カンボジアのプノンペン南部の絹織物の村を訪問した。織っている機械のところにインドネシアでよく見るようなバティック布がかけられていた。
この絹織物を作るのにかかわっている女性たちは、バティックのサロンを巻いていた。
道すがらに見た村の女性たちのほとんどが、バティック柄のサロンを巻いていた。下の写真のような感じである。
インドネシアからバティック布が東南アジア各地に流れていることは当然想像できるが、予想以上に、カンボジアの女性に浸透しているように見えた。
では、市場ではどんなバティック布が売られているのだろうか。プノンペン市内のトゥトゥンプン市場、旧名のロシアン・マーケットへ行ってみた。ここは昔、ロシア人が好んで買い物をしたことからその名があるという。
市場に着くと、明らかにタイ製やベトナム製のお土産ものがたくさん売られている。布関係で一番目立つのは、やはりカンボジア・シルクであった。シルクは、うず高く積まれて売られていた。
我々の目につくところには、バティック布は見当たらない。そこで、売り子のおばさんにバティック布があるか聞くと、少し奥のほうから取り出して見せてくれた。すべて、1枚3ドル、であった。
最初は、安価なインドネシアのプリント・バティックのように見えた。そして、札からメーカー名などを探そうとして、面白いことに気づいた。
まず、BATIKと書かれた右上に登録証のRが着いている。BATIKという名前があたかも商品登録されているような趣なのである。
上の写真。最初はATBM(Alat Tenun Bukan Mesin)、すなわち動力を使わない機織りで織られた761ルピアの布だと思った。761ルピアだからすごく昔のバティックがインドネシアからカンボジアまで流れついたのか、と思ったのだ。しかし、よく見ると、これはATBMではなく、ADRMと書かれている。インドネシアっぽく見せているが、Batik ADRMという商品名になっているところがおかしい。
Rosalettaという、いかにもインドネシア人ではなさそうな女性の古そうな写真を使ったものもあった。
この上の写真については、Dwi Songkranとあるが、どうもインドネシア・フレーバーのタイ製プリントのようである。普通のバティックとは明らかに異なる。
どうやら、インドネシアのプリント・バティックに似せて、タイなどで作ったバティックもどきがカンボジアの女性のサロンとなっているような気配がある。
2 件のコメント:
スラウェシでは布の端を縫い合わせて「わ」にして使っていますね。カンボジアもそうですか?
natsさま
そう言われてみれば…。このバティック布は「わ」になっていない布でした。ミャンマーのように、お腹の前のあたりで縛っているのを見かけました。
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