2012年5月13日日曜日

心はまだ揺れ続ける

遠く離れたインドネシアにいても、故郷・福島のことを思わない日は1日たりともありません。いや、遠く離れれば離れるほど、福島のことを思う気持ちが強くなってくる、といったほうが正しいのかもしれません。

実際、今年の正月、福島の実家に帰省した際、高校時代のサークルの先輩・同輩たちと久方ぶりに会っての新年会がありました。サークルの恩師も来られて、出てくる話は高校時代の恥ずかしい話ばかり。大いに飲み、大いに笑い、楽しいひとときを過ごしたのですが・・・。

先輩・同輩の中には、震災のときに直接被害にあったり、生死の境にあったり、壮絶な経験をされた方が数多くいました。復旧・復興の前面に立って激務の毎日の県庁管理職や子供のケアに奔走する教員がいました。一人ひとことの段になると、「去年がひどかったから今年は絶対にいい年になる、いやいい年にする」と口々に決意が述べられました。

私も福島に留まって一緒に汗を流すべきではないか。「ここで一緒にやっぺ」という言葉を待っていた自分にかけられたのは、「大丈夫。俺たちが必ず復興させるから」という言葉でした。お前にはお前を必要としている場所があるはず、とも言われました。高校を卒業してからすでに30年以上が過ぎ、福島にまだ生えていると思った根っこは、物理的には消えてしまっていたのか、と思いました。それは、「福島にお前なんか必要ない」というのではなく、「福島に必要かもしれないけど、もっと必要としている場所があるだろ」という、福島人によく見られる「遠慮」だったのかもしれません。

ジャカルタに来てからも、今もまだ、福島への自分の心がまだ揺れ続けています。

つい最近、知人の方が福島の現状を世界へ向けて発信する仕事に就かれた、という話を聞きました。私もその仕事の公募があったことは知っていて、応募しようかどうか迷った末に、ちょうど前の仕事の関係で時期が合わない、ということで、応募しなかった仕事でした。知人の話では、その方以前に採用された方がいたが結局は辞退、ということが何度か繰り返されたのだとか。最終的に誰もやる人がいなくなって、結局、公募を呼びかける側にいた知人が自分で行かざるを得なくなった、という顛末になったそうです。

もし、そんな状況を知っていれば、前の仕事が終わった後、私が手を挙げてもよかったのに・・・と。

さらに、別の私の知人が東京での大学教員を辞めて、福島の現場でコミュニティ再生のために働き始めました。福島生まれでない彼の勇気が私にはない・・・。福島は自分の故郷なのに・・・。 本当は、自分が行くべきだったのではないか。

でも、これらの仕事をすると決断したとしたら、果たして東京の家族は諸手を挙げて賛成しただろうか。とくに、生計を立てていくということで、その仕事で家族を養っていけるのかどうか、冷静に考える必要があるのは当然のことでしょう。インドネシア流にいえば、全能の神が最適な形に導いてくれた、と考えなければ、何とも仕方ないような気もします。

でも、もし自分に家族がいなかったなら・・・。考えていくとキリがありません。いや、考えても仕方ないことなのかもしれません。

心はまだ揺れ続けています。でも、少なくとも次のことだけは心に留めなければなりません。

すなわち、故郷・福島のことを常に思い続けること。

福島の復活・再生・新生へ向けて活躍されている方々のことを思い続けること。

たとえ世の中が福島を忘れそうになっても常に福島のことを自分なりに発信し続けること。

インドネシアなどでの自分の活動がどこかでいつか福島の復活・再生・新生とつながっていくと信じて毎日を過ごしていくこと。

福島で生まれ、育ったことを誇りとし、正々堂々と生きていくこと。

あーあ、妻子に「力入れ過ぎだよ」なんて軽くいなされそうな。

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