2010年12月5日日曜日

バンダアチェからラムノまで

この間、何かとバタバタしていたせいで、ブログの更新がおろそかになってしまった。11月17日に帰国したものの、その後も予定がいろいろ入ったのと、書かなければならない何本かの原稿があり、ツイッターではつぶやいていたものの、ブログに手がつけられなかった。11月はわずか1本とお寒い状況だったが、これから少しずつまた書いていこうと思う。

というわけで、しばらく古いネタを持ち出すことにする。今回は、10月16日、バンダアチェから西海岸をラムノまで走ったときの様子を紹介してみる。

バンダアチェからラムノまでは約2時間。ラムノの中心地を抜けて、しばらく走ると川の前で道がなくなった。

車もバイクも人も、この川を原動機付きの筏に乗って渡ることになる。ラムノには、ここ以外に、街中の市場近くにも、同様に川を渡る場所があった。

渡し場の脇には「茶屋」があり、川を渡る人々が一休みする。その間に筏屋が川を渡る準備をする。

茶屋で食べたスナック。左は餅米を発酵させたもの。右はよくあるチマキのようなもの。


茶屋を仕切っているご夫婦。津波のときの話をいろいろとしてくれた。地震の後、最初は水が引いたが、その後ほどなく轟音とともに水が押し寄せてきて、川沿いの家はすべてあっという間になくなった。無我夢中で逃げたそうだ。「津波のトラウマがない、なんて嘘だ」と強調していた。

渡し場からさらに5分ほど南下すると、橋げたの残骸があった。幹線道路の立派な橋だったそうだ。津波の後、新しい道路はかつての海沿いではなく、内陸のラムノの街中、筏の渡るところに造る予定だそうだ。きっと、津波が起こるまでは、この海沿いの橋を渡るドライブは、沿道でも有数の景色のよいコースだったのだろう。

橋に通じていたこの道は、かつての幹線道路。今では、牛やヤギの天国になっていた。

崩壊した橋のすぐそばには、緑色の屋根の新しい小さな住宅がたくさん建設されていた。マークからすると、サウジアラビアによる援助だろうか。

ラムノからバンダアチェへ向かう道路沿いは、水田地帯。

海沿いの丘を越えるところで海側を見ると、なかなかの景観だった。2つの島の向こうにインド洋を見渡す。

ラムノ方面を振り返ってみると、上の写真のような光景。ここも津波に間違いなく襲われたのだろう、と思わせるような地形だった。

丘越えの海に面した茶屋で一服。ここで出されたアチェ・コーヒーは、上の写真のようにコーヒー粒が満載。表面のコーヒー粒を皿に移してから飲む。濃い。甘い。口の中に残るコーヒーの粒々が何ともいえない感触。コーヒーを飲むというより食べる、という味わい方かもしれない。

インスタントラーメンのインドミーも。ここではアチェ風の味付けにして出してくれた。これが辛くてとてもおいしい。意外なところで意外においしいものに出会えたうれしさ。

この茶屋を切り盛りしている若夫婦。

茶屋を出てしばらく行くと、サルの一群がお出ましに。そーっと走っていると、ボスらしい雄ザルが逃げずにこちらを見て威嚇してくる。この辺りにはけっこうな数のサルが生息しているようだ。


沿道で小魚や干物などを売る小屋が並んでいた。ハマグリのような大きな貝も売られていた。売り子は女性たちで、試しに買ったちりめんじゃこは塩がかなり効いていた。最近、インドネシア産のちりめんじゃこが日本でも売られるようになったが、見た目は日本で見るものとほとんど変わりなかった。

「津波に注意」の標識。交通標識なのだろうか。

沿道の警察署の前。「この付近でこの間テロリストが射殺された」と運転手が説明してくれた。周辺は人影のない、何の変哲もない場所だった。

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