2008年7月10日木曜日

新しいモデルを作れないだろうか

タイ、ベトナムといった国々の台頭の陰で何となく存在感が薄くなってしまった感のあるインドネシア。それでも、アジアをめぐる国家間競争に追いついていきたいと思っているジャカルタとは対照的に、「お山の大将のほうが楽だもんね」という感じのスラウェシ。ふと、思う。スラウェシは、そうした世界を覆う大きな流れにがんばって乗らなくてもいいのではないか、と。

本流のなかに入っている者たちは、そのなかで激しい競争に打ち勝つことのみが生きる証となってしまうのではないか。本流から一歩はずれて、本流の流れを外から眺めたときに、本流のなかで絶対と思っていた価値観が、実は様々な価値観のひとつに過ぎないのではないか、という気持ちがふっと出てくる。

気にしなければいいのである。スラウェシはスラウェシ。いい意味での開き直り。そして、じっくりと自らを見つめること。「開発が遅れたインドネシア東部地域」とよく言われるが、それは既存の右ならえではない、何かをまだ作り出せる可能性を持つ、ということではないか。本流のなかに入っている者たちが見落としたものをまだ見る力があるということではないか。

昨今の日本の状況を観るに、はたして日本のようになることが目標になりうるのだろうか、と思ってしまう。金銭的に豊かではなくとも、毎日の食糧を自らの周りで調達し、家族に囲まれて暮らしている人々をみると、彼らに失ってほしくない大切なものがまだ息づいているのがわかる。そして、様々なモノやカネとの関わりが、結果的にそうした人々の価値観や行動に悪影響を与えてきていることも。

南スラウェシ州政府が、州内のすべての村に公民館のような集会所を設置することを決めた。行政村を本来のコミュニティへ変えていきたいのだという。場所を作るだけでコミュニティへ変わるほど、状況は簡単ではないが、その気持ちは大切にしたいと思う。

そんなことを思いながら、ふと、ここで、何か新しいモデルを作れないだろうか、と思い始めた。目指すのは日本でもシンガポールでもジャカルタでもない。スラウェシのオリジナルなモデルである。でも、まだイメージがわかない。ともかく、そんななかば空想的なことを意識しながら、この土地でここの人々と一緒に何かを作り始めて行けたら、と思ったりしている。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

昨日NHKのテレビで、中国臨海部に進出した日本の工場が、今、中国内陸部やインドシア諸国へ移転するか決断を迫られていることが報道されていた。低賃金の労働力を求めて新天地を目指すが、そう甘くない。ベトナムでも労働争議やら安住できない。そうなると行くところが無い??スラウェシに労働集約的な工場を立地しても、多分うまく行かないと思う。
 世界的な食料の危機・価格高騰の時代を迎えて、スラウェシは食料(農業、漁業)の基地としてのポテンシャルは高い。米作、野菜、果物をどんどん増産して世界へ供給してはどうか。そのための農業の近代化が鍵になるのではないかと思う。儲からない農業から儲かる農業へ。輸送体制を含めて戦略を練っては如何でしょうか。

匿名 さんのコメント...

昨日の投稿文の中で、「中国内陸部やインドシア諸国へ移転するか、、、、」のインドシアはインドシナの間違いです。すみませんでした。

匿名 さんのコメント...

(最近拝読しています 初コメント)
(さっきうまくいかなかったようなので再アップ)

あたりまえのことですが、現地の方たちがどうしたいと思っておられるかが気になりますね。

匿名 さんのコメント...

スラウェシモデル、いいですね。ぜひ。
たとえばトラジャで行政村はどういう役割を果たすのか、どういう意味をもつのか、トンコナンを中心としたカースト制度がらみのまとまりは今どういう役割をしているのか、その辺の文化をもう少し学んでみたい……。
トラジャでは若者が集う小さい東屋が、バス停の待合所みたいにあちこちにあったのが面白く思いました。