2009年11月19日木曜日

マジェネで食べたマンダール料理


11月初めに西スラウェシ州マジェネに出張した際、友人の旦那の実家で、マンダール料理の昼食をご馳走になった。ここはもともと米が主食ではなく、キャッサバやバナナやサゴ椰子が主食となっていた。


上の写真は、キャッサバを平たく伸ばして焼いたもの。Jeppaと呼ばれていた。これと同じような形で、サゴ椰子によるものを、以前、北スラウェシ州のサンギヘ島で食べたことがある。大ぶりのイドゥーリ(南インドの米粉をのばしたもの)にも何となく似ている。食感も同じような感じだった。


これは、ロカ・アンジョロエ(Loka Anjoroe)。Lokaはバナナ、Anjoroeはココナッツのことで、バナナをココナツと一緒にして揚げたもの。お菓子ではなく、おかずである。このバナナは甘くなく、芋のような食感である。昔々、マルク州のセラム島で食べたバナナは、まさに芋であり、一番奥に黒い大きな種が入っていた。



マジェネは港町。新鮮な魚がやはり食卓をにぎわす。この日の前夜、港近くの倉庫で、地元のマグロ業者が確保しておいたキハダ・マグロをその場で刺身にしてひたすら食べる夕食を味わった。新鮮なので、キハダでも十分においしく、本当に久々にマグロを食べたという満足感があった。


これは、ラワール(Rawar)というサンバルのようなもの。南スラウェシ州ワジョ地方には、魚とココナッツを和えたラワというのがあるが、それと似たような感じであった。

それにしても、こうした料理は、普通のレストランでは味わえず、誰かの家の家庭料理なのである。レストランでは、毎度おなじみ、焼き魚か鳥の空揚げ、である。普通の観光客にはなかなか見えない、地元の食の世界には、深遠なおいしい「宇宙」が広がっている。

2009年11月8日日曜日

トビウオ、「サンセット・ロード」:西スラウェシ州マジェネ

11月4~6日は、西スラウェシ州へ出張した。マカッサルから西スラウェシ州の州都マムジュまで飛行機で1時間ほど飛び、マムジュから車で約3時間半かけて南下してマジェネへ向かう。2003年までは、マムジュもマジェネも南スラウェシ州で、マカッサルから陸路で10時間以上かけて出かけるのが普通で、筆者自身はまだその感覚を保ったままだ。しかし、2004年の西スラウェシ州設立が、今回のような旅程を何も不思議と感じさせないような、感覚の変化を起こさせていくのかもしれない、と思った。人工的な境界変化が空間の意味づけを(わずかの間に)変えていく、というのかもしれない。

マカッサルからマムジュまでは、サバン・メラウケ航空チャーター(SMAC)の小型プロペラ機で移動した。久々に乗ったインドネシア国産機NC-212(スペインと技術提携)である。


マムジュで政府機関などに立ち寄ってから、マジェネへ向けて出発。ほどなくマムジュ県からマジェネ県に入り、マルンダという町で昼食の後、海岸沿いをひたすら南下する。マルンダまでの沿道は閑散としていたが、マルンダを過ぎてしばらく行ったあたりから、様相は変わった。明らかに人家の数が増え、すぐ後ろの山々は人の手が入って森林が少ない景観となった。

センダナ郡モッソ・ドゥア村に入ると、沿道に小屋掛けの家々が並び、そこからもうもうと煙が上がっている。トビウオの燻製を作っているのである。


トビウオの干物もあった。


しかし、トビウオの玉子「飛子」が見当たらない。以前、聞いた情報では、飛子を使った料理があるという話だったのだが。

これらトビウオの燻製作りは、2年前に西スラウェシ州政府が、この地域をトビウオを使って村おこしし、食べ歩き観光の場所として売り出そうと指導したのを契機としている。実際、州政府の指導で、トビウオの干物はパッケージされて商品化されている。


