくとも今夜のホーチミンからはムンムンと感じられたのである。そう、元気の出てくるような「勢い」が・・・。

ホテルの外からは、バイクや車のクラクションが聞こえてくる、まだたくさんの人々がクリスマスのイルミネーション見物に集っている。

14年前のホーチミンも活気があった。しかし、今回の活気は、14年間の蓄積を感じさせるような活気のような気がした。


2008年12月21日日曜日

今はバンコク

12月20日から1月13日に休暇を取得し、25日から日本、である。年末年始は日本、というパターンで帰国するのは、実は今回が初めてである。だって、年末年始の日本は寒くて、耐えられない。でも、仕事の関係で、この時期以外には休暇が取れそうになかったのである。

それで今、バンコクに来ている。帰国前、12月22~23日にホーチミンでちょっと用事があり、その途中でバンコクに寄って友人と会った。久々の再会はやはり楽しいものであり、お互いにあまり変わっていなかったことを確認できた。

ついこの間まで閉鎖されていたバンコク国際空港も、クリスマス休暇と思しきたくさんの外国人でイミグレがごった返していた。到着したときの緊張感を和らげるような入国管理官や空港関係者の柔らかな対応、ここでタイのイメージが作られているのだと思った。

たまたま泊まったホテルは、アパートメントを改装したホテルで、スイートルームに1泊朝食付き61ドルで泊まっている。部屋が広すぎるのだが、あまりにも快適である。

バンコクを訪れるのは4年ぶりだが、来るたびに町が洗練されてきている感じがする。空港からのタクシーも、当たり前だが、ちゃんとメーターで走る。車も、多少渋滞はしているが、秩序立って走っている。隙あらば割り込んでくるマカッサルの道路が遠く感じられる。

やはり、マカッサルやスラウェシに関わるこそ、ときには外の世界を定期的に見ておくことが必要だと思った。世の中は絶えず変化しているが、1カ所にずっと関わると、その感覚が知らず知らずに萎えてくる。そして、外の世界の変化を見ながら、マカッサルやスラウェシの変わっていくもの、変わっていってはいけないものなどを、常に新鮮な感覚で見られるようにしていかなければ、と感じた。

今日の夕方便で、ホーチミンへ発つ予定。

2008年12月16日火曜日

師走・・・なのかもしれない

12月15日、マカッサルに戻った。

先週の大分・東京訪問中は、なぜか暖かい日々が続き、汗ばむほどだった。滞在中には様々な出来事があったが、個人的には、由布院で歩いた幻想的な霧に覆われた夜道や、落葉した木々の凛とした姿に、改めて感動した。

また、今回、我々を温かく迎えてくださった方々の、真摯で前向きの姿に、自分自身がとても勇気づけられた。新しい何かを始めたい、いや始めていかなければ、と思わせる力をいただいた気がする。

さて、マカッサルに戻って早々、16日夕方の会議に出た後に夜中の便でクンダリへ飛び、17日朝から会議に出て、翌18日早朝便でマカッサルへ戻り、そのまま夜まで会議、といったドタバタの日々が始まった。ほんと、師走・・・なのかもしれない。

そして、本格的な雨季がいよいよ始まっていた。


2008年12月8日月曜日

今週は大分、東京

怒涛のような1週間の仕事が終わり、ホッとする間もなく、今は東京に来ている。北スラウェシ州議会・政府訪問団が自前予算で一村一品運動に関する視察を行うのに同行するため、今晩、福岡に飛んで、明日彼らを出迎えてから、由布院を中心として12日まで大分県にいる。

今朝、成田に降り立ったら、やはりかなり寒い。でも、スカイライナーから眺めたイチョウの黄色や葉っぱの落ちた木々がとても印象的だった。マカッサルに住んでいる自分の、自然の移ろいに対する繊細な感覚がやや萎えてしまっていたのかもしれない。

14日に成田を発ち、バリに1泊した後、15日にマカッサルへ戻る予定である。インドネシアから持ち帰ってしまった残務は、果たしてこの滞在中にどこまでやり終えられることやら・・・。

2008年12月2日火曜日

マサンバのバゲア、お取り寄せ!

以前、このブログでご紹介したマサンバのバゲア(詳細はこちらを参照)。ゴチゴチして固い、というのが一般的な印象のサゴやし・クッキーのバゲアだが、これは、サクッとしていて、お茶やコーヒーと一緒に食べると口の中でホワッと溶けるような、ちょっと違ったサゴやし・クッキーである。

このマサンバのバゲアを試しに取り寄せることにした。第1弾は12月6日にマカッサルに到着、とりあえず30袋である。この機会に購入し、味を試してみたい方は、ぜひ、私のメルアドまでご一報を。

好評ならば、今後、定期的に取り寄せ、どこかで販売できるようにすることも考えてみたい。すでに何人か、このバゲアのファンになってくださった方々がマカッサルにいる。

ほかにも、地方の銘品探しを続けていく予定。マカッサル以外にお住まいの方、どうかご容赦を。