2011年5月25日水曜日

福島市の実家で

先週末、福島市の実家で過ごした。3月11日の東日本大震災の後、ようやくの帰郷だった。

白河を過ぎて須賀川付近から、瓦屋根にシートがかかり、石で抑えられた家が目につくようになった。3月11日の地震では、福島県内で被害が大変だったのは、県北の福島よりもむしろ郡山や須賀川だったと聞いた。液状化現象も起こっていたとか。でも、新幹線が福島に近づいても、瓦屋根を修復中の家が目につく。

実家は、何も変わっていなかった。母曰く、柱の多い平屋建ての家だったためか、壊れたり、倒れたりしたものはほんの一部だったようだ。ガラスのコップがいくつか割れた程度で済んだそうだ。母は、いつもの通り、淡々と一日を過ごしていた。

街中を歩いても、一見、何も変化は見られない。通りを歩く人は少ないが、もともと、市内はそんなものなので、とくに今回、人通りが少ないという印象はなかった。

運動部らしき高校生がかけ声をかけながらランニングし、テニスコートでは日が暮れるまで練習に明け暮れていた。

郊外では、農家のおじいさんが田植えの終わった田んぼで一息ついていたし、モモやリンゴの畑では、作業をする農家のご夫婦の明るい笑い声が聞こえていた。

新芽や若葉が萌え出でる、鮮やかな緑の勢いを感じる、いつもの福島の5月だった。

そんな、大好きな福島の5月を味わいながら、「今、自分は、内部被曝している最中なのだろうな」と思った。美しい空気と一緒に、目に見えない放射性物質が自分の体内に入っているのだろう、と悟った。

弟の娘たちは、相変わらず元気だった。妹は学校で健気にマスクをしているが、姉はマスクはしないらしい。格好を気にする中学生、マスクをしなさいという親のいうことも聞かない様子。それでも、姉のクラスでは何人かが福島の外へ転校していったそうだ。入れ替わりに、福島へ避難・転校してきた友達がクラスに数人いる。

彼らの親は、放射線量をとても気にしている。安全性について学校側を問い詰めるような親もいる。誰だって、自分の子供のことを心配しない親がいるはずがない。

弟の妻と話をしながら、息の詰まるような毎日を送っていることが感じられた。安全のためには避難した方がいいのかもしれないが、自分たちの生活がここで成り立っている以上、そう簡単に動くことはできない。でも、せめて、1〜2週間でも、福島を離れて別の場所で気分転換をしたい、思いっきり屋外で遊ばせたい、プールで遊ばせたい、というのが切実な気持ちのようだった。

「今年の夏には、よかったら東京の我が家にしばらくいらっしゃいよ」と言ったら、いつもは遠慮がちな弟の妻が、素直にとてもうれしがっていた。もっとも、東京だって絶対に安全だとは言えないのだろうが。

つい最近、結婚したばかりの従姉妹にも会った。彼女は、屋内でもマスクをしていた。風邪でも花粉症でもなかった。彼女の心配が本当に手に取るように感じられる。彼女は、一刻も早く福島を離れたがっていた。冗談で「インドネシアへ来る?」と言ったら、真顔で「行きたい、行きたい」と懇願された。

福島のテレビでは、頻繁に放射線量の測定数値が画面に流れている。母は毎日それをチェックするのが日課だ。でも、放射線量が3月15日頃の約20分の1に減った現在、それは不思議な安定感を母に持たせているようにも見える。

NHKが5月15日に放映した「ネットワークでつくる放射線地図」というドキュメンタリー番組の話を母にした。母はその番組を見ていなかったし、そこで描かれた放射線量をめぐるホットスポットの話などは知らない様子だった。いや、知ったからといって、今さら自分がどうなるということではない、あと何十年も生きるわけでもないし、とある種の覚悟を決めているかのようでもあった。

福島の子どもを持つ親たちがネットワークを作り、年間被曝線量20ミリシーベルトという基準を子どもに当てはめないように訴える運動を始めていたのは知っていた。5月23日、彼らは福島から文部科学省に押しかけ、強く訴えたが、文部科学省三役は現れなかった。

子ども連れの親たちが、雨が降るなか、建物の中には入れてもらえず、コンクリートの地面に座る形で、文部科学省の中堅幹部を相手に懸命に主張していた。そうした文部科学省の対応が、この国の人間を大切にしようとしない、上から目線の態度を如実に物語っていた。民主主義かつ先進国を自負する日本という国のそんな役人の対応を悲しく思った。

学校では、校庭の表面土を削り、それにシートをかぶせて遮蔽して埋め、その上に別の土をさらにかぶせる、という処置をするようである。これで、土の表面の放射線量が大きく減少する。でも、実は、どのシートを使うかが問題なのである。

それは、市町村の判断に任されている。吸着力の強いベントナイトシートを使えば最も効果があるが、高価である。財務力の乏しい市町村では、より安価な塩化ビニールシートやブルーシートを使うケースもあるようだ。でも、放射性物質の吸着・遮蔽力はベントナイトシートより遥かに落ちる。

国立大学附属ではベントナイトシートを使うが、公立では塩化ビニールシートやブルーシート、という違いがこのままだと現れてくる可能性がある。小・中学校は義務教育である以上、国がベントナイトシートの使用を義務づけて、必要な資金を都合すべきであると考えるが、どうだろうか。

これまでの政府や東電の発言や対応を見る限り、常に自らが責任を少しでも免れられるような逃げ道が先にありきだったように感じる。でも、実際に避難を強いられたり、高い放射線量のもとで不安を抱えて暮らす子どもや若者たちは、逃げ道を用意できない。

パニックを起こさないためという理由で正しくない情報を流し、情報をコントロールし、後で「実はこうだった」と後出しする対応をされて、人々が信頼するはずはないだろう。せめて、誠意を持って、正しくない情報を流したことをまず詫びるべきではないか。

本当に人々のことを思ってついた「嘘」なら、人々は分かってくれることだろう。でも、今までの対応では、それは難しい。いや、それでもなお、政府は人々に信用を強制し続けるのかもしれない。

福島市の実家で過ごしながら、ある意味、肝の据わった日常のなかに生きる母や市民の強さとともに、底知れぬ不安からせめて一時でも逃避したい切実な親たちの感情を思った。そして東京へ戻り、文部科学省のデモへの対応や国会での「言った、言わない」政局を見ながら、本当に日本は悲しい国になってしまった、と思わずにはいられなかった。

それでも、この国を、福島を、そこに生きる人々を思う純粋な気持ちはなくならない。やはり、自分たちのことは自分たちで守る。自分たちが動くしかない。当たり前のことなのだ。

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