燻製は、ドライブ中の車をターゲットにしているようである。実際に燻製を食べてみたが、くせのない素朴なおいしさであった。

トビウオ燻製屋の後ろは海で、浜には、動力機なしの帆船としては世界最高速を誇るサンデックが係留されていた。


マムジュからマジェネへ向かうスラウェシ西海岸の道を走りながら、ふと思った。山が海岸近くまで迫っているところがほとんどのスラウェシ島で、こんなに1時間以上も海岸沿いを走れる道は他にほとんどない。しかも西海岸。そうだ。この道を「マジェネ・サンセット・ロード」と名付けてはどうか? 1時間近くも車窓から夕日が楽しめ、しかも海上に何も夕日を遮るものがないのだ。

実際、11月6日にマジェネからマムジュへ戻るとき、ちょうど夕方この道を通った。予想通り、車窓から見た海上の夕日はなかなかの美しさであった。それがアングルを変えながら、時にはヤシの木をシルエットにして映えながら、1時間以上も眺められるのである。

マジェネ・サンセット・ロード。いよいよ「スラウェシの美しい道百選」を始めてみようか、と思わせる素敵な道である(ただし、道路コンディションのことではない・・・)。

2009年11月7日土曜日

ゴロンタロの「デズニー」温泉



ゴロンタロ市内からゴロンタロ空港へ向かう途中に、温泉があるのをご存じだろうか。これは、ゴロンタロ県政府が運営するペンタディオ・リゾート(Pentadio Resor)という施設である。

温泉は、ディズニーのキャラクターをかたどった小さな建物の中にある。「ミッキーマウス」も「ミニーちゃん」もある。なかの湯舟はきれいでけっこう広く、家族みんなで温泉浴、という使い方を想定しているようだ。


しかし、これだけの湯舟にお湯をためるにしては、蛇口からの水量は全然足りない。30分蛇口を開けっ放しにしても、20センチぐらいしか貯まらない。ここで「いい湯だな!」をするためには、あらかじめ、2~3時間前までに電話で予約し、お湯を貯めておいてもらった方がよさそうだ。

筆者自身は、けっして太鼓判を押しはしないが、興味のある方は、以下へコンタクトされてはいかがだろうか。ともかく、思い出になることは間違いないと思う。

ゴロンタロ県観光局(Dinas Pariwisata Kabupaten Gorontalo)
Tel: +62-435-881213(英語での受け答えが可能)

ゴロンタロ・無人のワルンにて

11月1日、マカッサルからゴロンタロに到着し、そのまま車で同州西端のポフワト県へ移動した。ゴロンタロ空港からポフワト県の県都マリサまでは約3時間半かかる。途中、気の利いたお休み処はなく、結局、何か飲み物の飲めそうな小屋掛けのワルンを見つけて、車を停めた。

このワルンには誰もいなかった。柱に掛けられたラジオから番組が流れているのみ。どうやら、小屋の主は下の畑に出かけている様子。真昼間のこんな時間にお客など普通は来ないのだろう。われわれは、彼らからすると非常識な時間に来てしまった、ということなのか。

大したものはなさそうだったが、ぶら下がっている小口分けしたシャンプーの左隣に、小さいポリ袋に入って小口分けされた奇妙なものを見つけた。これは何だ?


きっとこれは、岩塩とか料理に使うものではないか、と思って、同行したゴロンタロの友人に尋ねた。すると、彼女はポリ袋に鼻を当ててクンクン嗅ぎ出した。そして彼女いわく、これは儀式で呪い師が使う道具である、とのこと。写真左からアラマ・モヌ(火をつけて香りを出す石)、タワス(重曹)、アラマ・トゥル(火をつけて煙を出す石)3種類、である。

そして、「この煙が向かった方角に向かえば、いなくなった牛を見つけることができる」などと呪い師が言うのである。こうした「道具」は、呪い師が持ってくるのではなく、人々があらかじめ常備しておき、呪い師を呼んだときに、すぐに儀式を始められるようにしているようだ。

