6月8~10日は西スラウェシ州の州都マムジュに出張した。西スラウェシ州は2004年に南スラウェシ州から分立してできた新しい州で、この細長い州の真ん中よりやや南の海岸に州都マムジュがある。
かつて1999年6月と2001年1月にマムジュを訪れたことがある。そのときは、マムジュは南スラウェシ州マムジュ県の県都であった(今も西スラウェシ州マムジュ県の県都であるが)。小さな町という印象だけで、取り立てて特徴を感じない町だった。今回は、このマムジュへ、マカッサルから飛行機で入った。マカッサルから車で約12時間、飛行機だと1時間である。
飛行機はプロペラ機で80人程度乗れる。現在、ムルパティが日・月・火・金、AviaStarが月・水に運航している。
マムジュの空港は小さく、到着客と出発客とが同じ一つの建物である。飛行機が着いて、到着客の荷物を地面に降ろした後、出発客の荷物を飛行機に乗せてから、到着客の荷物を荷車に載せて、人力でゆっくりと押してくる。荷車が到着すると、後は到着客が勝手に自分の荷物を持ち出す、という形である。
空港から出て、マムジュの町までの交通手段。おおーっ、タクシーがあるではないか。迷わずタクシーに乗ると、メーター付の新しい車。聞くと、3ヵ月前にメータータクシーが営業を開始したが今走っているのは4台。タクシーに乗って正解だった。だって、空港からマムジュの町までは27キロ、約45分もかかるのである。空港から町までは10万ルピアでメーターは使わない。メーターは街中では使う。もしタクシーがなかったら、と思うとぞっとする。マムジュへ行く場合には、あらかじめ、以下のタクシー会社に電話連絡して、迎えに来てもらったほうがよいだろう。
TASHA TAXI: Tel. +62-426-21508
この会社、レンタカーもやっていて、キジャンで1日35万ルピア+運転手賃金10万ルピア+ガソリン代、とのことである。
町までの道だが、あちこちで工事中なものの、それほどひどくはない。舗装もそれなり。タクシーの運転手によると、先日、ユドヨノ大統領が訪問するのに合わせて、突貫で空港から町までの道の舗装を修繕したのだそうだ。そういえば、空港にこんな看板が大々的に掲げられていた。
タクシーで着いたホテルは、Mamuju Beach Hotel。ビーチというにはほど遠いコンクリート護岸の海沿いのホテルで、ちょうど闘争民主党支部の幹部会議をやっていた。Superiorの部屋に泊まり、1泊35万ルピア。1ランク下のStandardの部屋は1泊30万ルピアだが、トイレは座るのではなくしゃがむ形式。Superiorの部屋のトイレも、水が流れず、バケツに汲んだ水を柄杓ですくって流すしかなかった。シャワーも使い物にならず、バケツの水で水浴した。でも、夕飯に食べたNasi Gorengはなかなかおいしかった。
翌日に泊まったSrikandi Hotelは、Deluxeで41.2万ルピア。部屋はMauju Beach Hotelよりずっとよい。でも、隣のホテル内のレストランへ行くのに屋根がなく、雨に濡れてしまった。食事はMamuju Beachのほうがよかった。
総じて、マムジュはホテル数が不足しており、満室状態が多い様子。そのせいか、設備の割に、ホテルの料金はかなり割高である。州知事庁舎の裏側の海沿いに、3つ星のQuality Hotel系列のホテルを建設し始めていた(下写真)。
3 件のコメント:
小生も2001年6月に車で行ったことがあります。港町のホテルは総じて汚くて馬鹿高いですね。最近は星の数で格付け(インドネシア独自のもの)している筈と思ったのですが、あまり進んでいないようですね。あのときは、マリノの高原野菜が大量にフェリーでカリマンタンへ輸送されていたのが印象的でした。戦時中日本の農業技術者がマリノで野菜栽培をやっていて、それが、こんな形で活きているのかなーと。日本人の足跡が偲ばれます。
マリノの高原野菜は、西ジャワ出身のIlyasさんという方が中心になって、10数年前から栽培を拡大させた、と聞いています。その前に日本の農業技術者が入っていたとすれば、なかなか興味深いです。http://daengkm.seesaa.net/article/30135189.htmlをご参照ください。
永江さんの「南スラウェシ滞在記」にも”一緒に来た4人は、既に発足していた高原「マリノ」野菜農場に行き、、、”との記述があります。千葉の農学校出身の方達のようです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makassar/mks/omoide2.html#6
しかし、残念ながら、まだ詳しく農場について書かれた資料にはお目に掛かっていません。改めて永江さんにお伺いしてみたいと思います。
コメントを投稿