2009年12月8日火曜日

泥の下に眠る村の記憶


12月5~6日はスラバヤを訪問。友人と一緒に、シドアルジョ県のラピンド熱泥水噴出地域に行った。2006年5月29日の発生から約3年半がたった今、ようやく訪れることができた。掘削会社のラピンド社が保有するガス試掘井の地中から熱泥が大量に噴出し、9村、600ヘクタール以上の農地や工場が泥の中に沈んでいった。事件が起こったのが夜中の11時過ぎ、逃げ遅れたたくさんのお年寄りたちが泥の中に埋められていった。2万人近くの生き残った者たちも、すべての記憶を泥の中に埋もれさせてしまった。

「ラピンド泥観光」という看板が立てられた現場で、生き残った者たちがバイクタクシー運転手の組合を作り、訪れた客を相手に、現場を案内したり、泥噴出に関するDVDを売ったりして、生計を立てようとしている。そんなバイクタクシーの運転手のアディさんとユディさんに案内してもらった。


熱泥噴出はまだ終わっていない。やや遠くに噴煙のわき上がっているのが見える。また、ガスのにおいがまだこのあたりにも残っている。


バイクタクシーの運転手の2人がよく通ったというモスクの上部。建物の3階部分まで泥で埋まった。「この泥の下が自分の生まれ育った村。逃げ遅れたおじいさんやおばあさんが生き埋めになって、今もこの下にいる・・・」という彼らの言葉は重い。


固まった泥の上の現場にイスラム説教師のアナス師の墓があった。アナス師は、熱泥噴出の2年前の2004年に、「シドアルジョが海になる。気をつけよ」と言っていたそうで、その予言が当たってしまったと受け止められている。アナス師の本当の墓は泥の下だが、彼を敬って、墓を造ったということである。


しばらくいくと、避難民が暮らす地域に到着。熱泥噴出で寸断されて崩壊した高速道路の上にバラックのような建物が並ぶ。約7キロ離れた地域へ移転することになってはいるが、彼ら自身の資金不足でとん挫している。ほとんどの人々が失業中であった。


熱泥噴出地の周りには堤防が作られているが、雨期になると、雨で崩れてくるのではないかと、周辺の住民は心配している。風向きの関係で、ガスのにおいもきつくなるそうだ。

ある夜、突然襲ってきた熱泥に、なすすべもなく思い出の地を失わされた人々。人災か天災かの議論の決着はまだついていない。時が経つとともに、世の中の人々の記憶もまた、この泥の中に吸い込まれていってしまうかのようである。

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