いなくなった牛の居場所だけでなく、様々な祈りの儀式や先祖を弔う場合などにも、これらの道具を使う。お祝いのときには、シナモンや砂糖も合わせて、香りを高めるようである。

それにしても、呪いの小道具が小口に分けられ、シャンプーと同じように「売られている」というのも、なかなか興味深い。すなわち、伝統的な、おそらくイスラーム流入以前から続いているであろう、ゴロンタロの人々にとっての基層文化もまた、商業化の波を避けることはできない、というべきではないか。

ほかにも、たとえば、マラリアの薬を見つけた。この辺は、決して、マラリア汚染地域ではないと思うのだが。


棚の上には、散髪用のハサミが。床屋もやるのだろうか。


そして、小屋の端っこには太い木の板が置かれていた。枕だろう。


普段なら、確実に見過ごすであろう、一見何の変哲もない無人のワルンで、いろいろなものを見つけて興奮してしまった。そして、我々が出発するまでに、ワルンの主は現れず、柱に掛けられたラジオだけがけだるい音楽を流していた。

2009年10月18日日曜日

計画停電中の過ごし方

毎日必ずやってくる計画停電。2時間が最低2回、1回は必ず夜に来る。この時間に家にいたら、どう過ごしたらよいか。夜遅めだったら、思い切って寝てしまうのもいいだろう。

最近「はまった」のは、携帯音楽プレーヤーに入ったクラシック音楽、とくに交響曲のような長い作品を聴くこと。真っ暗で静かな空間は、クラシック音楽をじっくり聴くには最高である。あるいは、ダウンロードしておいたPodcastの英語ニュースを聴くこともある。周りに飛んでくる蚊さえいなければ、もっといいのだが。それで、停電前に必ず蚊よけクリームを手足に塗って、準備万端整えるのである。

そんな時間を過ごしているから、このところ、いろんなことを考えられるのかもしれない。停電の「効用」、なのかも。

やっぱり、マカッサルの夕陽

これからの自分の生き方について、改めていろいろと考えてしまっている今日この頃。もちろん、毎日は充実していて、とても楽しいのだが、それでも「このままでいいのか」と問いかけるもう一人の自分がいる。今までの発想や常識を超えて、何か新しいことができるのではないか、それにチャレンジしてみてはどうか、と、そそのかす自分。いろいろぶっ飛んだようなことを考えるのは愉快だろうけど、現実はどうなのよ、と、シニカルに反応する別の自分。うーん、頭がすっきりしないが、根は楽観主義者。何か面白い展開になっていくんじゃないの、というとりあえずのオチに落ち着いて、続きはまた明日、という感じである。


とか何とかいってはいるが、やっぱり、マカッサルの夕陽である。これをじっと見ていると、楽しいことも、悲しいことも、苦しいことも、泣きたくなるようなことも、みんな赤い太陽と空が吸い込んでくれるような気がして、何だか落ち着くのである。



2009年10月11日日曜日

インドで食べたもの

9月のインド旅行では、もちろんいろいろ食べた。今回食べたものを少しだが紹介する。


何といっても最大の収穫は、デリーのコンノート・プレースにあるラージダーニー(Rajdhani)で食べたグジャラーティー・ターリーである。文字通り、インド西部のグジャラート地方の大皿料理(ターリー)なのだが、味が甘くて辛い、のである。もちろん、食べ放題で、乗っている料理が少なくなると給仕が足してくれる。税込みで212.5ルピーだった。ラージダーニーはチェーン店でもある。実は、上の写真は店の入り口にあった蝋細工。お腹がすいて写真を撮る前に食べ始めてしまったのである。


インドで一番有名な南インド料理屋といえば、Saravana Bhavan。全国各地に支店のあるチェーン店だが、今回は、コンノート近くのジャンパット(Janpath)通りの支店で、軽くベジ・ドーサを食べた。うーむ、やはり評判通りうまい。外の皮はパリパリ、中のベジ・カレーは絶妙。これにドーサにいつも付いてくる3種類の薬味をつけて食べると、とても幸せな気分。インドネシアにも支店を出して欲しいものだ。


でも、デザートにクルフィ(壷アイス)を頼んだら、上の写真のアイスが出てきたのにはがっかり。チェーン店だものね。

チェンナイからインドを離れる前に、知人のお勧めの南インド料理を食べるため、GRT Grand Hotelという高級ホテルにあるCopper Pointというレストランへ行った。今回、最初で最後の豪華高級夕食、となった。お目当ては、ケーララ料理のミーン・モイレ(Meen Moile)。白身魚を使ったココナッツミルク仕立てのカレーである。


給仕はしきりに辛い味のケーララのフィッシュカレーを勧めるのだが、あえて、知人の推薦するミーン・モイレにこだわった。そう、これはまったく辛くないのだが、何とも言いようのないコクがあり、上品な味付けで会った。これを、アッパム(Appam)と呼ばれるお米のクレープにかける。手でアッパムをちぎり、適度に染み込んだミーン・モイレと一緒に食べると、絶妙の相性の良さであった。


デザートには、やはりクルフィーを頼み、マサラ・ティーもつける。ここで、デリーの「クルフィー」の雪辱を十二分に果たすことができた。


計画停電の毎日

先週から、毎日、2時間の停電が2回はあるようになった。ロウソクを灯しての夕食もすでに2回、うち1回は日本からのお客さんを招いての夕食だった。

今回の停電は、ワジョ県センカンにあるガス発電所が機械故障で送電できなくなったのと、ピンラン県のバカル水力発電所のダム湖の水位が下がっているためという。いきなり「バチッ」と電気が切れたかと思うと、それから約2時間停電になる。一応、地元新聞には、地域ごとの計画停電の予定表が出されているが、問題は、必ずしもその通りの時間に停電が行われないことである。

インターネット接続も、何もかも、急な停電に備えての対応、になった。

2009年10月4日日曜日

インド、アンドラ・プラデシュの農村風景

インド滞在中に、日本の高山に本部のある国際協力NGOのソムニードが活動している農村を訪問する機会に恵まれた。ソムニードの活動については、以下を参照されたい。

 ソムニードだより

ソムニードは、アンドラ・プラデシュ州のビシャカパトナムという人口100万人以上の都市に活動拠点を置き、コミュニティ住民自身のイニシアティブによる様々な活動をうながす、本当の意味での「ファシリテーション」に、しっかりと、ときには厳しく、地に足をつけて取り組んできた。是非、上記ページの左側にある「水・森・土・人 よもやま通信」を読んで欲しい。オジチャンやオバチャンの話がとにかく面白い。

ビシャカパトナムのソムニードを訪ねたのは今回が2回目。前回の様子は以下を見てほしい。

 ビシャカパトナムにて

そして、この団体は、オリッサ州との州境に近いパタパトナムという町の郊外に研修センターを持っている。1泊したが、とても快適だった。

ソムニードの活動場所の一つのある村を訪問した。村の入り口には、祠がある。


そして、その祠の中には、神様の絵が。写真ではちょっと見づらいかもしれない)



ここからさらに、細い道を進んで、村へ向かう。途中で小川も渡った。


着いた村では、住居の前に牛舎が並び、牛が道の上にのどかな感じで座っていた(インドの牛は、インドネシアの牛に比べてだいぶ痩せている様子)。インドでは、集落の中心部の道路を舗装する政策が採られたそうで、ここでも、細い山道を進んで到着したら、わずか50メートルぐらいの集落中心部のみが舗装されていた。


さらに山すそをちょっと上ると、灌漑用水を溜めるための小さなチェック・ダムがあった。この地方は今年、雨期に雨があまり降らなかったそうで、水もほとんど溜められていなかった。下の写真は、チェック・ダムからの水路周辺。周りにはカシューナッツが植えられていた。


それでも、取水できるところでは、水路に水が流れ、稲が青々と育っていた。


ダムというよりはため池を作り、そこに水を溜めて灌漑する、というシステムが多いようで、ビシャカパトナムからここへ来る間にも、延々と続く大きなため池の堰堤を見ることができた。

アンドラ・プラデシュの農村では、トラクターが大活躍である。後ろに様々な台車をつけて、ある時はトラックに、ある時はバスに早変わりする。それにしても、下の写真の積載術は見事、というほかない。


2009年10月3日土曜日

24年前のあの頃

私にとって大事なマレーシア在住のお客さんがご夫婦で数日間マカッサルに滞在し、昨晩KLへお戻りになられた。短い滞在で、マカッサルでの食べ歩きを十分にしてもらうことができなかったのが心残りだった。

思えば24年前、初めてのインドネシア出張で、まだインドネシア語もろくに話せず、右も左もインドネシアのことが分からなかった(今もよく分からないのだが・・・)私を連れてインドネシアのイロハのイから教えてくださったのがこの方であった。私にとって、初めてのインドネシア出張だったので、今でも記憶がはっきりと蘇ってくる。

ジャカルタからバンドゥンへ車で向かう途中、大雨に逢い、ワイパーが壊れて前が全く見えなくなり、運転手が手でゴンゴンと叩いてワイパーを取り付けているのを心配そうに見つめていたこと。

夜、プカロンガンの街を一緒にベチャに乗ってぐるぐる走り回ったこと。小さいなあと思ったプカロンガンの街を10年後に訪れたら、大都会のようになっていて、びっくりした。

当時はビリヤードが流行っていて、スラバヤでもマランでも、泊まったホテルでビリヤードのやり方を教えてくださった。

そして何よりも、インドネシアと付き合っていく際に、肩の力を抜いて生身で普段どおりにつきあうことを、その態度から教えてくださった。

あれから24年。自分ではどれほどそれを本当に理解できて、実行できるようになったのか、正直言って、まだ確信が持てないのだが、今回の訪問でも、以前と変わらず、ニコニコしながら温かく接していただいた。

彼のほかにも、様々な多数の先輩たちの指導を受けて、今の自分がここにいる。とてもありがたいことである。翻って、自分は自分の「後輩」たちにどれほどのことをしてきたのだろうか、という思いもある。

常に「初心」に帰れる状態に自分を保っていく。実際には難しいだろうが、そう努め続ける毎日を過ごしていきたいと願っている。

2009年10月2日金曜日

クンダリ→ワカトビの航空便が増便、1日2便に

東南スラウェシ州の州都クンダリから珊瑚礁で有名なワカトビ(ワンギワンギ)へのアクセスがさらに便利になった。現在、Susi Airが1日2便運航している。運航時刻は以下の通り。

 クンダリ→ワンギワンギ
 08:50→09:40 (毎日)、14:10→15:00 (月・水・土)、15:30→16:20 (日・火・木・金)

 ワンギワンギ→クンダリ
 09:50→10:40 (毎日)、16:30→17:20 (毎日)

ほかにも、ブトン島のバウバウへの便もある。

 クンダリ→バウバウ 07:00→07:40 (毎日)
 バウバウ→クンダリ 07:50→08:30 (毎日)

 ワンギワンギ→バウバウ 15:10→15:40 (月・水・土)
 バウバウ→ワンギワンギ 15:50→16:20 (月・水・土)

すでに、バリ島の日本語フリーマガジン『アピ・マガジン』にワカトビ情報を執筆したが、そこでのアクセス情報が古くなってしまった。上記が最新情報で、以後も、何かあれば、本ブログで情報を更新していく。

Susi Airの予約・ブッキングなどの情報は、以下へ。

 Email: info@susiair.com
 Mobile: +62-811-2113080, +62-811-2113090

2009年9月27日日曜日

デリーの街中にて

9月16日、デリーの国立博物館に開館1時間前に着いてしまったので、インド門まで歩いてみた。国立博物館から約15分。日陰を探しながら歩いていると、あちこちでシマリスが走り回っていた。


インド門は、さすがに大きい。もうすでにインド人観光客の一団がやってきていた。西側から歩いてきたのでいくら写真をとても逆光になる。そこで、反対側に回って、太陽の光を浴びるインド門を撮った。門の上部には、"To the dead of the Indian armies who fell and were honoured / in France and Flanders, Mesopotamia and Persia, East Africa, Gallipoli and elsewhere / in the near and the Far East and in sacred memory also of those whose names are here / recorded and who fell in India on the North West Frontier and during the third Afghan War" と刻まれている。


インド門の門柱には、これまでに亡くなった、たくさんのインド人兵士の名前が刻まれている。


インド門の反対側には、遠くに大統領官邸を見渡せた。


インド門から国立博物館へ歩いて戻ってくる途中、タクシー運転手たちが芝生の上で休憩中。国産車アンバッサダーがまだ現役なのがなぜかうれしかった。


デリーは、環境配慮の街づくりをしているのだろうか。バスやオートリキシャーはLPガスを使用、下の写真の通り、ポリ袋を使わないように呼びかける公告もいくつか見られた。


2009年9月26日土曜日

デリーでイフタール(断食明けの食事会)

9月14~23日にインドへ出かけてきた。マカッサルでの生活が長くなるにつれて、マカッサルも東京と同様に自分の中で日常化してしまい、無我夢中で発展途上世界に入り込んでいった、かつてのような野生にも似た感覚を失いつつある、という危惧がその動機だった。炎天下のデリーの街を何時間も歩きながら、とにかく生きようとする人間のすごさ、人・人・人の波、何かとんでもないことに出くわしそうな緊張感(幸い何もなかったが)、そして英語が意外に通じない世界、を久々に味わうことができた。

デリーに到着した翌日、第一の目的である国立博物館で古代からインド細密画に至る展示物を堪能していると、友人が迎えに来てくれ、彼女の活動場所であるデリー郊外のイスラム教徒が多く住む地域へ連れて行ってくれた。そこは、インドで有名な女性のエンパワーメント支援を行っているSEWA(Self Employment Women's Association)という団体の活動場所でもあった。そして、そこから別のSEWAが活動している場所へ移動し、SEWAの対象となっている女性たちとともに行うイフタール(断食明けの食事会)に出席、ということになった。

 SEWA

会場(といっても、そこのSEWAの小さなオフィス)に着いたのは午後4時前。マカッサルの感覚で断食明けは6時前後と思っていたら、実際には6時40分頃だった。女性たちが談笑しながらイフタールの準備をしていた。


まだ時間があったので、集落内を友人たちと歩いて回った。住民の多くは、パンジャーブなどから移ってきたイスラム教徒で、住環境はお世辞にも良いとはいえない。川沿いの幹線道路より一段低くなった場所で、たくさんのハエがあちこち飛び回り、集落内の道は舗装されていない。排水溝は詰まっており、飲料水や生活用水をどう確保するかが重大な毎日の課題であった。レンガなどで立てられた家々は比較的新しいものが多い。行政の十分な対応がまだなされていないという印象を持った。

会場で待ちながら、面白いことに気づいた。モスクからアザーンが流れてくると、女性たちは一斉に頭にショールをかぶり、アザーンが終わるとそれを外すのである。「インドネシアとは違うね」と言うと、女性たちから「インドネシアではいつもずっとパックしているよね」と言われた。

イフタールの準備は終了、盛り付けも完了した。


イフタールの30分ぐらい前から、女性たちが続々会場へやってくる。彼女らは、SEWAの支援の下、糸を紡いだり、布地を織ったり、布地に刺しゅうを施したり・・・、といった活動をしている。

