2009年1月31日土曜日

とり天とKさん

あの日、私は大分駅の近くの小さな飲み屋でKさんと語り合っていた。Kさんは、「大分に来たならとり天ですよ」と、とり天のおいしいその店に連れてきてくれたのであった。Kさんと会って語り合ったのは、ほんの1、2回だった。だから、Kさんといえば、とり天を思い出してしまうのである。

由布院のこと、彼がこよなく愛する昭和という時代の風景、ちょっとせつないキュッとするような素敵な思い出。Kさんの話を聞いていると、なぜか心の中がホッと温かくなってくるのだった。人間を見るまなざしとでもいうのだろうか、それがとても温かいのである。

Kさんは定期的に短いエッセイを様々な人々に送ってくださった。それ以外にも、ご自分のブログにいろんなエッセイを書いておられた。その一つ一つがなぜか私の気持ちを温かく幸せにしてくれたのである。人間っていいな、と正直に思えるような、そんな彼の文章を味わうひとときがとても好きだった。

一昨日、由布院在住の友人から、そのKさんが逝去されたとの連絡を受けた。ここ1~2年、闘病生活をおくっておられたのは知っていた。あのホッと温かくなるようなエッセイを目にしなくなってからずいぶん長い年月が経っていた。

世渡りがうまいタイプでも、要領のいい感じでもなかった。本を1冊出版されたけれども、出世や名声ともほとんど縁がなかったことだろう。でも、ご自分に正直に誠実に生きられたのだと思う。

Kさんはその温厚な人柄だけでなく、書いたエッセイを通じて、少なくとも私には、温かく幸せな気分をいつも届けてくださった。そのことを改めて思い、彼の残したブログのエッセイを読み返しながら、心よりご冥福をお祈りしたい。

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