2009年9月26日土曜日

デリーでイフタール(断食明けの食事会)

9月14~23日にインドへ出かけてきた。マカッサルでの生活が長くなるにつれて、マカッサルも東京と同様に自分の中で日常化してしまい、無我夢中で発展途上世界に入り込んでいった、かつてのような野生にも似た感覚を失いつつある、という危惧がその動機だった。炎天下のデリーの街を何時間も歩きながら、とにかく生きようとする人間のすごさ、人・人・人の波、何かとんでもないことに出くわしそうな緊張感(幸い何もなかったが)、そして英語が意外に通じない世界、を久々に味わうことができた。

デリーに到着した翌日、第一の目的である国立博物館で古代からインド細密画に至る展示物を堪能していると、友人が迎えに来てくれ、彼女の活動場所であるデリー郊外のイスラム教徒が多く住む地域へ連れて行ってくれた。そこは、インドで有名な女性のエンパワーメント支援を行っているSEWA(Self Employment Women's Association)という団体の活動場所でもあった。そして、そこから別のSEWAが活動している場所へ移動し、SEWAの対象となっている女性たちとともに行うイフタール(断食明けの食事会)に出席、ということになった。

 SEWA

会場(といっても、そこのSEWAの小さなオフィス)に着いたのは午後4時前。マカッサルの感覚で断食明けは6時前後と思っていたら、実際には6時40分頃だった。女性たちが談笑しながらイフタールの準備をしていた。


まだ時間があったので、集落内を友人たちと歩いて回った。住民の多くは、パンジャーブなどから移ってきたイスラム教徒で、住環境はお世辞にも良いとはいえない。川沿いの幹線道路より一段低くなった場所で、たくさんのハエがあちこち飛び回り、集落内の道は舗装されていない。排水溝は詰まっており、飲料水や生活用水をどう確保するかが重大な毎日の課題であった。レンガなどで立てられた家々は比較的新しいものが多い。行政の十分な対応がまだなされていないという印象を持った。

会場で待ちながら、面白いことに気づいた。モスクからアザーンが流れてくると、女性たちは一斉に頭にショールをかぶり、アザーンが終わるとそれを外すのである。「インドネシアとは違うね」と言うと、女性たちから「インドネシアではいつもずっとパックしているよね」と言われた。

イフタールの準備は終了、盛り付けも完了した。


イフタールの30分ぐらい前から、女性たちが続々会場へやってくる。彼女らは、SEWAの支援の下、糸を紡いだり、布地を織ったり、布地に刺しゅうを施したり・・・、といった活動をしている。

断食明けをしばらく待って、いよいよイフタールの開始となった。


飲み物は、インド製のライムソーダ『リムカ』。リムカのペットボトルを持ったSEWAの事務メンバーが女性たちの間を注いで回る。SEWAの事務メンバーはほとんどがヒンドゥー教徒。彼女らは、イフタールの食事を一緒に食べることなく、ムスリム女性へのサービスに徹していた。非ムスリムの私と私の友人は、ありがたくイフタールの食事をいただいたのだが・・・。

イフタールが終了すると、女性たちはすぐに帰宅していく。私は、友人に地下鉄の駅まで送ってもらい、地下鉄を使ってホテルまで戻った。初めてのデリーでの地下鉄乗車だったが、車内はきれい・静かで、しかも数分おきにきっちり走っていた。まるで日本の地下鉄みたい、といっても、ほめすぎではないだろう。料金は距離によって異なるが、このときは12ルピー(約25円)と安い。もっとも、地下鉄に乗る際に、乗客一人ひとりを対象に、けっこう厳しいセキュリティー・チェックが行われた(どの駅でも)。

エアコンの快適な地下鉄に乗りながら、イフタールをともにした女性たちが毎日格闘している厳しい住環境のことを思った。

0 件のコメント: