2009年2月26日木曜日

賑やかさと静けさと

こどものチカラでいったんは元気になったような気がしたものの、やはり、気持ちの起伏がけっこう出てしまい、なかなか安らかになれない日々が続いている。ふと気がつくと、先週のあの話を思い出してしまう。どうしてなのか分からないが、「自分に全く関係のない話だ」と割り切れないでいる。それ以外にも、気になることがいくつかあって、気分が晴れないような気がしている。

このところ、我が家にまた以前のように若者たちが集ってくるようになった。今日は、2階でハサヌディン大学で日本語を学んでいる学生たちがたくさん集まって、歌やゲームをしながら、誰かの誕生会を賑やかに祝っている。1階の図書館では、夕方から批判的な視点でエッセイを書こうとしている若者たちの勉強会が行われている。

2階からは、インドネシアの若者の間で大ヒットしたKiroroの「未来へ」の歌声が聞こえてくるが、私は自室で、数日前に友人からもらったMiles Davisのアルバム「Kind of Blue」を聴いている。Milesのトランペットがしっくりと心に滲みわたってくる。同じくBill Evans好きの友人が、このアルバムのピアノがBill Evansだというので、おまけにもらったのだ。でも、今の気分にしっくりきたのはMilesのトランペットだった。

自室の静けさのなかで聴くMiles。何となくだが、救われるような気分に浸っている。


2009年2月22日日曜日

こどものチカラ

実は先週、とてもショックな知らせを聞き、久々に落ち込んでしまった。この2~3日間に実際にお会いした方々は、あまり気がつかなかったかもしれないが、誰とも口をきかず、しばらく一人になって、思い切り泣きたいような気持ちになっていた。でもその反面、友人や知人と会って、たわいもない話をひたすらしたいような衝動にも駆られていた。何となく安定しない重い気持ちで悶々と過ごしていた。

今日、日本から友人が家族3人で我が家にやってきた。夫婦とも、知り合ってからもう10年前後の月日が経ち、どうしてるかなあと気になって仕方のない友人なのだが、2年ぶりの再会となった。2年前に会ったときは生まれて間もなかった娘さんは、可愛い3歳児になっていた。最初はちょっともじもじしていた彼女も、だんだん慣れてきて、お絵かきをしたり、バリの猫のお人形で遊んだり、折りたたまれている地図を何枚も床に広げて並べて迷路遊びをしたり、かけっこをしたり、一緒に遊んでもらった。

そして、ふと気がついた。この子と遊んでいるうちに、なぜか気持ちがどんどん元気になってきたのである。そして思い出した。以前、マカッサルに住んでいたときに、ちょうどこの子と同じぐらいの歳だったわが娘とよく遊んだことを。一緒に遊びながら、私が、こどものチカラを吸収しているような、でもそんなことでなくなることはないような無尽蔵のチカラを子どもが持っているような、そんな気がしていた。

今まで、いったい何度、こうしたこどものチカラに助けられてきたことだろうか。そして、今回も助けてもらったのだ。友人夫妻の娘さんが我が家で思う存分遊んでくれて、本当にありがたかった。ありがとう、また遊ぼうね。重い気持ちが完全に吹っ切れるのは難しいだろうけど、少なくとも「明日も元気に」ってまた思えるぐらいには回復したような気がする。

2009年2月17日火曜日

駆け足でゴロンタロ、空港のナシゴレン

15日にゴロンタロに到着し、16日朝に仕事を済ませた後、午後の便でジャカルタに出る、という駆け足でゴロンタロへの今回の出張。16日はゴロンタロ州の設立8周年記念日で、祝賀行事がたくさんあるのだが、何せ、17日に急にジャカルタで用事が出来たので、昼食もとらずに、ゴロンタロ市街を後にして、空港へ向かった。ゴロンタロ市街から空港までは約1時間弱かかるのである。

とはいえ、案の定、ジャカルタ行きの飛行機は1時間遅れなので、空港で昼食をとることにした。チェックインを終えて、空港税(9,000ルピアから11,000ルピアへ値上がりしていた!)を払って、いつものように、レストラン『ラフマット』で食事しようと思ったら、閉店していた。しかたないので、ラウンジに乱入。通常、クレジットカードのプラチナやゴールドを持っているとタダで使えるラウンジだが、インドネシアでは、たいていどこでも、お金を払えば利用できる。

