8月3日と4日の2日連続で、異なる結婚式に出席した。
3日は、我が家に集うイニンナワ・コミュニティのメンバー同士の結婚式。形式的なことが嫌いな2人ではあったが、親や親族との折り合いをつけるため、第45大学のモスクで結婚式を挙げた。実際、新郎は民族衣装ではなく、礼服にネクタイ。新婦も民族衣装ではなく、モダンな白いドレスであった。
新婦とその家族がモスクで花婿が来るのを待つ。花婿は、たくさんの貢物をもって、花嫁を迎えにくる、という形である。
モスクでは、結婚式が執り行われるが、ちょっとしたハプニングが・・・。コーランの詠唱をしてくれる人を用意していなかったのである。「誰かいないか」と探して、ようやく、ジーンズをはいた彼らの仲間の一人が即席でコーランの詠唱をし、式は始まった。証人が見守るなか、宗教省事務所の官吏との間で新郎が誓いの言葉を述べていく。
一通り儀式が終わると、新郎ははじめて新婦のもとへ行き、新婦とともに新婦の両親にも誓いの言葉を述べながら挨拶をする。
この後は、第45大学の講堂を借りて、披露宴。イニンナワ・コミュニティの仲間たちがポップスなどの音楽を奏でるなか、ゆったりとした雰囲気で宴はすすんだ。二人の愛の証がじっくりと交わされる、そんなすがすがしい結婚式であった。
続いて、4日は、私の運転手の妻のいとこの結婚式。新郎も新婦もお互いに親せき同士の間柄であった。運転手の家に連れていかれて、新郎が新婦のもとへ向かう準備を待つ。なかなか出発する気配がなかったが、しばらくして、TVRIのカメラマンとともに、衣装が届き、新郎を含む男子が着替え始める。カメラマンの指揮で隊列が組まれ、写真が撮られた後、車で新婦のもとへ向かう。時間が遅れたのは、結局、カメラマンが来るのを待っていたため、とわかった。
結局、私の車に新郎が乗ることになり、たまたま新婦の父親が警察官ということもあって、2台の白バイに先導されながら、楽隊を乗せたトラック(下写真)を従えて、新婦の家へ向かう。
着いた新婦の家は、細い路地を入った奥にあった。カメラマンの指揮の下、路地の前から、貢物をもった新郎の一行が歩き始める。
路地の奥は、人であふれて、熱気がムンムンとしていた。
新婦の家は人、人、人でいっぱいで、狭い階段を2階へ上がって、結婚式を見物することにした。基本的には、3日と同じく、証人の立会いのもと、新郎が誓いの言葉を述べ、誓約書にサインした後、新婦の待つ寝室へ向かう。
こちらは、新郎も新婦も民族衣装。結婚式の行われた2階は、人でいっぱいで、床が落ちるのではないかと心配になるぐらいだった。そして、とにかく暑い。運転手が気を利かせて、扇風機をずっと当ててくれていた。
3日も4日も、新郎や新婦が親にあいさつをするときに、双方が目に涙を浮かべていた。最も感動する瞬間なのだろう。趣の異なる2つの結婚式だったが、いずれも、感動を忘れず、幸せな家庭を築いていってほしいと思った。
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