あのとき、インドネシア語を使えるレベルにすること、インドネシア社会にできるだけ浸ることを目的に、日本人や外国人の多い南ジャカルタ地区ではなく、日本人や外国人の少ない東ジャカルタ地区に下宿先を見つけることができた。たまたま、当時、私がインドネシア語を教わっていた留学生の自宅が東ジャカルタ地区にあり、そこを経由して探していただいたのであった。
中ジャワ出身の熱心なカトリック教徒であるジャワ人のお宅だった。恥ずかしながら、当時、ジャワにはかなりの数のキリスト教徒コミュニティがあることを初めて知ったのであった。
「長男」である私の3人の「弟」と1人の「妹」はずっと前にそれぞれ家族を持ち、立派に生計を立てている。昨年末に「父」が亡くなり、今は「母」と「妹」一家が一緒に住んでいた。
「遊びに行くよ」と電話したら、「食べたいものは何?」と聞かれたので、ラクサを注文した。ロントン(コメを固めて蒸したもの)とソーウン(春雨と麺の間のもの)のうえにゆでた鶏肉とゆでたアヒルの卵半個をのせ、その上にウンピン(ブリンジョという木の実の粉をせんべい状に揚げたもの)を手でぎゅっと握って細かくしたものをかけた上から、ココナッツミルクとターメリックの入った汁をさっとかける。
マレーシア・ペナンやシンガポールのラクサとは違って、うどんのような麺は使わない。味もさっぱり系である。
下宿の「母」が作るラクサは、ペナンやシンガポールのラクサを愛する私や妻も、とても大好きな一品だった。もちろん、今回も20年前と味はちっとも変わっていなかった。
ラクサを味わいながら、次々と20年前の下宿生活が思い出されてくる。そして、こここそが自分のインドネシア認識を形成していく原点だったのだと改めて思った。20年前、この家は、低所得層を除く電力料金値上げがあったときに、ギリギリで値上げにかからなかった。この家から、インドネシアの人々の日常を参与観察し、一緒に泣き笑いした2年間が、どんなに自分にとってかけがいのないものであることか。
「妹」の計らいで、すぐに「弟」たちの携帯電話番号やブラックベリーの暗証番号を教えてもらった。ほどなく、「弟」たちから返信が来た。
結局、また、食べ物ブログになってしまった。
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