2011年4月2日土曜日

ブログを書けなかった日々

この2ヵ月、ブログを更新できなかった。2月末までインドネシアにいたが、とにかく毎日いろいろあり、週末はジャカルタを離れて出かけていたので、実はネタはたくさんあった。日々の慌ただしさのなかで、書くタイミングを失してしまった。

2月27日に帰国して、翌28日から3月9日まで、インドネシア商工会議所関係者の研修にコースリーダーとしてずっと付き添っていた。そして研修が終わって、一息つくかと思った矢先、3月11日に東北関東大震災(東日本大震災と公式に命名されたようだが)が起こってしまった。

引き続く余震と緊急地震通報、毎時毎時テレビに映し出される被災地や人々の姿。そうこうするうちに福島原発の事故とそれに関わる情報が流れるようになった。公式見解とそれに対する様々なインターネット上の情報。テレビとツイッターを見続けているうちに、自分が普段の感情を失っていくのが分かった。

朝起きてテレビをつけると目に飛び込んでくる光景、人々の苦悩に自然と涙があふれ、同時に何も行動を起こせていない自分への怒りと被災した故郷の人々への後ろめたさ・申し訳なさ、悶々とした日々を送っていった。

そんな気分のまま、所用で3月22〜26日にジャカルタへ行った。いつもなら、インドネシアに着いた途端にポジティブ・スイッチが入り、気分が高揚するのに。今回は、乗っていたタクシーの運転手に「お客さん、どうして寂しそうな顔をしているんですか」なんて言葉をかけられる始末。予定では4月3日までインドネシア滞在だったが、そんな気持ちにもなれずに、滞在期間を短縮して帰国した。

でも、ジャカルタで会ったインドネシアの方々がみんな日本のことを心配し、優しい励ましの言葉をかけてくれたのが、とてもありがたかった。でも、どうして? どうしてこんなに日本は思われているのか、いったいこれまで何をしてきたんだ日本は、と思った。もっと今まで私たちの外国との付き合いに自信を持っていいのだ、と思った。と同時に、私たちが本当にどこまで相手の国の人々のことを思っているのか、と自省する必要もあるような気がした。

テレビとツイッターを見ながら、やるせない気分で悶々とする日々が続いている。前向きに何かをガンガンに進めようという気力がわき上がってこない。とくに、生まれ故郷の福島がどうやって復活するのか、負わされた汚名をどうやって払拭できるのか、延々と考える日々。原発事故の被害にあった側にも、原発管理の当事者側にも、私の友人がいる。住民対策や復旧作業に当たっている友人もいる。彼らの壮絶な日々に思いを馳せたとしても、それ以上の何もできない自分にもどかしさとふがいなさを感じている。

こんなときだからこそ、自分の仕事をそれこそどんどん充実して行い、元気に笑いながら朗らかに楽しく生きていかなければならないことは、頭では分かっている。被災した方々が他人も自分たちと同じように悲しんで欲しいと思ってはいないことも想像できる。それでも今、そんなに簡単に割り切れない自分がいる。

今日からまた少しずつ、ブログを書いてみることにする。書いているうちに、そんな自分の気持ちの整理が少しずつ始まっていくような気がしているから。

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