今回のこのラウンジは、35,000ルピア払った。しかし見たところ、コーヒーと紅茶とお菓子はあるが、食事は出ていない。何か食事を出せるかと聞くと、ナシゴレンができるという。そこで、まったく期待せずに、ナシゴレンを注文した。20分近く待って、ようやく、係員が大きめの紙箱を持って登場。はたして、そのなかにナシゴレンが入っていた。係員の兄ちゃんが知り合いの小食堂か何かで作ってもらったのを持ってきたのだろうか。

ところが、このナシゴレン、意外なことに、とても美味しかったのである。今までいろんな空港でナシゴレンを食べてきたが、それらのなかでも最もおいしい部類に入るナシゴレンだった。ゴロンタロ空港でお腹がすいたら、ラウンジに乱入して、ナシゴレンを頼んでみよう!

ちなみに、ナシゴレンを頼んだにもかかわらず、最初に払った35,000ルピア以外の追加料金は一切払わなかった。

2009年2月14日土曜日

今週ちょっと嬉しかったこと

今週初め、仕事でJICAのあるプロジェクトの成果発表セミナーに出席した。

このプロジェクトは、南スラウェシ州内の3県を対象に、各県政府が選んだ村に対して少額のブロックグラントを提供し、それと村人たちの自前資金も動員して、村人たち自身が作業して、トイレを整備したり、乳幼児向けの保健施設を整備したり、歯磨きキャンペーンをしたり、と、ちょっとした活動を行っている。村人たち自身が作業するので、活動に対するオーナーシップがこちらも驚くほど高まっている。

このセミナーで、ちょっと嬉しいことがあった。ある県の発表で、「JICAプロジェクトが終わった後、自分たちでこの事業をどう実施していくか、すでに計画を練っている」というのである。このプロジェクトの対象であるその県のある若い村長は、JICAなしでもこの活動を引き続き実施するために、すでにいくつかの行動に着手している、と大演説した。これで雰囲気が変わったのか、「JICAの後は引き続きほかの団体に入ってもらいたい」と先日発言していた別の県の発表でも、「JICAプロジェクト終了後には、県政府が責任を持って事業を引き続き実施していく」と明言した。

翌日、3県政府の代表が州の保健局に参集して、JICAプロジェクト終了後に、具体的にどのような予算措置をとって事業を継続していくか、各県のアイディアをもとにした議論が行われた。

このJICAプロジェクト自体は、もちろん、終了後にインドネシア側が自前で実施していけるようになることを念頭に置きながら活動を進めている。このプロジェクトが、村人のオーナーシップを引き出してしまった以上、インドネシア政府側も、JICAがいなくなても、もはや中断はできないという認識のようだ。

今、少なくともスラウェシでのJICAの協力は、こうした「終了時にインドネシア側が自立して同様の活動を自前で行なっていけるか」という点を強く意識しながら実施されている。インドネシア側はもちろん、日本側も経済協力に対する認識を改めるべき時代を迎えていると思うのだ。

ちょうど同じ時期、マカッサルで複数の国際機関が教育関連の支援に関する2日間のセミナーを開催した。その席上、今後も南スラウェシ州にどんどん援助を提供する旨の発言があったとのことである。かたや相手のオーナーシップを高めて自立をめざし、かたや退出戦略を持たずに援助を供与し続ける…。このような状況下で、インドネシア側の自立を促す支援を遂行していくための様々な戦略と行動が求められてくることになるだろう。

2009年2月10日火曜日

マカッサルのタクシー、また進化

マカッサルのタクシーは、運転手の顔つきが怖く、運転もちょっと荒い。しかし、これまでに、回り道をされたり、ごまかされたり、メーターを倒さなかったりしたことは一度もない。Bosowa、Putra、Gowata、Gowamas、Lima Mudaといろいろな会社のタクシーが走っているが、どのタクシーに乗っても、問題を感じたことがない。

ジャカルタでも、マナドでも、マカッサル以外の町でタクシーに乗って、いやな思いをしたことがいろいろあるだけに、なぜマカッサルではそういうことに出会わないのか、あるいは単に運がいいだけなのか、不思議である。

