2008年9月28日日曜日

1年前に訪れた田園風景は・・・

今週1週間は、イスラムの断食明け大祭前後ですっかりお休みモード。航空チケットを買うのに出遅れてしまった私は、自宅でゆっくりとこの休みを過ごすことにした。でも、家にずっといると体が鈍ってくるので、昨日は街中を2時間ぐらいぶらぶら歩き、今日は、昨年7月28日に自転車で散歩した辺りをもう一度自転車で散歩してみた。ふと、マカッサルの郊外に残されたのどかな田園風景をもう一度見てみたい、と思ったからだ。

昨年の散歩の様子は、前のブログに書いたので、それを参照してほしい。

前に行ったときは、たしか橋のところから入るはずだったが、それらしい橋の風景がわからず、前回の逆コースでまわることにする。前回の出口となった橋はすぐに見つかり、そこから逆に入っていったのだが・・・。

(2008年9月28日)

何となく、様子が違うのだ。道がやけに広くなっている。道の脇には苗木らしきものが植えられている(Makassar Go Greenというキャンペーンに沿ったものなのか?)。道端の水田がほとんどなくなっていた。そして、道の周りにはゴミが打ち捨てられ、様々な廃品回収物の山があった。

「土地売ります」の小さな看板を見かけた。他になかったところをみると、土地はあらかたすでに売られてしまったようだ。

(2008年9月28日)

ちなみに、同じ付近の前回の写真は以下のようだった。

(2007年7月28日)


同じく、上が今日の状況で、下が前回である。

(2008年9月28日)


(2007年7月28日)


(2008年9月28日)

(2007年7月28日)


わずか1年余の間に、風景が全く変わってしまっていた。この道路の手前には、新しく建売住宅が何軒も建設中であった。


これもマカッサルの都市化の光景の一つなのだ。日本でも、どこの国でも、経済が発展していく過程で、こうした光景をたくさん生み出しつつ、何かを得ると同時に別の何かを失いながら、「豊かな生活」の実現を目指してきたのだろう。ここに住んで、お米を作っていた人々は、どこへ行ってしまったのだろうか。そして、行った先で、幸せな暮らしを送っているのだろうか。余計なことかもしれないが、送っていてほしいと思わずにはいられない。

先週、職場で開発戦略に関する議論を行った際、地域性に基づくアイデンティティを重視した戦略がこれから必要ではないかというような話をした。そのとき、職場の友人から「市場原理に基づき、儲かるか儲からないかで動く住民にそんなことを言っても無駄だ。政府もそうした住民の意向に沿って政策をしなければならない」と反論された。

自分を自分たらしめている大事なものを惜しげもなく捨て続けているメインストリームを見ていると、地域再生の新たな希望は、もはや一見発展から取り残されたかのような、辺境の山村にしかないのかもしれない、と思ってしまう。田園風景を一変させた大きな強い流れと向かい合いながら、どのように自分を見失わない地域開発を目指していけるのか。毎日のように、希望と絶望の間を行ったり来たりしながら、スラウェシの日々の変化を見つめている。

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