断食明けをしばらく待って、いよいよイフタールの開始となった。


飲み物は、インド製のライムソーダ『リムカ』。リムカのペットボトルを持ったSEWAの事務メンバーが女性たちの間を注いで回る。SEWAの事務メンバーはほとんどがヒンドゥー教徒。彼女らは、イフタールの食事を一緒に食べることなく、ムスリム女性へのサービスに徹していた。非ムスリムの私と私の友人は、ありがたくイフタールの食事をいただいたのだが・・・。

イフタールが終了すると、女性たちはすぐに帰宅していく。私は、友人に地下鉄の駅まで送ってもらい、地下鉄を使ってホテルまで戻った。初めてのデリーでの地下鉄乗車だったが、車内はきれい・静かで、しかも数分おきにきっちり走っていた。まるで日本の地下鉄みたい、といっても、ほめすぎではないだろう。料金は距離によって異なるが、このときは12ルピー(約25円)と安い。もっとも、地下鉄に乗る際に、乗客一人ひとりを対象に、けっこう厳しいセキュリティー・チェックが行われた(どの駅でも)。

エアコンの快適な地下鉄に乗りながら、イフタールをともにした女性たちが毎日格闘している厳しい住環境のことを思った。

2009年9月12日土曜日

マカッサルは9月末まで計画停電

本日(9月12日)付の地元紙『FAJAR』の本紙3面に、マカッサル周辺の地域ごと・時間ごとの計画停電の予定が一覧表になって掲載されていた。9月末までほぼ毎日、約2~3時間の停電となるようだ。マカッサル市内では、夜はできるだけ停電しないように配慮している様子だが、マカッサル市外では夜の停電も起こるようである。

原因は、バカル水力発電所のダムの貯水量が減っているためということで、同じ『FAJAR』の別紙面では、昨日の金曜礼拝の際に、国営電力会社スラウェシ地区営業所の幹部らが雨乞いの祈りをささげた、と写真入りで報じられていた。たしかにこの2ヵ月近く、マカッサル市内では雨らしい雨が降っていない。ま、マカッサルで雨が降っても、バカル発電所のダムに流れ込む河川の流域で雨が降らないことには状況は変わらないのだけれども。

今週初めには、マカッサルで久々の大停電が起きたが、数日前の報道では、市内のテロ火力発電所の故障がその原因とされていた。

原因がコロコロ変わるっていうのも、まあよくある話だけれど。でも、今は乾期で、渇水になることは最初からわかっていて対策するはず、と常識的に思うのだが・・・。

折しも、今週は、「世界最大」と吹聴している例の屋内テーマパークがオープンした。まさか、それと停電との間に何か関係があったりして・・・というのは勘ぐりすぎか?

2009年9月8日火曜日

ゴロンタロの「夜店街」


ゴロンタロのいつも泊まっているホテルのある通りから、西側に一歩中に入ったら、そこはたくさんの屋台や露店がひしめく「夜店街」だった。断食期間中、夕方からたくさんの屋台や露店が道を埋め尽くし、食べ物や衣服やおもちゃなど、種々雑多な様々なものが売られる。

朝になると、道には屋台や露店が跡形もなくなくなっていた。断食期間中は、これが毎日繰り返されるのだろう。

前に新聞で読んだのだが、マレーシアの断食期間中はとても静かで、インドネシアのように買い物に殺到するようなこともないそうだ。本当かどうかは知らないが・・・。

それにしても、久々に、かつてインドネシアの夜の雑踏で味わった、あの懐かしい匂いを嗅いだような気がする。静かな町というイメージが強かったゴロンタロの「豹変」を楽しめる空間である。