そのマカッサルのタクシーの中で、BosowaとGowamasの新車に、メーター金額のレシート印刷機能が付加された。レシートには、料金以外に、タクシー番号、乗車日付、乗車時間が記載される。実は、この機能、1990年代初めのジャカルタのタクシーには普通に付けられていたものである。その後、この機能はなくなって久しかった。

もう一つ。Bosowaは、タクシーの車内に忘れた落し物の預かり品リストを地元紙Tribun Timurに掲載している。落し物を発見した日付、タクシー番号、落し物の概要、落とし主が引き取ったかどうかの有無、が記載されている。これは初めて見た。

PutraやGowamasのタクシーには、DVDプレーヤーが設置され、お好みのDVDを車内で鑑賞できるようになってからもう2年ぐらい経った。ジャカルタでは、黄色のTrans Taxiがこの方式を取り入れているのが知られる。

マカッサルは、どのタクシーでも安心して乗れる町、と太鼓判を押したい。そして、これからもずっとそうあり続けてほしいものだ。

ファシリテーター講習:基礎編

たまたま短期専門家でマカッサルにいらしていた中田豊一さんに講師をお願いし、青年海外協力隊員らを対象とした「ファシリテーター講習:基礎編」を1月31日に開催した。その様子については、私の所属するNGOのブログで紹介した。興味のある方は、以下のリンクからアクセスしてご笑覧いただきたい。

ファシリテーター講習:基礎編

また、私の所属するNGO「あいあいネット」について興味や関心のある方は、ご遠慮なく連絡いただければと思う。


2009年2月7日土曜日

トランス・スタジオ・リゾート計画

「マカッサルで、東南アジア最大の、ディズニーランドのようなレジャーランドを建設中」と書いたら、いったい何人が信用してくれるだろうか。

トランス・スタジオ・リゾート・マカッサル(Trans Studio Resport Makassar)と名付けられたプロジェクトは、マカッサル南西のタンジュンブンガ地区に向かう「海の中道」の途中に、総敷地面積11万平方メートル、23種類の遊具を備えた2.2万平方メートルの屋内施設を建設中である。Theme ParkとMagic Cornerはすでに70%が完成、2009年6月中旬の営業を予定している。また、Hollywood Scenes、Thrilling Adventure in the Lost City、Trans Studio Walk、Tropical Atrium、Fashion Hubなどの施設は、2010年の完成を目指すとしている。

このプロジェクトは、ハイルル・タンジュンを総帥とするパラ・グループとユスフ・カラを総帥とするカラ・グループの合弁で進められており、総投資額は1兆ルピアに上る、と2009年2月7日付FAJARが報じている。リゾートの入り口には5つ星ホテルと12階建てのオフィスビルも建設されるそうである。

しかし、この夢のような計画は、予定どおりに実現するのだろうか。世界的な景気後退の影響を受けて、マカッサルでも大規模なビル建設などの資金繰りが危うくなり始めている。カラ・グループが中心部に建設しているカラ・タワーも建設を一時中断するという話が出ているほどである。

空港も新しくなり、東南アジア最大の敷地面積ということで外国からの客も見込みたいところだろうが、現実に即して、注意深く見ていく必要がある。これまでのマカッサルでのホテルや施設の状況からすると、例外はもちろんあるものの、メンテナンスが悪くて、1年経ち、2年経ちすると、中身がどんどん陳腐化するケースがよくみられる。鳴り物入りで建設したセレベス・コンベンション・センターは、手抜き工事がばれて、床の全面張り替えを余儀なくされ、イベントも少なく、閑古鳥が鳴いている様子だ。

このリゾートで働く従業員の募集広告も新聞に掲載され始めた。このご時世で、どこかの国では、中高年の人々までもがこうしたリゾートへの就職に殺到しているようであるが、マカッサルではどうなるのだろうか。はたして、6月の仮オープンにこぎつけられるかどうか、見守ることにする。

2009年2月1日日曜日

マカッサル空港の運航便発着情報

本ブログの「スラウェシ旅行リンク」にマカッサル空港(スルタン・ハサヌディン空港)の運航便発着情報(速報)へのリンクを掲載した。

このところの悪天候で、航空機の運航状況がなかなか予測できないが、これである程度情報を把握することができる。

それにしても、この運航便発着情報はありがたい。途中で中断することなく、ずっとメンテナンスされることを祈る。