2008年7月26日土曜日

ミナハサ名物「鯛のかぶと焼き」

北スラウェシ州マナドに行くと、様々な料理を楽しめる。全般に辛さが強いミナハサ料理だが、野菜が豊富に食べられるのはいい。

そしてもう一つ、マナドに行った際に必ず食べたいのが「鯛のかぶと焼き」である。ちょっとグロテスクな写真で申し訳ない。



マナドからビトゥンへ向かう街道沿い、北ミナハサ県の県都アイルマンディディ(Airmandidi)のすぐ手前にあるレストラン「スクル・ジャヤ」(Sukur Jaya)が有名だが、ここで出される鯛はとにかく大きい。この鯛、甘辛の調味料を塗って焼かれた頭だけが出てくる。そして、胴体部分は惜しげもなく捨てられるのである。

鯛のかぶと焼きのお供は、何と言っても、食用シダ(ぜんまいの一種?)とパパイヤの花を痛めた野菜である。やや苦味があって、鯛との相性がぴったり。


食べ応えたっぷりの「鯛のかぶと焼き」。下の写真はその残骸で、左上の丸いのは目の部分。ごちそうさま。

2008年7月20日日曜日

トモホン、花の宴のあと

7月19日は北スラウェシ州トモホンを訪れた。トモホンはフラワーシティを標榜し、市内にはたくさんの花が飾られている。沿道には、花を売る店が立ち並ぶ。



トモホンでは、6月29日~7月7日にフラワーフェスティバルが盛大に開催された。フェスティバルの様子の写真は、トモホン市政府のホームページで堪能できる。いろいろな花自動車が市内を練り歩いた様子だ。残念ながら、私は見に行くことができなかった。

フラワーフェスティバルの写真

なかでも、フェスティバルで作ったフラワーカーペットは、オランダのそれを抜いて世界一の広さだったと地元紙で報道された。フラワーカーペットの写真は、以下のサイトにある。

フラワーカーペットの写真

「世界一」と聞いて、どんなところにフラワーカーペットを作ったのか知りたくなった。そこで、フェスティバルが終わったトモホンへ出かけてみたのである。

トモホンへ着いて、フラワーカーペットの場所を通りがかりの市民に聞いてみるが、なかなか分からない。交通警備のおじさんたちに聞くと、自分たちの「ボス」が知っている、といって、市治安警備局の職員の家へ連れて行ってくれた。

「ボス」によると、フラワーカーペットの会場は、旧市庁舎の裏にあるサッカーグランドとのこと。今も花を咲かせているのではないかと思って尋ねてみると、「今は花はもうない」という。フラワーカーペットは、地上に植えたのではなく、マリーゴールドなどの切り花を針金でつなぐなどしてサッカーグランド全体に敷きつめた、ということであった。切り花なので、フェスティバルが終わることには「ドライフラワー」になってしまい、全部捨てた、だから今行っても会場には何もない、ということであった。

でも、とりあえず、フラワーカーペットがあったサッカーグランドへ行ってみることにした。


たしかに、グランドには何もなかった。ここに「世界一」のフラワーカーペットが本当にあったのだろうか、と思ってしまうような閑散とした風景だった。

フラワーフェスティバルの残骸は、グランドではなく、グランドの入口にあった。


入口のゲートに残された残骸である。たくさんのマリーゴールドの花を切り、紙の上に貼って、それをゲートに貼り付けていた。片付けるときに剥がしきれなかったのであろう、そのまま放置されていた。

フラワーシティを標榜するトモホンの市民にとって、花とはいったい何を意味するものなのだろうか。花があることで、生活に潤いを感じたり、元気づけられたり、気持ちが優しくなったり・・・。日本ではそんな感じがするのだが、ここトモホンには、花はあっても、街にそんな雰囲気が感じられないのである。

市内で会ったある人が言っていた。多くの市民は、花を売り物、所得源と考えている、と。実際、トモホンの花はよく売れるので、農地を花卉栽培へ変える人々が少なくない様子なのだ。

トモホンの人々は、決して貧しそうには見えない。貧困にあえいでいるという感じはない。キリスト教徒が人口の大半を占めるこの町の雰囲気は、高原都市ということもあって、他のインドネシアの都市にはない、清潔感を感じさせる。しかし、花を愛でて自分たちの生活のなかに取り入れる、と考える余裕は、まだないように見えた。精神的なものよりも物質的なものを重んじる傾向は、ほかの都市と同じかもしれない。でも、それはしかたないことなのだろう、と自分を納得させてみる。

フラワーカーペットの旧会場から、ラコン山が美しくそびえているのが見えた。

2008年7月10日木曜日

新しいモデルを作れないだろうか

タイ、ベトナムといった国々の台頭の陰で何となく存在感が薄くなってしまった感のあるインドネシア。それでも、アジアをめぐる国家間競争に追いついていきたいと思っているジャカルタとは対照的に、「お山の大将のほうが楽だもんね」という感じのスラウェシ。ふと、思う。スラウェシは、そうした世界を覆う大きな流れにがんばって乗らなくてもいいのではないか、と。