断食明け大祭の前に、ゴロンタロの町じゅうをランプが彩るトゥンビロトヘが始まるまで、あと1週間。以前、トゥンビロトヘに関する記事を書いたことがある。

ゴロンタロ「灯りの祭典」


2009年9月6日日曜日

トランス・スタジオは9月9日オープン

マカッサル市の南西部、タンジュン・ブンガ地区に建設されてきた屋内型テーマパークの『トランス・スタジオ』が9月9日にオープンする。地元紙では、オープンに先立ち、テーマパーク内部や遊戯施設の紹介記事を連日行っている。

屋内テーマパークの広さとしては東南アジア一ではなく世界一、と自ら豪語するこのテーマパーク、「競争相手は韓国のロッテワールド」と鼻息が荒い。

9万ルピアのパスを購入して中に入れば、15ある遊戯施設に乗り放題、ということである。9月9日といい、9万ルピアといい、何となく9という数字にこだわっているような・・・。

オープンに先駆けて、昨晩は、市内の孤児院の子どもたち5000人が特別招待され、夕暮れの断食明け前後に、新しい遊戯施設で思う存分楽しんだ様子である。

年間160万人の来客を見込むこのトランス・スタジオ。マカッサルの観光の目玉に、という期待が大きいのだが、どうなるだろうか。

ちなみに、(かつては毎朝毎晩その真ん前を通勤電車で通っていたにもかかわらず)東京ディズニーランドで遊戯施設に入ったことのない私(注:ディズニーランドで遊んでいた家族との待ち合わせで、一度だけイクスピアリには行ったことがある)には、トランス・スタジオへあえて行ってみたい、という気持ちはとくに起こらないのだが、行かれた方はぜひ感想をお知らせしてほしい。

かつて書いた関連のブログ記事は以下の通り。

トランス・スタジオ・リゾート計画


2009年9月3日木曜日

パルのラマダン市場

8月26~27日、中スラウェシ州パルへ行ってきた。26日の夕方、友人が面白いところへ連れてってくれるというので、ついて行った。聞くと、断食期間中だけ、夕方になると、ゴチャゴチャといろいろな屋台が店を出し、お菓子やらおかずやらを買い込む客でにぎわう場所がある、というのだ。

その場所に着いたら、道路にたくさんの車が駐車してあった。たしかに、たくさんの人々でごった返している。ふと前を見ると、バイクがたくさん停まっているところに、ジーンズ姿の駐車係のようなおじさんがふらっと立っていたが、よくみたら、知り合いでもあるパル市長だった。ほんと、いつ会っても、その辺にいるフツーのおっさん、である。でもこの市長、電力不足で国営電気会社と交渉しても埒が明かないとなると、単身で中国へ乗り込み、中国語もできないのに石炭蒸気発電所への投資の話をまとめ、中央政府を説得して、発電所建設を実現させてしまった、というエピソードを持つ人物である。その風貌からは、どうみてもそんなことは想像つかないのだが。

パル市長に「この場所の名前は何か」と聞いたら、「ラマダン市場」という真っ当な答えが返ってきた。以下は、そのラマダン市場の光景。

おばさんたちの手作り(?)食品が並ぶ。プラスチック・パックに入れられているものが多い。

小さい子も楽しく店番、かな。

いろいろなお菓子を売っていた。面白かったのは、Pisang Hijau(緑バナナ)。パルのは、パンダン椰子の葉で緑色に染めた薄焼きにバナナが包まっている。バナナの周りを厚く巻いて白いゴテゴテと赤いシロップをかけられたマカッサルのそれとは違い、パサッとした感じを受けた。

海藻を使ったゼリーやドドール(羊羹のような練り菓子)を売っている親子。手作りとのこと。

花火も堂々と売られていた。夜になると、子どもたちや若者たちがよく戯れている。

断食期間中は、毎夕にぎわうというこのパルのラマダン市場。穏やかで幸せそうな、夕方の平和なパルの光景であった。市場の売り子の女性たちの明るい笑い声があちこちに響いていた。