6月8日、昼から降り続く雨が小降りになったのを見届けて、マムジュの街中を散歩した。しかし、歩き出した途端に、激しい雨に。結局、傘はほとんど用をなさず、1時間半散歩した後、ずぶ濡れでホテルへ戻った。
海沿いのマムジュ県議会議事堂の脇にある、広大な敷地に建てられたマンダール族の大きな伝統家屋。おそらく支配者が住むような家屋であろう。南スラウェシ州ゴア県スングミナサにあるバラ・ロンポアを思い浮かべてしまう。何のためにこんな建物を建てたのだろう。催し物などに貸し出されるとのこと。
2004年に西スラウェシ州が成立し、州都となったマムジュ。市内のあちこちに新築の政府オフィスが見られる。西スラウェシ州知事庁舎は、現在、以前のマムジュ県知事庁舎を使っているが、近いうちに、丘の上に新庁舎を建設するとのこと。山を削って、丘のてっぺんに建てたゴロンタロ州の州知事庁舎を想像する。
街中の大モスクも大規模な改修工事中。州都に見合うような大きなモスクを建設、ということなのだろうか。ちなみに、数年前、マムジュで「州都なのだからショッピング・モールを作るべきだ」という議論があった。
街中を水路が流れている。でも・・・。
やはり、捨てられていた。
マムジュには、スーパーやミニマーケットのような小売店がほとんどなく、食料品や日用品はパサール(市場)で購入されているようだ。ややモダンな住宅兼店舗(ルコ)のパサールの建物が建っている。人々はここへ買い物に来るのだ。
モダンな建物の裏側が人々でにぎわっている。食料品を扱う昔ながらのパサールがあった。それにしても、このトウモロコシの皮の山。インドネシア各地のどこのパサールでもよく見る光景なのだが。
翌日(6月9日)、同じ場所をベチャ(輪タク)で通った。マムジュの街中には、ミニバスのような公共交通手段がない。移動はベチャかオジェック(バイクタクシー)である。前回のブログに書いたとおり、メータータクシーもあるがたった4台。4台も飛行機が着く時間には客待ちのために空港へ行ってしまう。大きな荷物を抱えて途方にくれている人を街中で見た。
このベチャだが、マカッサルからかなり入っている様子。というのは、マカッサルで昔一般的だった小型のベチャを見かけるからだ。ベチャ曳きも、マカッサルから1年前に来た、という人に数人出会った。マカッサルのベチャは、この2年ぐらいで大型化し、楽に2人で乗れる大きさになったが、それはジャワから送られてきたベチャと聞いた。ジャワで使われていたベチャがマカッサルに送られ、マカッサルで使われていたお古が、新州成立でチャンスと見た一部のベチャ曳きとともにマムジュに現れた、ということか。マムジュの町は比較的平坦で、ベチャ曳きには都合がいいように見えた。
マムジュに植民地時代風の昔からの建物を発見、と思ったら、これは比較的新しい建物とのこと。昔あったものを壊して、それ風に立て直されたらしい。今は政府婦人会(PKK)が使っている。植民地時代の行政の中心は、マムジュではなくマジェネで、マジェネにはそうした建物が残っている、という(今度確認してみたい)。
海上レストランからみたマムジュの港周辺の様子。のんびりとした田舎の海の町の雰囲気がある。
歩き回った感じでは、特徴に乏しい町という印象であった。古いものがあまりない、しかしモダンなものもない。マンダール族の何かを体現するような建物や風景や食べ物の存在をほとんど感じられなかった。この町は、どこを向いて発展していこうとしているのか。本当に、特徴がないのか。これから何度か訪問するなかで、少しずつ探ってみることにしたい。
1 件のコメント:
マムジュの最新情報有り難うございます。古い話で恐縮ですが、昔、地方都市に出掛けると、どこも町の中心は広大な敷地の役所群、公的機関とその従業員のためのサッカー場やテニスコートばかりだった印象があります。人口の少ない地方の行政機能なら日本だったら一つの建物に収まるのではと思ってしまいます。たまたま所長が出張中で職員は朝からトランプで遊んでいました。用件を話しても上司が居ないことを理由に対応してもらえませんでした。当然、午後には事務所は空っぽになります。最近は少しは変わってきたでしょうか。戦前マカッサルにマムジュ通りがあったようですが、あそこはカリマンタンへの渡り口でブギスの方が多く住んでいたように思います。そんな関係でマムジュ通りが出来たのでしょうか。つい懐かしくなって書きすぎてしまいました。
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