本流のなかに入っている者たちは、そのなかで激しい競争に打ち勝つことのみが生きる証となってしまうのではないか。本流から一歩はずれて、本流の流れを外から眺めたときに、本流のなかで絶対と思っていた価値観が、実は様々な価値観のひとつに過ぎないのではないか、という気持ちがふっと出てくる。

気にしなければいいのである。スラウェシはスラウェシ。いい意味での開き直り。そして、じっくりと自らを見つめること。「開発が遅れたインドネシア東部地域」とよく言われるが、それは既存の右ならえではない、何かをまだ作り出せる可能性を持つ、ということではないか。本流のなかに入っている者たちが見落としたものをまだ見る力があるということではないか。

昨今の日本の状況を観るに、はたして日本のようになることが目標になりうるのだろうか、と思ってしまう。金銭的に豊かではなくとも、毎日の食糧を自らの周りで調達し、家族に囲まれて暮らしている人々をみると、彼らに失ってほしくない大切なものがまだ息づいているのがわかる。そして、様々なモノやカネとの関わりが、結果的にそうした人々の価値観や行動に悪影響を与えてきていることも。

南スラウェシ州政府が、州内のすべての村に公民館のような集会所を設置することを決めた。行政村を本来のコミュニティへ変えていきたいのだという。場所を作るだけでコミュニティへ変わるほど、状況は簡単ではないが、その気持ちは大切にしたいと思う。

そんなことを思いながら、ふと、ここで、何か新しいモデルを作れないだろうか、と思い始めた。目指すのは日本でもシンガポールでもジャカルタでもない。スラウェシのオリジナルなモデルである。でも、まだイメージがわかない。ともかく、そんななかば空想的なことを意識しながら、この土地でここの人々と一緒に何かを作り始めて行けたら、と思ったりしている。

2008年7月6日日曜日

マカッサル新空港は8月3日オープン

開港が遅れに遅れたマカッサル新国際空港。最近の報道で、8月3日にオープンすることが明らかにされた。ターミナルや取り付け道路の工事はほぼ9割以上完成。2009年に完成予定の新滑走路(3000m)を残して、開業するとのこと。すなわち、滑走路は従来の2500m滑走路を使用する。

7月25日からクアラルンプール直行のAir Asiaが毎日就航し、再び名実ともに「国際空港」へ戻るマカッサル国際空港。乗降客が一目で南スラウェシと分かるような、モニュメントを配置することなどが、南スラウェシ州政府から求められたという。名前も、現在のハサヌディン空港からスルタン・ハサヌディン空港へ変えるべきだ、との意見もある。

そういえば、昨日の空港は突然の停電でちょっとした騒ぎがあった様子。格好だけでなく、基本的なところをきちんとやってくれるといいのだけれど。

ゴロンタロといえばトウモロコシだけど

6月29日~7月2日にゴロンタロへ行ってきた。2001年に北スラウェシ州から分立したこの州は、著名な実業家のFadel Muhammadを州知事に選出し、民間企業ビジネス的なノウハウを行政運営に持ち込み、職員のやる気を引き出したことで全国的にも注目されている。要するに、元気のいい州なのだ。

それでも、スラウェシのなかでは最も貧困人口比率が高いのも事実。そこで、数年前から取り組んできたのが「トウモロコシ増産による農民所得の向上」である。この結果、産出量では南スラウェシや中スラウェシにはるかに及ばないにもかかわらず、「トウモロコシといえばゴロンタロ」というぐらい、トウモロコシがゴロンタロを代表する産品になってきた。でも、見かけるトウモロコシのほとんどはBISI-2といった外国企業が持ち込んだ品種。地域開発を考える場合に、地域性とどうつなげていくのか。これはけっこう大事な課題なのだけれども、ま、この辺は私のお仕事関係の話なので、ひとまず置いといて・・・。

そんなわけで、ゴロンタロでさっそく、ゆでトウモロコシを食べてきた。色の白い、地元種のトウモロコシである。ゆでたてのアツアツで手に持てないぐらい。


日本のスイートコーンと違い、トウモロコシ自体に甘みはない。そこで、このトウモロコシに、塩と小エビとココナッツを混ぜたものを付けて食べる。小エビの食感がなかなかいける。ちなみに、南スラウェシでは、塩と唐辛子を混ぜたものにレモン汁をかけ、それにトウモロコシを付けて食べる。こちらもなかなかいける。場所によって、様々なトウモロコシの「タレ」があるのだ。


そしてトウモロコシと一緒に売られていたのが、イラブロ(Ilabulo)と呼ばれるゴロンタロの包み焼きの一品。サゴヤシ、鶏の内臓(砂嚢)をまぜたものを葉っぱに包んで焼いたもので、辛いサンバル(チリソース)と一緒に食べる。これも美味だが、何本も食べると飽きる味かもしれない。


トウモロコシ屋台のおばさんの恥ずかしそうな笑顔がほほえましい。